武者震之助です。
歴史映画をレビューする本コーナー。
第二回目は『グレートウォール(→amazon)』です。
基本DATA | info |
---|---|
原題 | 長城 |
制作年 | 2016年 |
製作国 | 中国・アメリカ |
舞台 | 中国 |
時代 | 宋神宗年間、11世紀(1010-1063) |
主な出演者 | マット・デイモン、景甜(ジン・ティエン)、ペドロ・パスカル、ウィレム・デフォ−、劉徳華(アンディ・ラウ) |
史実再現度 | 史実にUMAをぶち込んでいるわけであり、歴史再現ではない。しかし、細部の考証はしっかりしている |
特徴 | ゲテモノ映画の皮をかぶった、極めてクレバーな作品 |
お好きな項目に飛べる目次
マット! あんたってば器の大きなお人やなwww
万里の長城――。
それは、宇宙からも見ることのできる数少ない人工物であり、世界七不思議にも選ばれている、長大な壁。
なぜ、これほど長大な壁を築かねばならなかったのか? ただ人を防ぐものなのだろうか?
もしかすると、人ではない「何か」を防ぐためだったのでは……!?
そんなオカルト雑誌『ムー』的な発想で一本作ってしまったというのが今回の映画。
一発ネタみたいな本作品が評価されるはずもなく、事実、2017年のアカデミー章授賞式では、司会を務めたジミー・キンメルに見事イジられました。
「マット(・デイモン)、あんたって奴はなかなか器の大きいことするよね。あんたがプロデュースした『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は、オスカー6部門にノミネートされたんだから、たいしたもんだ。でもあんたはその主演を蹴って、ケイシー・アフレックに譲ったんだよ。それで中国のポニーテール映画に出たんだよな。その『グレートウォール』は8,000万ドル(約92億円)の大赤字だって。バッカじゃねえの」
こんなふうにケナされてしまうほど、アメリカでは記録的大コケをかましてしまった本作。
日本では「もう怪獣映画ってことでいい」と独自宣伝されてしまった本作。
(参照:シネマズ)
さて、一体どんな映画なのでしょう。
◆あらすじ 万里の長城を襲う謎の生命体とは!?
黒色火薬を求め、中国まではるばるやって来た傭兵のウィリアム・ガリン(マット・デイモン)とペロ・トバール(ペドロ・パスカル)。
彼らは契丹族の馬賊の襲撃から逃れるうちに、「万里の長城」にたどりついてしまう。
宋の将兵に捕まった二人。青い甲冑を着た女将軍・林梅(景甜)は、英語で二人を尋問する。
林は旅の途中でウィリアムが飛来した謎の生物を斬ったことを知ると驚く。
多くの将が二人に処刑を主張する中、黒衣の軍師・王(劉徳華)だけは反対した。
王の反対虚しく、二人は頂上の上まで連れて行かれる。
このまま処刑されるのかと焦る二人。
そのとき、彼らは整然と色分けされた軍を目にする。
驚愕の光景はそれだけではなかった!
太鼓が打ち鳴らされる中、謎のUMA軍団が次々と襲撃を開始。軍は犠牲を出しながらも、なんとか敵を撤退に追い込む。
一体これはどういうことなのか?
万里の長城に隠された秘密とは!?
このあらすじの時点で、マット・デイモンはなぜ本作に入れ込んだのか。
激しく疑問を感じる人も多いと思います……そりゃジミー・キンメルでなくても突っ込むわ!
トンデモ映画のようでいて、極めて重厚かつ真面目
だいたい冒頭の30分くらいでこんなトンデモ展開が繰り広げられます。
視聴者の頭に疑問を浮かべたまま、怒濤の対UMA戦闘が画面一杯に広がるのです。
この場面は緊迫感も迫力もあり、実に見応えがあります。
やっていることはトンデモ感満載なのに、映像は重厚。
あざやかな色彩設計に定評のある張芸謀(チャン・イーモウ)のセンス、迫力だけではなく各自戦術の違いを出したアクション、UMAのデザインや動き、万里の長城の壮大さ。これだけでも十分見る価値があるのです。
最初の戦闘が落ち着くと、疑問への答えを生真面目に出します。
UMAの正体は何か?
林と王は何故英語を話せるのか?
