源平 その日、歴史が動いた

清盛の義妹・平滋子が皇室にも血を残す!ただし兄貴は驕れる元祖炎上男

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平安時代は、前期と後期でまったく違うタイプの人が活躍するところが面白いですよね。

武士の台頭によるところが大きく、それは男性だけでなく女性も同じこと。
平安時代前半の貴族=高貴な女性は、男性の言いなりに近い状態ですが、後半になって平氏=武家の女性が後宮入りするようになると、違うタイプの人が出てきます。

安元二年(1176年)7月8日、後白河法皇に寵愛されていた平滋子たいらのしげこが亡くなりました。

名字を見てわかる通り平氏一門に連なる人で、平清盛とは直に血は繋がっていません。
清盛の妻・時子の妹です。

いささかややこしいのですが、清盛と時子が平氏の身内同士で結婚したのでこんなことになっています。
一口に平氏と言っても、いろいろ枝分かれしていましたからね。

どちらかというと時子・滋子の家は貴族に近く、これが後々一族の存亡に関わってきます。

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美貌と頭脳を法皇に見初められ

滋子は当初、後白河法皇の娘に仕えていました。

そして、お約束のパターンで、美貌と頭脳を法皇に見初められ、妃になります。
元の身分が低いため、女官としての地位もさほどのものではありませんでしたが、後白河法皇のひいきがスゴかったので表向きの地位など関係なかったようです。

法皇=出家してても色欲は自重しないんですね。

後に源頼朝に「日本国第一の大天狗」と罵られる後白河法皇/Wikipediaより引用

そして後白河法皇の御所(家)に正式に移り住んだその年、滋子は男の子を産みました。

普通ならそのまま親王宣下(将来天皇候補になれる皇子だよ!という宣言)をするのですが、このとき後白河法皇は、孫の二条天皇と政治的なバトルの真っ最中だったため延期になってしまいます。
だから世俗の欲にまみれすぎやろ。

いったんは二条天皇が自分の子(六条天皇)に皇位を譲ったのですが、六条天皇が早世してしまったため、後白河法皇の子供を皇位に就けざるを得なくなります。
というか、清盛と後白河法皇が圧力をかけてそうさせました。やーね、オトナって。

 

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夫と義理の兄が権力欲の塊だったからこそ?

そんないきさつで滋子の息子である高倉天皇が即位することになったのですが……。

平滋子自身はさして権力欲がなかったのか。
あまり政治の場に出てこようとしなかったようです。

夫(後白河法皇)と義理の兄(清盛)が揃って欲の塊みたいなものですから、かえって冷ややかな目で見ていたのかもしれません。
こういうときって女性のほうがクールなことありますよね。

平清盛/wikipediaより引用

とはいえ、皇太后であり後白河法皇からの寵愛も深い滋子にひいきしてもらおうと寄ってくる輩は当然いました。

しかしもともと頭の良い人なので、女官などからおべっかを言われても
「前世の行いが良かったのかもしれませんね^^」
と返すだけで、自慢したり、マウンティングしたような記録はないようです。

平家物語で「平氏にあらずんば人にあらず」と言っていた元祖・炎上男の平時忠は滋子のお兄さんなんですが、雲泥の違いかも……。
にーちゃん、かっこ悪いぞ!

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滋子のバカ兄貴→「八咫鏡を取り返してきましたぁあああ!」

彼女のこの性格は、後々実家に恩恵をもたらします。
滋子自身は35歳で亡くなってしまったのですけども、その後の【源平の戦い】で平氏(清盛の血筋=武門平氏)が負けて滅びたとき、滋子の実家である堂上平氏は残されたのです。

滋子がふんぞり返らなかったこともそうですし、お父さんの時信や弟の親宗が争いを好まなかったので、時忠以外の人はマトモな一族だったようで。

ちなみに時忠もちゃっかり生き残っています。
でも、その経緯がカッコ悪い。

「平氏がパクってた八咫鏡(※三種の神器の一つ)を取り返してきたので許してもらえますよね!当然ですよね!!」(超訳)
というものでした。
なんだかなぁ……(´・ω・`)

また、滋子の孫である安徳天皇は壇ノ浦で入水させられてしまいましたが、もう一人の孫である後鳥羽天皇が即位、その後の皇統は彼女の血を引く人物が継いでいきます。

最終的な勝者というのもアレですけども。
後に武士の目的となる「お家を残す」ことを基準として考えると、滋子はまさにそれを成し遂げた女性ということになりますかね。

 

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卑下しすぎのも傲慢になるのも良くない

一時の寵愛や権力に溺れず振りかざさずに生きた滋子の考え方を表す、こんな発言も記録されています。

「女性は男性の言うなりにならなければいけないかのようにいわれているけれど、自分の考えをしっかり持って行動することが大事だと思うのです。卑下しすぎるのも傲慢になるのも良くないですし、身の程をわきまえていれば、そのうちいいこともあるものです」(超訳)

これ、当時だけでなく現代も、そして女性だけでなく男性も心がけるといいんじゃないでしょうか。

「いいこと」を期待しすぎるとアテが外れるかもしれませんけども、
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
なんて言葉もありますしね。

長月 七紀・記




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【参考】
国史大辞典
平滋子/wikipedia

 



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