鎖国前の戦国時代。
諸外国からやってきた宣教師たちが、日本を見て「オーーーーー!」と感嘆する。
「武士も庶民もみんなアタマがよくて、この国での布教は難しいネー!でも、やり甲斐あるネー!」という定番のシーン。
あれってどこまで本当なのか?
答えはもちろん「書いた人次第」としか言いようがないですが、それでも敢えて結論出すならこうです。
【彼らは日本が凄いだなんて思っちゃいない】
ザビエルやフロイスのように褒め称える人がいれば、ヴァリニャーノのように冷静に記述する人もいる。
そうかと思えば、罵詈雑言や差別バリバリに酷い言葉を書き連ねる人もおりました。
大切なことは
「彼らの立場や背景を考慮して発言を吟味しなければならない」
ということでしょう。
そこで本記事では、戦国~江戸初期にやってきた宣教師や商人などの日本見聞記録を振り返ってみます。
ザビエルとフロイスはどう言ってた?
フランシスコ・ザビエル――。
日本に訪れた宣教師でも、おそらく最も知名度が高い人物でしょう。

フランシスコ・ザビエル/Wikipediaより引用
ここで、ちょっと冷静に考えたいところがあります。
彼はなぜ有名なのでしょう?
歴史的に重要だから有名なのか。
日本人にとって心地よい存在だからなのか。
あるいは髪型が小学生にウケるから?
これは他の宣教師と比較すると見えてきます。
実は彼以外の宣教師は、日本を露骨に罵倒あるいは差別している記録も残しているのです。
そう言うと「フロイスはどうなんだ!」って反論されるかもしれません。
確かに彼の語る日本像は、心地よいものです。しかも記録量もハンパじゃないから、重要視されるのもその通りでしょう。
しかし、です。時代の影響が大きいのは見逃せません。
フロイスが来日した当初、織田信長はキリスト教布教を認め、寛容でした。

織田信長/wikipediaより引用
布教活動がうまくいってるところで罵詈雑言を書き連ねる必要性などまるでない。
つまりそこには大きな打算が働いていたということです。
宗教改革という危機感
ここで考えておきたいことがあります。
宣教師がはるばる来日した背景には【宗教改革】という、とてつもない危機感がありました。

宗教改革の発端になったマルティン・ルター/wikipediaより引用
要は、彼らの足元もヤバイから、わざわざ信者を求めてやってきたのです。
そこですぐに布教できそうな人々を見つけたらどうなるか?
ビッグチャンス!
ブルーオーシャン発見だ!
そんな風に喜び、ハイテンションで記録しても不思議はないでしょう。
フロイスの褒め言葉の背景に、そんな事情があったことは意識せねばなりません。
同時にこんなことも考慮しておかねばなりません。
当時、どんな種類の西洋人が、宣教師になっていたのか?
条件をザッと並べてみますと。
・カトリック教国出身
・貴族出身だけど爵位を継承できない二男以下
これは軍人にも言えることで、本人の適性や才能以外に、身の振り方としての宣教師という道もあるのです。
例えばザビエルは、イベリア半島北部の出身。ナバラ王国ザビエル城主の宰相三男として生まれました。
しかし、程なくしてカスティリーャ王国の支配を受け、貴族たちも没落します。そんな没落貴族三男の進路として、イエズス会に入ったのです。
もともと優秀だったザビエルは、19歳でパリ大学へ。24歳で修士号を取得しました。
没落貴族の子から、聖職者としてのエリート街道へ踏み出したのですね。
そんなザビエルと意気投合したのが、イグナチオ・デ・ロヨラです。