作中できっちりと説明されます。
UMA の正体は「饕餮」(トウテツ)でした。青銅器の文様である「饕餮文」がよく知られています。
じゃあその饕餮ってのが結局何か?というと、曖昧な説明ではあるのですが、おそらく地球外生命体であると……。
この饕餮は60年、つまり十干十二支一周ごとに襲撃して来るのだそうです。
本作は妙に生真面目です。
この設定ならば「中国風の異国で繰り広げられるファンタジー」にすることもできます。なんとなく昔の中国というアバウトな設定でもよいはずです。
『PROMISE 無極』という映画はこのパターンです。
ところが、本作は時代が宋神宗というところまで特定できます。
ウィリアムがハロルド2世に仕えたことがあるという設定も、年代的には間違っていません。
当時のヨーロッパにはなかった黒色火薬を探すというウィリアムたちの目的も、時代背景としては間違っていません。
そしてウィリアムが史実より早くヨーロッパに黒色火薬を持ち込んでしまう可能性も、本作はきちんと摘み取っています。
本作のクライマックスでは、熱気球と同じ原理の「天灯」が飛んでいきます。
これも考証的にはあながち間違っているとは言い切れません。「孔明灯」という名で、三国時代に飛ばされていたという伝承があるのです。
作中独自の設定も極めて丁寧に練り込まれています。
1. 敵の目的
2. 敵の弱点
3. 勝利及び敗北条件
4. 味方が取るべき戦法・戦術
5. ウィリアムが戦力として必要な理由
こうした物語として必要な箇所に、ちゃんと答えが用意されています。
ここまで丁寧に作ってあると「ゲテモノ映画」「トンデモ映画」とは呼べないでしょう。
開始30分ほどはB級だとニヤニヤしながら見ていたのに、後半は前のめりになって見るようになってしまう、そんな作品なのです。
誰の心の地雷も踏まない巧みさ
本作は公開前、ある批判にさらされていました。
「白人救世主映画」ではないか。中国人では解決できない難題に、白人が登場することで救う展開ではないか、と懸念されたのです。
しかし公開後、この批判は消えてゆきました。
マット・デイモン演じるウィリアムはあくまで一兵士であり、計画の立案や実行の大半は禁軍の将兵が実行に移しているからです。
ウィリアムはあくまで「他の者にはない一芸(弓術)に秀でた外国人構成員」でしかありません。
禁軍の将兵は時に彼を疑い、またその能力を生かすものの、この窮地に現れた救世主とは思っていません。ギリギリのところで、配慮して批判をかわす構成になっています。
ウィリアムの特技も設定が巧みです。
彼はイングランド人の特技である、長弓(ロングボウ)の扱いに長けています。
禁軍では弩の一斉射撃による集団戦術を採用しており、ウィリアムが得意とする長弓による狙撃は、時代遅れであるとみなしていました。
ところがこの単独による射撃に意外な利点があることが判明し、ウィリアムが貴重な戦力であるわけです。
そこに単純な優劣はありません。
多様性こそ強みであるという描写なのです。
「女性将軍の何がおかしいのか?」
女性将軍である林梅の扱いも巧妙です。
お色気要員でも、ウィリアムと無理矢理恋に落ちるわけでも、お姫様のように守られ、足手まといになるわけでもありません。
林は男性であっても全く問題のない設定にされています。実力のある戦士ならば、女性だろうとその場にいても構わないのです。
登場人物の誰もが、彼女の容貌や女性らしさについて批評を加えることはありません。
「きみって、女を捨てているよね」
「戦いではなく愛を知りたくないのか?」
というような台詞もありません。
林に問われる点は、将としてふさわしい知勇の持ち主であるか。その一点です。
ウィリアムと彼女がハグやキスでもすればいいのに、と思う方もいるでしょう。
本作はそうしたちょっと古い考えを退け、男女が出てきても恋をする必要はない、という考えを貫いています。
林将軍のような女性将軍は、むしろ中国の伝統です。
本作と同じ時代背景の『水滸伝』には扈三娘(こさんじょう)が登場します。
『楊家将演義』、『花木蘭』、勇敢な女性将軍が活躍する伝統的な中国エンタメはそれこそ多数あります。こうした戦うヒロインをあらわす「巾幗英雄(きんかくえいゆう)」という言葉もあるほどです。
フィクションでなく史実においても、婦好、平陽昭公主ら戦う女性将軍が存在します。
「なぜ女である林将軍がそこにいるのか」
という問いには、
「女性将軍の何がおかしいのか?」
という答えで片が付くのです。
トランプ大統領よ、多様性の利点を見落とすなかれ
そうなってくると、実は本作の致命的な突っ込みどころは、「饕餮」だけではないでしょうか。
北宋の滅亡は、長城を越えてきた女真族の国家「金」の侵攻によるものです。
史実に寄せるのであれば、金との絶望的な戦いに身を投じるウィリアムという設定にするのもありです。
その方がむしろ自然です。そうであればトンデモ扱いされることもなく、重厚な歴史劇とされていたはずです。
作中では禁軍の将兵が、匈奴との戦いで名をあげた漢代の将軍・李広を讃え、歌う場面があります。
本作の世界はパラレルワールドではなく、しばしば異民族の侵入に苦しめられた歴史を持っているのです。描こうと思えば、異民族を敵とすることはできたはずです。
しかし、それでも本作は敢えて人外の敵・饕餮を出したのです。
この饕餮は、人の際限なき欲望をこらしめるために60年おきに出現する、という設定ですのでいろいろな寓意をあてはめられそうです。
環境破壊、忘れた頃にやってくる天災、おごり高ぶりが生み出す人災等……。
異民族は、もはや敵ではありません。むしろウィリアムのように共闘する仲間です。
多様性を生かし、互いに手をとりあうことで、大きな問題に対処するという姿勢を打ち出している、という見方もできます。
本作はアメリカのトランプ大統領が敵に差別的な悪罵を投げつけ、外国人を閉め出し、メキシコに壁を作ると息巻くタイミングで公開されました。
誰のことも踏みつけないように慎重に作っただけであり、そのつもりなないのでしょう。
しかし、まるで彼へあてつけたメッセージを持っているようにも思えるのです。
「壁なんか作っても敵の侵入を防ぐことはできない! 大事なのはチームワーク、寛大さ、信頼(作中では新任、シンレン)、多様性だ!」
そう本作は語りかけているようにも思えます。トンデモ映画のように思わせて、寛大なメッセージを感じさせるのです。
興行的には失敗したとはいえ、本作は中国映画における十分な可能性を示したといえます。
潤沢な予算、迫力溢れるVFX、ありとあらゆる方面に配慮した脚本構成。
これだけの力を見せ付けたのです。本作は、単純なゲテモノ映画とは到底言えないほどの完成度であり、なかなか奥の深い作品と言えるのではないでしょうか。
著:武者震之助
【参考】
『グレートウォール(→amazon)』
※Amazonプライムビデオでレンタル199円です