同業者同士で仕事以外の話ができるっていいですよね。
細かい専門用語を噛み砕かなくてもいいですし、「あるある話」で盛り上がることもある――本日は中世の同業者たちが作っていた、とある制度のお話です。
1791年(日本では江戸時代・寛政三年)2月16日、フランス国民議会が商工業組合「ギルド」の廃止を宣言しました。
初っ端から何のこっちゃという感じの方も多そうですね。
まずは「ギルドとはなんぞや?」という話からはじめましょう。
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商人ギルドと職人ギルド 政治を利用したのはもちろん……
ギルドを日本語に訳すと「同業者同士の互助組合」という感じになります。
現在はファンタジー系の小説やゲームでお馴染みの単語なので、聞き覚えのある方も多そうですね。
歴史上のギルドは、大きく分けて
・商人ギルド
・職人ギルド
の二種類ありました。
最初にできたのは商人ギルドのほうです。
シマにしている町で商売上の規約を決めていて、よその商人が入ってきたときには「ウチのギルドに入るか、ショバ代よこせ。どっちも嫌ならよそ行って」(超訳)というように、商売の制限もしていました。
また、お互いに助け合うことによってより儲かるので、いつしか支配者層との結びつきが強くなり、政治にも口を出すようになっていきました。
時代劇でいう「越後屋と黄金色のおまんじゅう」とか「そちも悪よのう」「いえいえ、お代官様こそ」みたいな感じですかね。
どこの国でも人間のやることはあまり変わらないようです。
が、商人ギルドの力が強まるほど、そこに商品を納める職人たちの立場は弱くなっていきました。
ものすごく簡単にいえば、せっかく精魂込めて作ったものを安値で買い叩かれるなど、職人にとって不利なことが多々起こり始めたのです。
そこで、職人たちも同業者同士でギルドを作り、商人ギルドに対抗するようになりました。
職人ギルドは2つあり、1つは労働組合だった!?
職人ギルドにはさらに二種類ありまして、一つは互助組織としてのギルドです。
親方(師匠)とその弟子たちで構成されていて、商品の品質と自分たちのプライドを保つという目的もありました。
ギルドに入っている職人から買えば質の良い物が手に入るということがわかっていれば、どこの馬の骨ともしれない職人もどきから粗悪品を掴まされるなんてことも減りますしね。
また、大学の始まりを「教授や生徒によるギルド」とする考え方もあります。
もう一つは、親方に労働条件を交渉するためのギルドです。
現代の労働組合が近いですかね。
職人ギルドはそれぞれの業種を表すマークを店の看板として出していて、文字が読めない人々はそれを目印に買い物をしていました。
馬具屋さんであれば馬、靴屋さんであればブーツなどわかりやすいものもあれば、一見して「?」と思ってしまうようなものもあります。
「中世の宝石箱」と呼ばれるドイツの都市・ローテンブルクや、モーツァルトの故郷として知られるオーストリア・ザルツブルクなどには、今もギルドがあった時代の看板に近いものを使っていますね。
調べてみたのですが、当時のものそのままなのかどうかまではわかりませんでしたスイマセン。
王様に媚びへつらってけしからん! 廃止じゃ!
ギルドとは、そういった組織のことをまとめて指します。
正確に言えば国ごと・時代ごとに細かな違いがあるのですが、先へ進みましょう。
なぜ、フランス国民議会はギルドを禁止しようとしたのか。
上記の通り、商人ギルドは支配者層との癒着がありました。
そして、それに対抗する職人ギルドもまた同じように、支配者へ接近していきます。
つまり、フランス国民議会では
「ギルドの連中は王様に媚びへつらうけしからん奴らだ! ギルドなんぞ廃止しろ!!」
と結論付けられてしまったのです。
また、本来の目的である商売についても、
「ギルドがあると閉鎖的過ぎて経済が滞る。けしからん!!」
と見られ、二重の意味で民主主義の敵とみなされたことにより、フランスでは法律でギルドを廃止しようということになったのです。
フランス革命の犠牲者が王族や貴族だけでなく、職人や商人も少なからず含まれているのは、こういった感情の暴発だったのかもしれません。
ただの事故とか人違いとか巻き添えだけだなんてことは多分……ないかと。
70年ほど後に、労働組合だけは認められるんですけどね。
ドイツではマイスター制度につながる
このように、フランスでは「ギルドダメ絶対!」という流れになっていったのですが、ギルドをよしとする国もありました。
お隣ドイツです。
「ギルドの連中とうまく付き合えば、政治がやりやすくなる」と考えられ、制度ごとそのまま残されました。
国内統一までに長い時間を要した同国では、わざわざまとまっている団体をバラしたら、また元の木阿弥になると考えられたようです。
かのビスマルクは、ギルドごと=職業ごとの保険を作ったりしています。
現代のドイツも職人を大切にすることや、マイスター制度で有名ですが、これには歴史的な理由があったんですね。
マイスター制度では、ある程度の期間学んだ後、各地を放浪して修行をしなければならないそうで。
「ワルツ」と呼ばれ、”ワルツ期間中は親族の死に際を除いて地元の半径50km以内に入れない”という過酷な規定があります。
まだ修行中の身ということで所持金も少ないため、野宿を強いられることも珍しくないとか。
しかし、旅先で技術だけでなく人とのつきあい方なども学ぶことによって、より優れた職人になれると考えられているようです。人間同士でないと学べないこともありますものね。
そういった厳しい修行を乗り越えるからこそ、職人が尊敬されるのでしょう。
日本のすし職人さんが「飯炊き三年、握り八年」といわれるのと似たような感覚なのかもしれません。
長月 七紀・記
【参考】
ギルド/wikipedia