イエズス会創立者の一人であるイグナチオ・デ・ロヨラ/wikipediaより引用
かつて熱血猛将型軍人だったロヨラは、負傷により武器を捨て、宗教へと歩み出しておりました。
情熱的と評価されるナバラ王国出身である二人は、パリ大学で意気投合を果たします。
ここで注目したい点があります。
二人とも、没落した王国出身であり、かつ名誉欲がギラギラ――そんな情熱家タイプです。
「カトリックは今、宗教改革でピンチにある。こんな時こそ、危険を冒してでも布教して、宣教師として“てっぺん”とったるで!」
彼らにこのような名誉欲や探究心がなかったと、どうして言えましょうか。
野心マンマンで布教に挑む
確かに日本から見ますと、信心深くて穏やかな宣教師がやってきたように思えるかもしれません。
しかし、そうではありません。
当時は没落貴族や二男坊以下が、人生逆転ホームランを狙って野心マンマンで布教に挑んでいた側面もあるのです。
そんな野心に満ちた宣教師が、布教できそうな土地を見つけたらどう思うか?
テンション上がりまくりますよね。
要は、魚の群れを見つけたようなもんで、喜びに湧く漁師と同じ思考で、ザビエルは語りました。
・もしも日本人がアンジロウ(弥次郎・日本人初のキリスト教徒)のようであれば、新しく発見された諸地域の中で、もっとも知識欲旺盛な民族のいる地域であると思います!
・日本人は中背、容姿端麗。誇り高くてすぐ怒り、武器を大切にしています
・好奇心旺盛で、盗みを嫌います
ザビエルのこうした言葉は、ハイテンションな部分を差し引いた方がよいのではないでしょうか。
もうひとつ、見逃せない要素があります。
情熱的なナバラ人でも、寄る年波には勝てぬもの――ということです。
当時46歳という、初老に達していたザビエルは、日本が最後の土地になるという覚悟がありました。
アジア布教における勢力争い。
叶わぬ明布教という悲願。
南国育ちのザビエルには辛い日本の寒い気候。
慣れぬ生活習慣や言語。
ザビエルは、疲れ切っていました。
これ以上旅をして、新たな環境に馴染むことは無理なのです。そうなれば、ここでじっとして死を待つ方が現実的というものです。
ではフロイスが、日本のことをともかく好きでたまらなかったと、単純に言い切ることができるのでしょうか。

絵・小久ヒロ
彼にはもっと悲しい事情がありました。
日本から動けない以上は、ここはよいところだと自己暗示をかけつつ、生きるしかない。そんな悲しい姿も見えてくるのです。
それに大きな幻滅も味わっております。
・日本では男色が盛んです。豚よりも下劣、犬よりも恥知らず、そんな禽獣以下の行為が横行しているのです
・日本の都で布教はできない。足を踏み入れたところ、戦乱のために破壊され尽くしている
フロイスの落胆も仕方ないものがあります。
日本全土で男色の禁忌意識が高まるのは、実に明治時代以降です。
それでも布教を許された織田信長の時代はよいものでした。
問題は、本能寺の変後です。

織田信長(左)と明智光秀/wikipediaより引用
フロイスは色々と理解を深めてゆきました。
ただ日本を褒めただけの人であるはずがないのです。
ヴァリニャーノはどう言ってた?
宣教師が数多く登場し、天正遣欧少年使節を描いたドラマ『MAGI』。
この作品は、彼らを知るキッカケとしておすすめの映像作品であり、その中で最も重要な役割を果たすのがアレッサンドロ・ヴァリニャーノです。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノ/wikipediaより引用
主役である天正遣欧使節団のフィクサーですから、それもそうでしょう。
しかし、史実では結構なトラブルメーカーらしく、イエズス会内部で足を引っ張られることもしばしば。
おまけに、気にくわない相手にはガンガン直言する、強気で妥協を知らない熱血宣教師でもあります。
「現地の人を見下すな! 違いを認めなさい、布教のことばかり考えていてはダメだ!」
「西洋と東洋の違いがわかる者にこそ、見聞を広めて欲しいのだ」
そんな態度が実に魅力的。しかも、作劇上の創作とは言い切れません。
現地人蔑視を見せるカブラルを痛烈に批判し、日本布教長の座から追いやったほどです。
イタリア・ナポリ王国キエティ生まれのヴァリニャーノは、パドヴァ大学で法学を専攻。27歳でイエズス会に入りました。
しかも哲学や物理学を学び続けたほどのインテリであり、イエズス会でも屈指の俊英として、注目を集めておりました。
当時のアジア布教は激戦区であり、志願者が殺到しておりました。
志願しても何年も待ち続けることがざらにあったというのに、彼の場合志願後数ヶ月、34歳という若さで選ばれたのですからかなりの才知の持ち主でした。
もちろん期待も集めています。
そんな聡明な目線で日本を見て回り、好奇心と敬意すら込めて、報告書を記した人物です。
ヴァリニャーノの日本観察眼は、実に鋭く、ザビエルのようなハイテンションさとはちょっと違います。
かなり冷静な記録が見て取れます。
・身分、能力、思慮、権威、その他宗教家に必要な条件を彼ら(日本人)は備えている
・だからこそ、イエズス会は彼らを受け入れるべきです
・日本人であればこそ、言語や風習を知っています
・彼らと比べれば、私たちは子供のようなもの(日本への理解において最も到達点が深いのは、彼らなのです)
ヴァリニャーノは日本人の識字率を学識の深さに結びつけ、だからこそ宗教を理解するはずだと評価しているのです。
蔑視が全くなかったとは言い切れませんが、そこに露骨な偏見や差別目線は感じられません。
ヴァリニャーノは、日本の風習をよく調べ、興味津々で書き記してもおります。
・西洋では金髪こそ女性の美貌としては最上級だけれども、日本では黒髪を好む
・西洋人はそばかすが多いけれども、日本人は少ない
・日本人は家にあがるとき、靴を脱ぐ
・日本人はあまり散歩をしない
鋭い観察眼ですよね。
外国旅行見聞記として、冷静かつ好奇心旺盛ではありませんか。
ヴァリニャーノは、西洋と東洋は違うと認め、時には正反対の価値観があると理解しつつ、優劣をつけないのです。
違うものは違う。
ただ、そこに上下があるわけじゃない。
偏見を持たずに、ただ違いを受け入れたい。そんな目線が、彼にはありました。
だからこそ天正遣欧少年使節を思いついたのですね。

