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イギリス その日、歴史が動いた

サンドウィッチ伯爵「パンに肉を挟んで、よろしく!」のサンドウィッチ誕生話はウソだった!?

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企業や俳優・作家などなど、イメージ戦略が大事な業界は多々ありますよね。
それだけに、ちょっとしたスキャンダルや、洒落にならない犯罪で一気に干されることも珍しくありません。最近だとイケないおクスリで身を滅ぼす人が……ゲフンゲフン。
本日はそんな感じで、順調な人生だったにもかかわらず、たった一つの汚点で大幅にイメージダウンしてしまった、とある国のお偉いさんのお話です。

1718年(日本では江戸時代・享保三年)11月3日は、第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューが誕生した日です。

「カードゲームに夢中になるあまり、パンに肉を挟んで持ってこさせた。これがサンドウィッチの原型になった」という逸話で有名ですが、彼の生涯からすると、この話は少々誤解があるようです。
ジョンの生い立ちから見ていきましょうか。

【TOP画像】ジョン・モンタギュー (第4代サンドウィッチ伯爵)/wikipediaより引用

 

10歳で祖父から爵位を継いで英国貴族の道を歩む

ジョンは、4歳のときに父のエドワードを亡くしています。
その時点で祖父のエドワードが存命中だったため、10歳のときに祖父から爵位を継ぎました。

イートン校やケンブリッジ大学といったイギリス貴族としてのスタンダードコースを歩み、他の国で遊学した後、21歳のときに帰国。まもなく貴族院の議席と軍の役職、そして妻・子供を得ています。
絵に描いたような順調な人生というやつですね。妻は後々、心身の健康を失ってしまったようですが……。

さて、この頃、大陸では”オーストリア継承戦争”という大きな戦争が起きていました。
文字通り、オーストリア=ハプスブルク家の継承者を巡る戦争です。ハプスブルク家では当時、男性の跡継ぎがおらず、一人娘のマリア・テレジアに婿を取り、共同統治者とすることで家を保とうとしていました。

しかし、これについてイチャモンをつけたのが、当時同じ神聖ローマ帝国に属していた周辺の国々です。特に軍事によって台頭してきていたプロイセンは、あからさまに挑発し始めました。
こうしてドンパチが起こります。

元々、オーストリアは戦争が不得手。古くから「幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」と謳われてきたように、結婚を始めとした外交戦略で生き残ってきた国です。
国ごと潰れることこそありませんでしたが、結果としてはプロイセンに負けて、豊かな地域だったシュレジェン(シレジア)を割譲することになりました。

この講和条約を「アーヘンの和約」というのですが、締結するまでの交渉にジョンが関わっていたといわれています。
このときジョンは28歳。ありえない……というほどの若年ではないにしろ、若きエリートとして信任を受けていたことがわかりますね。

 

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「地獄の火クラブ」という秘密結社は意味深パーティー!?

その後も順調に出世し、35歳のときには国務大臣にまでなりました。
しかし、ちょっとしたスキャンダルに巻き込まれます。よく通っていた「地獄の火クラブ」という秘密結社のことを暴露されたのです。

実際の「地獄の火クラブ」は、修道院を模したちょっとしたオトナのお遊び(意味深)パーティーというところでしたが、周辺住民から怪しまれていたので、そこを付け込まれたのでした。
ついでに、告発者でホイッグ党員のジョン・ウィルクスが、ときのイギリス国王・ジョージ3世を罵倒したことで、このスキャンダルは大きくなってしまいます。

ジョンを含め、クラブに通っていた貴族たちは名誉毀損その他の罪でウィルクスを逮捕しました。仕事や公的には影響を及ぼさないにしろ、良俗的にアレなこともしていたので、口封じに……というわけです。

しかし、これが一般人からは「言論弾圧」ととられ、ウィルクスの釈放を求めるデモや暴動が起きてしまいます。
この一連の騒動により、一般人のジョン対するイメージは、不名誉なもので固定化してしまいました。
とはいえ、王からの信任はさほど揺るがなかったようで、海軍大臣や国務大臣、郵政公社総裁などを歴任しています。
海軍大臣だった頃には、ジェームズ・クック(キャプテン・クック)を後押しして、太平洋探検を行わせました。
そのため、クックが航海中に見つけた島の中には、「サンドウィッチ」の名を関するものがたくさんあります。ハワイ諸島も、当時はサンドウィッチ諸島と名付けられていました。

 

博打好きはフランス人の随筆が元ネタになっていた?

かように非常に多忙な生活を送ってたジョン。
そのため、「カードゲームを続けたいがためにサンドウィッチを作らせた」というのは、おそらく俗説であろうといわれています。この話のネタ元がフランス人の随筆らしいですし。

仮に、ジョンがサンドウィッチを好んでいたとしても、それは遊戯場ではなく執務室だろうと考えられています。現代でもあっちこっちの会社でよく見る光景ですよね。
おそらくは、地獄の火クラブの騒動とごっちゃになって、件のフランス人が書いた話が広まったのでしょう。
一度悪いイメージがつくと、払拭しきることは難しくなりますからね。

ジョンはその後、16年も付き合った愛人を射殺され、心痛のために政界から身を引き、10年ほどして亡くなっています。
妻との間にできた息子・ジョンが無事育っていたので、後継者で頭を悩ませることがなかったのは、不幸中の幸いでしょうか。

ジョンは(当時の基準で)古い音楽の愛好家でもあり、自分の屋敷で演奏会を開いたり、コンサートを開くことにも熱心でした。彼のお陰で食いつなげた音楽家たちも少なくなかったでしょう。
そういう面がほとんど知られず、「賭博が好き過ぎる貴族」というイメージしかないのは、少々哀れな気がしますね。

長月 七紀・記
参考:ジョン・モンタギュー (第4代サンドウィッチ伯爵)/wikipedia 地獄の火クラブ/wikipedia




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