「暴れん坊将軍」といえば徳川吉宗ですね。
ああいった御方は古今東西たまにおりまして。
何かと伝統にうるさいヨーロッパでもたまに「おいおいおい!」と言いたくなるような王様や貴族を見つけると、一気に世界史が面白く感じられるようになったりします。
1765年(日本では江戸時代・明和二年)8月21日、後のイギリス国王・ウィリアム4世が誕生しました。
欧米圏によくある名前の上に4世ときたら覚える気もなくなりそうですが、
「男性の英国王では珍しく良い方向に印象の強い人」
として見るとなかなか面白い人です。
さっそく本題に入りましょう。
女優の愛人と20年間の同棲 その間になんと10人もの子供を
ウィリアムは英国王ジョージ3世(1738~1820年)の三男でした。
継承順で上位とはいえ、三男では王位が回ってくる確率はかなり低く、そのためか13歳から海軍に入っています。
アメリカ独立戦争のときにはニューヨークにいたり。
軍艦「ペガサス」の艦長をやっていたことがあったり。
カナダや西インド諸島(キューバとかあの辺)での勤務経験もあるなど、若い頃はかなりあっちこっちに行っています。
おそらくイギリス国王の中ではかなり外国勤務経験が豊富なほうでしょう。
ロンドンにいるときも王族という身分を鼻にかけず、身軽に市中を歩き回っていたとか。
私生活も奔放で、とある女優を愛人とし、20年も同棲をしておりました。
彼女は46歳になるまでの間に10人もの子供を産んでおり、仲睦まじさが窺えます。
この愛人とは諸事情で別れてしまうのですが、それはまた別の機会にお話しましょう。
しかし、「王冠をかけた恋」で有名なエドワード8世といい、イギリス王室と「愛人」は切っても切れないですねえ。
「王冠をかけた恋」を選びイギリス王を退位したエドワード8世
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そんなウィリアムが即位したのは、なんと65歳のときでした。
「即位式なんぞ金の無駄だからイラネ(゚⊿゚)」
なぜ65歳という高齢で即位したのか?
と申しますと、長兄であるジョージ4世が妻と不仲で子供が生まれず、次兄のフレデリックはジョージ4世よりも先に亡くなっていたため、ウィリアムにお鉢が回ってきたのでした。
まぁ、どこの国でもままある話ですね。
が、ここでもウィリアムは破天荒な行動で貴族たちを驚かせます。
なんと「即位式なんぞ金の無駄だからイラネ」(超訳)と言い出し、かつらをつけかえるかのように王冠を軽く扱った(※イメージです)のです。
さすがに「あまりにも格好がつきませんので、小規模でいいから式をしてください」と説得され、渋々即位式をしてはいます。
それでも貴族の中には「地味すぎてつまらん」という人たちもおり、そういった意見に対しても「会場が広々していていいじゃないか」と一蹴したのだとか。
ただのイヤミじゃないところに、海軍的なユーモアセンスがうかがえますね。
イギリス海軍では、航海中の暇つぶしのためにユーモアを大事にしていました。イギリスの影響が強い旧日本海軍及び後身にあたる海上自衛隊も同様です。
古い時代では「ナポレオンのイギリス上陸」、近年では「女王陛下のキス」の話がわかりやすいかと。
どっちもかなりのお偉いさんの発言だというのがまた面白いところです。
もしかしたら大英帝国の祖父かもしれません……
しかし、政治はユーモアだけでは乗り切れません。
産業革命を通して「世界の工場」となったイギリスでは、さまざまな労働問題が起きておりました。
特に労働力を補うための児童労働や、貧困層の生活改善は急務とされており、ウィリアム4世の時代に対応策が出されています。
結果として、完全な解決はできなかったのですが……まぁ、お上が「ああしろこうしろ」と言ったところで、雇用主や現場長に改善の意思がなければどうしようもないですからね。
即位時点でも高齢でしたので、ウィリアム4世の治世はたったの7年しかありません。
上記の通り、政治的に素晴らしいとは言い切れないのですが、その中で一番大きな業績は、姪であるヴィクトリアが成人し、直接王位を継げるようになるまで命を永らえさせたことでしょう。
以前ヴィクトリア女王の記事でも書きましたが、もし彼女が未成年のまま王位を継ぐことになっていたら、間違いなく母親が政治に口を出していたからです。
在位なんと63年7ヶ月!大英帝国を躍進させた世界一の女帝ヴィクトリア
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そう考えるとウィリアム4世は「大英帝国の祖父」とも呼ぶべき人かもしれません。
長月 七紀・記
【参考】
ウィリアム4世_(イギリス王)/Wikipedia