天正遣欧少年使節の少年たち/wikipediaより引用
自分のように、正反対の世界を見る少年たちが、何か新たな世界を見出すかもしれない。
その期待を込めたからこその、四人の少年たちでした。
カブラルはどう言ってた?「最低最悪の国民だ」
アマゾンプライムビデオ『MAGI』では、歴史上の人物が容赦なく描かれます。
その中でも、最も良いところがない人物が、カブラルでした。
日本人にせよ、西洋の君主や聖職者にせよ、マイナス面だけではなく、プラス面も描かれてバランスが取れているもの。
しかし、カブラルはゲスに始まり、ゲスに終わります。
少なくとも、シーズン1ではそんな扱いですが、史実ではどうだったか?
元亀元年(1570年)にイエズス会から派遣されて来たフランシスコ・カブラル。ザビエル以来の前任者が持つ伝統「適応主義」を全面拒否しました。
肉食は断固やめない。
日本人がラテン語やポルトガル語を学ぶことを全否定。
とにかく差別と偏見に凝り固まっていた人物だったのです。
西洋人のカトリックである自分たちこそが尊く、日本人なんてただの野蛮人。そう軽蔑しきっておりました。
そんな彼だからこそ、日本人観察記録はもう悪意コッテコテの記述になります。
・日本人ほど傲慢、貪欲、無節操、欺瞞まみれの国民なんて見たことがない
・百姓ですら、王になりたい下剋上精神を持っていて、ゲスの極み
・こんな連中をイエズス会に入れるなんて無理ですよ、ペッペッ
貴族出身者であるカブラルにとって、下剋上がまかり通る日本は悪夢のような場所でした。
一方で、ヨーロッパでの貴族にあたる大名・大友宗麟には好意的です。身分意識が強かったのでしょう。

大友宗麟こと大友義鎮/wikipediaより引用
これに激怒したのが、前述のヴァリニャーノです。
こんな差別と偏見まみれの者が布教できるものかと、彼を追い出しにかかりました。
アマゾンプライムビデオ『MAGI』でのカブラル描写も、こうした史実を踏まえると大きく頷けますね。
貴族出身で下剋上を嫌うカブラル。
そんな彼が、百姓出身とされる豊臣秀吉に言い負かされ、悔しがるしかなかったのです。
秀吉に反論されたあと小男と罵り、ついにはスペイン艦隊でぶっ潰すと言い出すカブラル。
その描写も、史実をベースにしているのでしょう。
カブラルにとって、日本人というだけで差別対象なのに、よりにもよって平民出身者がいばり散らしている。まさにあの場面は、屈辱の極みでした。
ヒロンはどう言ってた?「日本人=処刑人」
『MAGI』には、宣教師のみならず商人も登場します。
能天気な来日外国人ではありません。
日本人奴隷を売りさばくわ、豊臣秀吉に文句を言うわ。しかも、戦国時代の残酷さや、秀吉による宗教弾圧も目撃してしまうので、呑気に日本を賛美するはずがありません。
アビラ・ヒロンというスペイン商人がいます。
彼は『MAGI』でも描かれた【秀吉の野望】を目撃します。

