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【『水都百景録』のストーリー解説】
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応天府――政治の中心
明代は社会が変わりました。
まずはこのゲーム内でもしょっちゅう出てくる科挙について考えてみましょう。
元祖受験地獄!エリート官僚の登竜門「科挙」はどんだけ難しかった?
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ゲームでは字(あざな)の劉伯音で実装されている劉基が、朱元璋の意向を受けて「八股文」という科挙特化型の特殊な文体を導入したのです。
さらに「府学」という科挙志願者向けの学校も作ります。
明朝が定めるカリキュラムをこなさねば科挙に通らなくなりました。
国家の思想に従う者ほど出世に近くなるシステムが確立されたのです。
これは科挙の課題でもあった、合格者の没個性化を促進しました。
才能や倫理性が乏しくとも、受験テクニックに長けていて、八股文だけできると突破できてしまうのです。
逆に要領が悪いと不合格が続く。文徴明はこの代表です。
『水都百景録』には科挙に苦しんだ人物が大勢登場します。
無個性で要領がよく、倫理観すら薄い科挙合格者が増えてゆく。
そんな官僚は暗君や悪徳宦官にまで媚びへつらい、政治を正しくする志なんてない。
嘆かわしいことだ!
そう言われる状態が極まり、科挙に合格しながら悪徳政治家になった官僚に対し、こんなフレーズが定着したのでした。
「あいつって八股文だけができるクズだな」
科挙に受かったけど別に賢くない。それどころか人格低劣だ! そんな皮肉が込められているのです。
宋代までは科挙合格者と名高い文人は兼任していた人物が多いものでした。
しかし明代は科挙の受験テクニック偏重のせいか、官僚の業務が増加したせいか、それとも文人ネットワークから切り離されるせいか、こうした官僚と名高い文人を兼任した人は減り、専業クリエイターが増えた時代でもあります。
科挙合格はもちろん最高の栄誉だ。しかし官僚になるのはよいことだろうか?
そんな疑念もたちこめていたのが、明代です。
この時代は官僚にとって厳しい時代であり、恐怖政治が横行していました。
朝、出勤前に「生きて帰ってこられたらいいな」と送り出す家族も、送り出される官僚も涙をこぼす。そんな悲惨な時代でもあったのです。
政治的に失脚するだけで拷問死しかねない、恐ろしい時代でした。
中国には官僚にならずに生きてゆくことを理想とする、老荘思想があります。
そうした思想を抜きにして、北京くんだりまで行かずに蘇州でリアルを充実させたい。そうした文人があふれた時代でした。
都市でこの対立構図を作るとすれば、永楽帝による遷都のあとは北京と蘇州となります。
しかし本作はあくまで江南が舞台です。
応天府と蘇州――そんな対比がそこにはあります。
朱元璋か? 張士誠か?
科挙に合格して官僚になるか? 文人として芸術文化に貢献するか?
政治に妥協し保身を図るか? 政治批判を辞さぬ構えを見せるか?
朱子学か? 陽明学か?
妥協か? 自由か?
そんな対比がある中、董其昌は江南文人らしさを見失っていった人物です。
政治と無縁ではいられない文人たち
政治よりも文化だ! それで食っていける!
それは江南文人にとって真であり、そうともいえないものではありました。
のほほんとしていてマイペースそうな馮夢龍や湯顕祖ですが、彼らは反骨精神の持ち主でもあります。
明代は思想的にも大変換があった時代です。
宋代に成立し、士大夫の心得として極まったとされる朱子学。
それとは異なる陽明学が成立したのです。
心即理――心そのものに理がある。そう掲げる学問でした。
ほとばしる心のままに生きることを願う文人には、この陽明学を信奉した者も多くいます。このゲームでも多く登場します。
腐敗した政治を見て見ぬふりはできない。そう心のままに生きる文人たちは、そのために苦労も味わっています。初期実装ですぐに出てくる二人の陽明学をみてみましょう。
ゲームではおっとりしているマイペースな湯顕祖(とうけんそ)。
彼はなかなか科挙に登第できませんでした。
その理由も文徴明とは異なります。彼は時の宰相・張居正を批判していたのです。それを張居正が疎み、落ちるよう工作をしていたとされます。
馮夢龍(ふうむりゅう)は、明末に生きていました。
彼は恋多き好漢で、失恋のショックで科挙どころではないと書き残しています。
そんな蘇州で生きる粋な文人の彼も、政治腐敗は見逃せません。
文筆を通し時事問題の意見を問い、彼なりの国家への尽くし方を模索する後半生でした。
彼は満洲族が押し寄せる中、憂悶のうちに亡くなったとも、兵士に殺害されたとも伝わります。
文化に触れて取り戻したいことがある
反骨精神がなく、ひたすら保身に徹していたのが董其昌です。
首尾よく官僚にもなったものの、政治的な対立はコソコソと避け、宦官・魏忠賢の悪政も見てみぬふりをしていました。
江南には「東林党」と呼ばれる文人たちがいました。
魏忠賢の悪政に声をあげ、そのため迫害を受け、命まで落としていった人々です。
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そんな志のある文人を横目に、董其昌は保身を図っていました。
人格低劣。保身のために見てみぬふりをする。欲望にまみれ、高利貸しをし、民を苦しめてしまう。そして開き直っている。
その結果が、オープニングムービーにつながる火災です。
まさに董其昌こそ、江南文人の面汚しよ! こいつを更正させねば意味がないのではないか?
文徴明なりにそう考えた物語がそこにあるのではないでしょうか。
そうして董其昌が江南文壇らしさを見出していく中、遊ぶ側も何かを取り戻してゆく。
文学作品の味わい。絵画の美しさ。流れる歌『入画江南』の調べ。
そうした文化を持つ魅力を再確認することが、このゲームの目的ではないかと推察します。
董其昌が納得のいく愛妻の肖像画を描き終えること。
董其昌が江南の景色の中で、文人精神を見出すこと。
その過程を見守る中で、私たちも文化や精神性を取り戻すこと。
それがこのゲームの秘めたる目的かもしれません。
そして日本版であればこそ、考えたいことがあります。
このゲームを遊んでいても、知らない人ばっかり。そう思うとすれば、ズバリそこが取り戻すべきことかもしれません。
文徴明と董其昌は、江戸時代から「唐様(からよう・中国風)」の人気書道家として有名でした。
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馮夢龍の『笑府』は、落語の演目の元ネタになっています。
馮夢龍がリライトに大きく寄与した『白蛇伝』は、日本初のカラーアニメーション映画の原作です。
彼の作品は江戸時代の読本にも大きな影響を与えています。
実は日本にも大きな影響を与えた彼らのことを知らないとすれば、それは損失かもしれません。
彼らを愛でつつ、その足跡がどんな影響を日本に与えてきたのか考えることも、日本ならではの本作の楽しみ方といえるのではないでしょうか。
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【参考文献】
岡本隆司『明代とは何か』
檀上寛『陸海の交錯 明朝の興亡』
上田信『中国の歴史9 海と帝国 明清時代(講談社学術文庫)』
井波律子『中国の隠者』
他