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飛鳥・奈良・平安時代 その日、歴史が動いた

上皇生活なんと65年間 陽成天皇は藤原基経に陥れられた!?

更新日:

毎度ながら突然で恐縮です。
皆さんは「一生忙しい」のと「一生ヒマ」なの、どちらが良いですか?

意見が真っ二つに分かれそうですけれども、今回のお話を読んでいただくと、後者派の方も少し考え方が変わるかもしれません。

貞観十年(868年)12月16日は、陽成天皇が誕生した日です。

よほど平安時代か百人一首が好きな方でもないと知らない天皇の一人でしょうけれども、その生涯は何やら陰謀のかほりがいたします。
早速本題に移っていきましょう。

あっ、例によって退位後の天皇も「天皇」のままで統一しています。予めご了承ください。

陽成天皇・江戸時代の百人一首より/wikipediaより引用

 

生後3カ月で太子となり9才で即位

陽成天皇は、清和天皇の第一皇子として生まれました。

長子ですから生後三ヶ月で立太子されたのはまだいいにしても、9歳で即位させられているのは「どう見ても外戚の陰謀です。本当にありがとうございました」とツッコまざるをえません。
一応、父である清和天皇が存命中は院政を行っていましたけれども、摂政に就いていた母方の伯父・藤原基経が何やらアヤシイ感じがします。

というのも、清和天皇が亡くなってから、基経はあまり出仕しなくなってしまったのです。この頃、陽成天皇はやっと12歳ですから、まだ摂政がいてもいい年頃。むしろ、後ろ盾がなくなった幼帝をいよいよ支えねばならないですよね。

これは、基経が自分の娘を入内させようとしていたのを、陽成天皇の母・高子(たかいこ)が断ったからという説があります。

そして、陽成天皇15歳の頃、宮中で大事件が起きます。
陽成天皇の乳兄弟が殴り殺されたのです。

藤原基経・菊池容斎『前賢故実』より/wikipediaより引用

 

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基経に退位を迫られ、上皇生活は65年間続いた

公式には「経緯・犯人ともに不明」ということになっております。

が、場所が場所なだけに、「陽成天皇がやってしまった、あるいは少なくとも関与していた」とされ、陽成天皇は基経に退位させられてしまいました。
その後、65年間上皇のままだった上に、皇統が陽成天皇の血筋に戻ることはなかったのです。

こうした複雑な経緯のため、次に即位した光孝天皇は自分の子女を全て臣籍に下しました。陽成天皇のほうがずっと年下でしたから、「一時は皇位をお預かりしますが、いずれそちらに皇統をお返しします」という意思表示だったのでしょう。

しかし、光孝天皇は崩御直前に息子の一人を皇族に戻しています。これが宇多天皇で、猫好きだった天皇として有名なあの方です。
光孝天皇に仕えていた女官の一人が基経の異母妹だったため、彼女を通じて基経が根回ししたのではないかともいわれています。そりゃ、明日をも知れない人がいきなり野心満々になったりはしませんよね……。

つまり、陽成天皇退位の時点から基経の策謀だったとも考えられるわけです。

また、宇多天皇は臣籍だった頃に陽成天皇の侍従として仕えていた時期もあったため、退位後の陽成天皇は「私の臣下だったのに(´・ω・`)」(※イメージです)とぼやいたこともあったとか。そりゃそうだ。

 

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私の想いも積もり積もって淵と呼べるまでに……

退位後の陽成天皇は静かに暮らしていたそうなのですが、その割に御製(ぎょせい・天皇や皇族などが作った詩歌・絵画など)は一首しか伝わっていません。
それが、百人一首十三番の歌です。

「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる」

「筑波の山の水が集まってできるみなの川のように、私の想いも積もり積もって淵と呼べるまでになってしまった」というような意味ですが、液体である水を「積もる」と表現したところが独特ですね。悪い言い方をすれば違和感があるというか、不適切というか。

これは、妃の一人である光孝天皇の皇女に贈ったものといわれています。
技巧にミス(?)がある歌を定家が入れたのが不思議なところですけれども、この歌にみられる陽成天皇の純粋さを後世に残したかったのでしょうか。

話が戻りますけれども、もし本当に気が触れていたとしたら、譲位後数十年の間にまた別のそれっぽい逸話ができていたでしょうし、野心があれば自分の血が流れている人を皇位につけようとしますよね。
そういったことがないあたり、いわゆる「ご乱心」よりは一時の激情でやってしまったか、もしくは上記のような陰謀に巻き込まれたと考えるほうが自然なのではないでしょうか。

仕事をしなくていいのですからある意味勝ち組ですけれども、目立った逸話や趣味が伝わっていないところからすると、退屈で仕方がなかったのではないかという気がしますが……はてさて。

15歳で隠居生活を強いられた後、65年もの長い間、陽成天皇は何を思って暮らしていたのでしょうね。

長月 七紀・記

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参考:陽成天皇/wikipedia

 

 





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