豊臣秀吉/wikipediaより引用
秀吉といえば朝鮮出兵が有名です。
しかし、それだけではなくフィリピン・マニラ攻略すら視野に入れていました。
スペイン支配がまだ手薄で、今ならば征服できるという報告を受け、乗り気であったのです。
そんな秀吉相手に、スペイン側も無策であったはずもありません。
フランシスコ会、ドミニコ会から宣教師が派遣され交渉にあたりました。
イエズス会は当時、日本で始まった切支丹迫害により、危機感を強めていたのです。
フランシスコ会やドミニコ会は、イエズス会弱体化の今こそチャンスだと、舐めてかかって来日しました。
そんな様子を記録したのが、ヒロンでした。
ここでちょっと考えてみてください。
秀吉の切支丹迫害が始まった時期にカトリックが来日して「日本って素晴らしいなぁ〜」なんてことが言えるかどうか。
無理でしょう。
はい、その通りです。
生々しい処刑や弾圧を見て、ヒロンはそのことを記しています。
・日本人はともかくキレる。主よ、日本人のキレやすさを何とかしてください
・日本人は、恩義なんか即座に忘れるし、親切心に付け入ってくる
・ともかく日本人って残忍で非情。陰険で誠意なし。極端な行動ばっかりする
どれだけ嫌な目にあったのでしょうか。
そのヒントがあります。
・斬首刑って、なかなか大変じゃないですか。でも、日本人は茎でも切るようにササッと斬首するから怖い
・処刑人の手際が良すぎてもう、信じられない!
・日本人は全員が処刑人。もう「日本人(ハポン)=処刑人(サヨン)」って認識でいいよ
・磔串刺しを見てしまった。もう無理。一人の胸の内部で槍が十字になって交差するとか信じられない
要するに、ハードコアな処刑や切支丹弾圧を見てしまったようです。
武器にせよ、帯刀が庶民にまでまかり取っておりますから、そりゃおそろしいものがあったことでしょう。

ちなみに日本刀の切れ味は、独特のものがあります。
西洋の処刑人は、両手剣や斧の重みでエイヤッと斬首していました。処刑人一族が鍛錬を積んできたものなのです。
一見残酷に見えるギロチンは、実はミスによる斬首失敗をなくすための発明でした。
それを日本人は手に持った刀で、割と楽々と斬首しているように思えるわけでして、リアル『北斗の拳』ワールドにでもやって来ちまった感があったのでしょう。
幕末も同じです。
日本刀はどうしてこんなに斬れ味がよいのか?と、ビクビクしながら外国人は記録しておりました。
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幕末の訪日外国人はサムライに戦慄~銃でも勝てない日本刀と意味不明な切腹に恐怖
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そんなヒロンですが、秀吉のことはそこまで悪意を持って記していません。
むしろ【徳川家康という最低最悪の王】と比較して、懐かしんでいるほどなのです。
アダムスはどう言ってた?「今の日本は平和!」
徳川家康に関する評価は、真っ二つに別れます。
東軍好きであれば、褒め称える。
西軍好きや石田三成、真田幸村ファンからすれば「狸親父」です。

徳川家康/wikipediaより引用
これは当時の来日西洋人でもそうです。
ヒロンのような人物からすれば「統治力もない、人間のクズが王になった。あーあ、秀吉様の頃はよかったなあ」という辛口になるんですね。
一方で「この優れた王のもとで、あれほど戦乱の極みであった日本が、すっかり平和になりました!」と諸手を挙げて大絶賛する人々もおります。
彼らの評価の違いは何なのか?
これまた【宗教改革】の影響です。
辛口評価となるのは、カトリック教国民。
絶賛はプロテスタント教国民です。
秀吉の死後、家康は悩んでおりました。
「西洋由来の武器や技術は欲しい。けれども、切支丹を許すわけにはいかんよなぁ。なんだか危ない気がする」
そんな風に頭を抱える家康の元へ、こんな西洋人がやって来たのですから、まさに好機到来です。
「技術も武器もありますよ。布教? ノーノー、そんな野蛮なカトリックと一緒にしないでくださいよ。プロテスタントの我々は、あくまで貿易目的ですので」
それがウィリアム・アダムスはじめ、イギリスやオランダの人々の考えでした。

