明治十年のこの日、第1回内国勧業博覧会の一環として、東京・上野公園に西洋式噴水が作られたことによるものだそうで。
同イベントは「西洋の技術をどれだけ国内で再現できるか」という狙いもあったので、その一環でしょうね。
というわけで、本日は噴水の歴史をかいつまんで見ていきましょう。
起源はなんとメソポタミア バビロンの空中庭園も!?
噴水の起源は、メソポタミア文明だとされています。
世界七不思議の一つ・バビロンの空中庭園も「高くまで水を汲み上げて流していた」らしいので、水を汲み上げて意図通りに流す技術はかなり古くからあったようです。
また、ローマ神話にも「ユトゥルナ」という噴水・井戸・泉を司る女神がいるので、古くから多くの人が日常的に目にするものだったのだろうということがうかがえます。
このためか、ヨーロッパの噴水はローマもしくはギリシア神話の神々などをモチーフにした石像が使われていることが多いですね。
有名な「トレヴィの泉」はまさにその代表例でしょう。
正面の男性像が海神ポセイドン。
向かって左が豊穣の女神デメテル。
右が健康を司る女神ヒュギエイアです。
ヨーロッパには著名な噴水も数えきれないほどありますが、歴史に関わるものを二つだけご紹介しましょう。
ヴェルサイユ宮殿の噴水庭園(フランス)
トレヴィの泉と並び、ヨーロッパの「噴水」で代表といえば、ここでしょう。
太陽王ことルイ14世が作ったフランスの大宮殿にある噴水です。
ルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿同様に莫大な資金と労力をかけてこの噴水を作りました。
宮殿の1.5倍弱ほどの人が動員されたといいますから、彼がどれほどこの噴水を重要視していたかがわかりますね。
元々このあたりには水源になる川や湖がないため、10kmも離れたセーヌ川の水を、当時最新鋭の機械や水道橋を用いて運んできています。
これによって「余は人間だけでなく、自然を超える力を持っているのだぞ」と誇示する狙いがありました。
その一環として、噴水庭園には庶民の入場を許し、バレエや劇などを催すことも多々あったといいます。そういうものを日頃見させられていれば、「俺達の王様はスゴイ人なんだ!」と刷り込まれていきますからね。
なぜそこまで頭が回るのに、懐勘定や戦線の状況を正しく分析できなかったのかが不思議でなりません。
「天は二物を与えず」ということでしょうか。
アルハンブラ宮殿「ライオンの中庭」(スペイン)
こちらは少々こぢんまりしていますが、とても有名ですよね。
スペインにまだイスラム国家があった頃に作られた宮殿で、レコンキスタ(ムスリムから土地を取り返すぜ運動)が終わった後も残されました。
宮殿内には他にも噴水がありまして、「ライオンの中庭」はその中でも有名なスポット。
12頭のライオンが小さな噴水を囲んでいる……のですが、雌ライオンを模しているようで、パッと見ライオンとは思えないのが少々残念なところです。
この向こう側に王の住まいであるライオン宮があります。
また、アメリカ・ミズーリ州のカンザスシティのように、街中噴水だらけという場所もちょくちょくあります。
この街では、動物愛護の一環として、馬や犬が自由に綺麗な水を飲めるように噴水が作られたのがはじまりだそうで。ダイナミックやな。
逆サイフォンの仕組みで設置された加賀藩の兼六園
噴水が西洋に馴染み深いものとなると、日本に入ってきたのは明治時代だろうな……と思いますよね。
しかし、日本最古の噴水は、文久元年(1861年)に加賀藩の実質的な最後の藩主・前田斉泰が兼六園に作らせたものです。
「逆サイフォン」と呼ばれる仕組みを使っていて、人工的な動力は使われていません。
水源(A地点)から低い位置(C地点)に水を流し、次にAとCの間にあたるB地点に水を流すと、Aと同じ高さまで水が噴き上がるという仕組みです。詳しいことは物理の先生か、ググる先生にお尋ねください。
兼六園のものは水源(A地点)が園内の霞ヶ池となっていて、霞ヶ池の水位によって噴水の高さも変わるとか。
以下にYoutube動画を貼っておきますので、よろしければご覧ください。
結構勢い良く上がっていて驚きます。自然のちからってすげー!
他には、明治十一年(1878年)ごろに、長崎市の長崎公園にも兼六園と似たような噴水が作られています。
残念ながら、こちらの詳細はわかりませんでした(´・ω・`)
自然に対する考え方の差が噴水の普及にも影響?
江戸時代には「茶運び人形」やら「和時計」やら、ある意味、超技術ができておりました。
からくり伊賀七こと飯塚伊賀七『べらぼう』時代に和時計やからくりなど次々に開発
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にもかかわらず、長い間、噴水が生まれなかった理由って何でしょうね。
ここからはまた私見になりますが、おそらくは「自然に対する認識の違い」が大きく関係しているのではないでしょうか。
西洋=キリスト教圏は「万物は神が人間のために用意したもの」という考えが強くあります。
そのために自然を思い通りにする=元の地形をいじる建築や、自然に手を加えて思い通りの形に水を噴き上げさせる噴水が主流になった。
歴史をひもといていくと、上記のヴェルサイユや、サンクトペテルブルクなど、大規模な地形改造を行って建築をしたというケースも珍しくありませんよね。
一方、日本には、唯一神という概念が長い間存在しませんでした。
自然は崇拝・尊重するものであり、いじくるものではなかったわけです。
例えば、平安京の場所を決めるときに、風水で縁起が良いとされる地形に合う場所をわざわざ探しているのは、その証左ではないでしょうか。
自然に対する敬意がなければ、ある程度いじって条件を整えようとしたでしょうからね。
造園にも「借景」という自然の風景をそのまま活かす方法があります。
もちろん、江戸など必要に応じて埋め立てが行われたところもありますけれども。
価値観の違いがあったから、日本ではあまり噴水が作られなかった――。
タイムマシンができたら、当時の西洋人や日本人に尋ねてみたいものです。
長月 七紀・記
【参考】
SUUMO JOURNAL
噴水/Wikipedia
トレヴィの泉/Wikipedia
アルハンブラ宮殿/Wikipedia
kcfountains.com
長崎公園