世界史

『水都百景録』のストーリーにはどんな時代背景があるのか?史実解説

2022年6月にLittoral Gamesより『水都百景録』がリリースされました。

焼け落ちた街を復興させてゆく、このゲーム。

なぜ街は焼けてしまったのか?

戦争でも起きたのか?

なんて思われるかもしれません。本稿で、ストーリーの謎を探ってみましょう。

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文徴明が描き、董其昌のせいで燃やされた

『水都百景録』の舞台となる明の時代。

一体何が起きていたのか?

まずは、ゲームの世界が始まるまでの、大まかな流れを掴んでおきましょう。

明の時代のこと。

蘇州の文人である文徴明は、偶然骨董屋で古い絵巻物を発見します。

誰かの遺作だと思い修復しようとしたところ、古の女神・女媧(じょか)が残したものでした。

これに絵を描きこめば、人に命が宿る。物を描くと実体になる!

文徴明はこの絵巻に『江南水都百景』と名付け、熱心に作り続けました。

しかし、長寿の文徴明でも仕上げることはできません。

彼はその絵巻を門下生に託すと、魂を絵巻に封じ込めることにしたのです。

それは呉派門派の秘宝となり、残されてゆきます。

しかし、時代が降り、政治腐敗が甚だしい万暦年間になると、おそろしいことが起こりました。

この絵巻は礼部尚書・董其昌(とうきしょう)の手に渡り、蔵書楼に保管されていました。

「米の値段を下げたいなら、まず董其昌を殺せ!」

そう怒り喚く群衆が彼の家を放火し、絵巻まで焼け落ちたのです。

董其昌は芸術的な才能は豊かであり、江南を代表する文人でした。

しかし、人格は低劣で悪どい政治で人々を苦しめました。その報いで絵巻は焼けてしまったのです。

焼け落ちた絵巻の中、文徴明の魂は目覚めました。

よし、俺の筆でまた江南の美しい景色を取り戻そう――かくして、物語が始まります。

この絵巻は、実は戦乱で燃やされていたのではありません。

董其昌が悪い。

しれっと出てくる、ツンデレイケメン董其昌が堕落したせいでこうなったのです。

そしてそんな董其昌の再生が目的であることが「探検」でわかります。

 

董其昌を更正させる探検へ

『水都百景録』には「探検」というクエストがあります。

タップして作業をするとストーリーが楽しめるノベル形式のイベント。

中国古典名作をたどりつつ、その背景に隠された作者の想いや人の営みを味わうものとなっています。

文徴明が董其昌を呼び、園遊会をしていると語られる。

しかし現実ではありえない設定です。

文徴明と董其昌は生きた年代が異なり、生前本人同士が出会ったことはありません。

そしてここで董其昌は、火事で焼死してしまった妻の肖像画を描こうとしていることがわかります。

董其昌の妻である董夫人は、ゲームで創作された人物です。

彼女は実在の人物というよりも、歴史の中に埋没した存在が蘇ったような設定。

そもそも董夫人という名前からして、他の人物とは異なります。

文徴明の妻は呉黎です。彼女には名前がちゃんとあります。

しかし董夫人には「董其昌の夫人」という名前しかない。

そうではなくて私という人間を見つけて欲しい――そんな願いが伝わってきます。

文徴明は、絵巻の中でまず呉黎を描き、愛妻を蘇らせます。しかし彼女は記憶がない。そこで街の景色を描くことで取り戻そうとします。

文徴明が再生させたいのは、彼自身の妻だけではない。董其昌に見失ってしまった愛を取り戻させ、納得いく妻の絵を描かせることで、何かを取り戻したいようです。

探検ではテーマの人物だけではなく、董其昌の愛を探す過程も描かれていくのでしょう。

この探検ルートには女媧を祀る院があり、これは呉派の聖なる場所として認識されています。

『水都百景録』で目指しているのは、明代蘇州呉派文人たちの蘇生なのでしょう。

 

明代の蘇州文壇を蘇らせよう

『水都百景録』は応天府から始まります。

現在の南京であり、呉の孫権のころは建業と呼ばれていました。

呉の時代は孫権が築いた建業であったこの都市。

かつて中国大陸は、中原と呼ばれる黄河中下流域が天下争奪の場とされました。洛陽や長安といった由緒ある都は中原にあります。

それが時代がくだると、江南が発展してゆきます。中原を含めた中国北部を失った南宋は、江南の杭州に都を置きました。

南宋が滅んだあと中国を支配した元。その元を倒し、明を建国した朱元璋によって、江南にある応天府が都とされました。

その朱元璋が元を倒し、明を建国する際、最後まで抵抗したライバルが蘇州の張士誠。

つまり『水都百景録』は、天下争奪に関わった両雄の本拠地から始まるのです。

 

蘇州――文化の中心

明建国後、永楽帝の時代あたりまで、蘇州は迫害を受けます。

古くは姑蘇(こそ)の名で知られる、文化の香り高いこの都市に暗い空気が蔓延したのです。

蘇州出身で朱元璋に出仕した高啓は、些細な罪で斬腰刑により処刑されました。

こうした苦い記憶は、呉派を興した沈周の世代にはありました。

官僚になるくらいならば、文化に生きたほうがよいのではないか?

そう蘇州の人々が思ってもおかしくはない状況。

それでも生きていけるだけの経済はありました。

蘇州は商業が発達しています。沈周のような作家が絵を描けば、即座に贋作が出回るような状態です。

このゲームは知名度の高さを考慮して「水墨画風」をキャッチコピーにしていますが、正しくは呉派の絵画です。

沈周にとっては孫世代の文徴明の頃となると、蘇州からも科挙合格を目指し、官僚になりたがるものは出てきます。

それはそれとして、文人として生きる道もあるのが、蘇州という文化の香り高い街でした。

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