豊後に漂着したリーフデ号・青い帽子と衣服の人物がウィリアム・アダムスで、赤い人物がヤン・ヨーステン/wikipediaより引用
背景には、当時イギリスを支配していたエリザベス1世の考えもあったことでしょう。
宗教改革のゴタゴタ、姉・メアリ女王の大失敗をじっと見ていた彼女は、こんな本音がありました。
「宗教ってめんどくさい。エネルギーを使う割には、ろくな結果にならない」
彼女の両親は、ローマ法王を無視して結婚していました。
カトリックの教えに戻りますと、エリザベス1世は王位継承権のない私生児扱いとなるのです。これを認めることだけは、立場的にはできません。
かといって、カトリックを弾圧したらしたで、スペインを刺激してしまう……という厄介な状況です。
そんな彼女の選択は【静観と放置】でした。
宗教は二の次で、それよりも金儲けと海洋進出を頑張ってみようかなと考え、イギリスの出した答えが【海賊でメイクマネー!】なのでした。
早い話、宗教より金儲けの時代っすな。
この史実をふまえて、イエズス会士は家康にこう強く主張しました。
「あんな海賊ども、相手にしちゃいけませんよ!」
しかし、家康には通じません。
こうして世界の西にある島国と、東にある島国の統治者にとって、方針がピタリと一致したのです。
この状況が、カトリックにとってどれほど腹立たしいものか、わかろうというものです。
後発である憎きプロテスタントが、家康に取り入り、のうのうと威張っている。カトリックがいかに残虐であるか、嬉々として吹き込んでいるように思えるのですからね。
しかも、徳川幕府が切支丹弾圧をしようとすると「まぁ、いいんじゃないですかね。あいつらはそれに値する野蛮な連中ですもんね」で終わります。
カトリックが踏みつけられない踏み絵だって「こんなの踏むの、どうということはないでしょ。カトリックじゃあるまいし」と平然と踏む。
江戸時代に来日をしている外国人は、ほぼプロテスタント一色。かつ、楽々と踏み絵をクリアしているのです。

踏み絵/photo by Chris 73
wikipediaより引用
そんな家康の庇護のもと、アダムスは日本生活をエンジョイします。
・帝(家康のこと)は、私を厚遇し、イギリスの大貴族のように扱うほどです
・神に感謝します! こんな素晴らしい暮らしを与えてくださって、ありがとうございます
・日本人は温和で、礼儀正しく、それでいて戦いにおいては勇猛果敢です
・法律はよく守られています。違反者への罰則はしっかりとしたものなのです
・今の日本は平和です。内政の優れていることは、他国は及ばないほどなのです
大絶賛ですな。
むろん、アダムスの置かれた状況と関係が深いもので鵜呑みにはできません。
イギリスにいた頃は、ごく当たり前の船員に過ぎなかったアダムスが、日本のおかげで貴族並の大出世を遂げられたのです。
このあたりは、ザビエルとはある意味真逆と言え、アダムスもハイテンションな言葉ですので冷静に考えた方がよいでしょう。
前述の通り、アンチ家康といえば豊臣方とカトリックです。
両者は「大坂の陣」で結びつきます。
明石掃部全登(洗礼名ジュスト)は熱心なカトリックであり、徳川を倒せば信仰を取り戻せると信じ、馳せ参じました。彼の配下には、カトリック信者の武士が集まっています。
そしてその願いを打ち砕いだのは、プロテスタント国の武器でした。
イギリスから大砲はじめ武器を買い込んでいた家康は、情け容赦なく大坂城を砲撃したのです。

戦国の世の終わりを告げる砲声の背後には、宗教改革の余波があったのでした。
世界史的に見ると中国大陸>>>>>日本
最近、ともかく日本こそが世界の楽園であると言いたげなテレビ番組や関連本を見かけます。
『MAGI』のレビューにも、こんな酷評があって驚かされました。
「日本食を不味いと外国人が言うなんて信じられない!」
「俺たちの好きなカッコいい信長像と違う!」
「西洋人が信長に文句を言うなんて見たくない!」
そこはちょっと冷静になりましょう。
歴史を眺め、日本が世界から憧れの国だった時代はあるのか。
いや、誰が訪れようと「ここは天国だ」と思い込むような国なんて、そもそも存在しないでしょう。
ここで取り上げた西洋人にしたって、各人で状況が異なります。
・時代背景
・宗教
・身分や立場
・出身階層
・教育環境や性格
・日本で出会った人々、目撃した事件
「日本スゴーイですね!」という番組にしたって、白色人種の欧米人が圧倒的に多いんだから恣意的です。
これがもし、人種、国籍、性別、年齢層、立場、職業が異なる外国人であれば、皆それぞれ意見が違うことくらい、想像がつくはず。
そしてもうひとつ、ここは冷静になりたい事実があります。
世界史的に見て重要性としては
【中国大陸>>>>>>日本】
ということです。
「ジパングが素晴らしい」と書き記しながら、なぜマルコ・ポーロは来日していないのか?
ポルトガルはじめ、大航海時代の西洋人が明に到達してから日本に到達するまで、長いタイムラグがあるのはなぜ?
アヘン戦争が、黒船来航より早いのはどうして?

