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その日、歴史が動いた 諸家

ザビエル以外にも多数いた戦国時代の宣教師たち ニッポン好き!嫌い!

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同じ話を聞いたり読んだりしても、人それぞれ感想は違いますよね。
うまく言い表せなくても「感動した!」と素直な気持ちを口にする人もいれば、「あそことこことあの辺と、それからアレがダメ」というようにひたすら減点し続ける人もいますし。
本日はその一例だったかもしれない、とある組織とその仲の人のお話です。

1570年(元亀元年)10月2日は、イエズス会宣教師コスメ・デ・トーレスが日本で亡くなった日です。

tomorroweye51

【TOPイラスト】くらたにゆきこ

 

宣教師も人の子 「適応主義」に馴染むも馴染まぬも…

日本の教科書ではまったくと言っていいほど出てきませんが、実はフランシスコ・ザビエルの同僚で、同時に日本へ来ていました。

途中でザビエルと別行動を取るようになり、平戸に滞在中、日本人に好感を抱き、やがて自らも日本式の生活を送るようになっています。
肉食をやめて日本食に切り替え、着物で生活していたそうなので、「元祖・日本びいきの外国人」といえるかもしれません。

こうした方針を「適応主義」と言い、そんな姿が日本人にも好ましく映ったからなのでしょうか、日本発のキリシタン大名・大村純忠(長崎・三城城主)に洗礼を授けたり、その縁で長崎港の開港にも尽力しています。
長崎開港が実現したのは彼の死後のことですが、ザビエルがやり残した「日本での布教」を成功させたという点は特筆すべきでしょう。

しかし、宣教師も人の子です。
トーレスのように日本を好む人ばかりではなく、むしろ嫌悪していた人もいます。
というわけで、他のイエズス会士たちについても、来日順にざっくりまとめてみました。

 

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1552年 ルイス・デ・アルメイダ来日

たぶん最も聖職者らしい聖職者です。
当時の日本では新生児の死亡率が極めて高かったのですが、生き残っても子供を全て養育できる人は限られていたため、間引きされることもままありました。
アルメイダはこれに反対し、孤児院や病院を建て、以降宣教師というよりも慈善事業家として活動しています。

医術の腕も確かで、日本人にも信頼され、地方豪族の治療を任されたこともあるほどでした。
大分市には彼が患者を診ているところを再現した像や、彼の名をとった病院もあります。

大分市にあるアルメイダの銅像/wikipediaより引用

 

1570年 フランシスコ・カブラル来日

一言でまとめると「絵に描いたようななイヤなヤツ」です。
アジア人を蔑視していたため適応主義に反対し、さらに日本人との言語の壁を解消しようとしなかったため、一時布教が停滞するという誰得な事態を引き起こしています。
「日本人ほど傲慢で貪欲で不安定、かつ偽装的な国民はいない。悪徳に耽っており、しかもそのように育てられている」
「黒人と同じく低級な国民だ」
などなど、言いたい放題だったとか。言葉が通じなくてよかったですね(#^ω^)
まあ、カブラルに限らず、ひたすら見下すことしかしない人は今でもたくさんいますが。

 

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1572年 ガスパール・コエリョ来日

修道士の中でも、軍事的行動に積極的だった人です。
イエズス会は当初、本気で日本人を全員キリスト教に引きずりk……改宗させるつもりだったらしく、それができたら日本人を中国へ攻め込ませる予定だったとか。
……人の考えをそんな簡単に変えられると思ってるところもアレですし、その上他の国にケンカ売らせるつもりだったなんて、ゲスいにも程がありますね。さすが人種差別の全盛期時代、聖職者にあるまじき云々など誰も考えていません。
まあ、同じ宗教の国でさえ金やモノのために攻め込む人たちですしねえ。宗教も人種も違うとなれば、そんな認識も理屈として成り立つのかもしれません。非常に不愉快ですが。

しかし、日本人を奴隷として海外へ売り飛ばしていたことがバレて、秀吉に怒られた上、バテレン追放令の遠因になっています。
しかも懲りずに大友宗麟などを煽って秀吉と敵対させようとしています。「日本語でおk」(※イメージです)という対応をされて実現はしませんでしたが。
アホか(´・ω・`)

 

1579年 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ来日

カブラルのアレっぷりを報告され、イエズス会の方針改善を図りました。
当初は日本人側にも問題があるのではないかと考えていたようですが、九州でキリシタン大名や一般信徒に会って「もしかしてアイツのやり方がまずいんじゃね?」(※イメージです)と考え直し、カブラルをクビにしています。
その後、上記のコエリョがカブラルの後任になっているので、よかったのか悪かったのかビミョーなところですが。その後コエリョもクビにしています。もしかしなくても、二度手間。

九州各地に神学校を作ったり、日本に活版印刷機を持ち込んで本を刷ってみせたりと、布教に伴う教育や文化の伝達を積極的に行っていたという面もありました。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノ/wikipediaより引用

 

 

こんな感じで、同じイエズス会の中でも、【高圧的に出る派】と【穏健派】に分かれていたようです。
同じ目的ではるばる海を越えてきたのに、何故団結することができないんですかねぇ。

例によってどこで見た話か忘れてしまったのですが、「日本人に布教しようとしたら逆に質問攻めにあった。答えられなかった。この国の人を改宗させるのは無理かもしれない」(超訳)という話もあります。……そもそもイエズス会士同士で仲が悪いから布教に失敗したんじゃないでしょうか(´・ω・`)
こんなに仲間割れしてたら、当時の日本人から見ても「アイツら信じてもいいことなさそうじゃね?」って思いそうですし。

そして、後の歴史からすると、そのほうが日本にとっては良かった気がしますね。
この時点で日本が完全にキリスト教圏になっていたら、植民地戦争に巻き込まれた可能性もあってどうなっていたやら。

まぁ、特定の宗教や特定の国の人だからといって全員が善人とか悪人ということもないですし、個々の資質によるのでしょうけども。

実は他にも日本史に大きく関わった宣教師が何人かいるのですが、彼らについてはまた改めて取り上げたいと思います。予定は未定テヘペロ。




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長月 七紀・記
参考:コスメ・デ・トーレス/wikipedia ルイス・デ・アルメイダ/wikipedia フランシスコ・カブラル/wikipedia アレッサンドロ・ヴァリニャーノ/wikipedia ガスパール・コエリョ/wikipedia

 

 




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