アヘン戦争/Wikipediaより引用
答えは明らか。
中国大陸の方が、資源、人口、面積、ありとあらゆる点で日本を大きく上回り、魅力があると思われたからです。
日本が明治以降、侵略されなかったことを誇りとすることは、止めはしません。
ただし、リスクとリターンを秤にかけて、侵略よりも別の道の方がよいと判断したことは、否定できません。
イギリスは際立って露骨です。
明治政府に介入し、ロシアの足止めとすることを意識していたと思われる部分が濃厚にあります。日露戦争の背景には、こうしたイギリスの思惑が見え隠れしています。
このことを明治政府も理解していました。
だからこそ日本では、長いことアーネスト・サトウら来日外国人の記録を人々の目から遠ざけておりました。

アーネスト・サトウ/wikipediaより引用
2018年大河ドラマ『西郷どん』では、このあたりを誤魔化しているかのような描写でした。
当時世界でもっとも狡猾であり、自国利益を第一に考えていた大英帝国の外交官が「薩摩スゴーイですね!」と笑顔で浮かれる観光客のような描かれ方をされていたものです。
そんな単純バカなワケないんです。
カトリックとプロテスタントを混同するなかれ
日本がアジアの中で特別だ――という誤解もあります。
現実的に、世界大半の地域において【日本・中国・朝鮮半島】という東アジア圏のことを見分けることはできません。
「アジア人は差別するけれども、日本人は別」ということはありえません。
差別主義者は、アジア人をまとめて差別します。みんな「イエローフェイス」です。
日本から見た、世界各エリアだって同じではありませんか?
アメリカ大陸、アフリカ大陸、アジア、オセアニア、ヨーロッパ……この出身者を、見分けられる自信がありますか?
例えばヨーロッパ人は、国ごとに大まかに見分けられるなんて話がありますが、私には絶対に無理です。多くの日本人にとっても不可能でしょう。
なんせ日本のフィクションですと、どこの国の出身者であろうと、欧米出身者であれば金髪碧眼に描きがちです。
しかし現実に、金髪碧眼の人が大半を占めるのは、せいぜい北欧くらい。アジア系欧米人を見ると「なんか思っていたのと違う!」と言い出したりしますよね。
それにもっと重大な、ありがちなミスがあります。
カトリックとプロテスタントを混同していることです。
両者は全く違います。
同じ宗教どころか血で血を洗った関係。このあたりに無理解だと、世界規模で考えると大きな誤ちをしでかしそうで怖いです。
歴史というのは、知ることによってなんだか気持ちよくなる、そんなものではないはず。
深く知れば知るほど、苦悩が増してもおかしくはないもの。そのことを踏まえてみれば、『MAGI』はかなり骨太で、見る価値のある辛口歴史劇だったとわかるはずです。
あのドラマは、世界同時配信です。
日本人だけの顔色を伺っていて、成功できるはずもありません。反対に、カトリックの不都合を消し去る布教用ドラマにすることも、愚行に他なりません。
『MAGI』そういう偏りのない歴史劇でした。
★
さて、最後に考えたいことがあります。
私たちには「日本スゴーイ!」と外国人に言わせる手立てはないのでしょうか?
あります。前述の通り、来日外国人はそこでよい人と出会い、親切に接してもらえれば、これはよい国だと思うものなのです。
日本を天国にすることはできなくとも、来日外国人に対して差別なく、親切にふるまうことはできるはずです。
そのことを地道に実現していこうではありませんか。
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【参考】
渡辺京二『バテレンの世紀』(→amazon)
内藤孝宏『異人たちが見た日本史』(→amazon)





