毒舌で有名な某芸能人の方が、こんな感じのことをおっしゃっていました。
「日本では好きなもののデータを網羅していないと、ファンじゃないと思われる。でも、感動した瞬間のことを覚えていて、好きだというなら立派なファンじゃないか」
スポーツを例に挙げておられましたが、これってどの分野でも当てはまりますし、たとえ「にわか」とされる人々の中にも、時に斬新な発想で、大きな影響を与えることがあります。
1683年(天和三年)9月14日は、オランダ人のアントニ・ファン・レーウェンフックが虫歯菌を発見した日です。
「菌」といえば、肉眼では見ることのできないミクロの世界。
17世紀に、彼は一体どのような方法でそんな発見をしたのでしょうか。
画家フェルメールとは友人 絵画モデルになったことも
レーウェンフックは、微生物の専門家ではありません。
元は織物商や役人、測量士などをしていたそうです。
同郷の画家であるヨハネス・フェルメールの遺産管財人をしていたこともあるので、色々こなせる器用なタイプの人だったんでしょうね。
フェルメールとは生前から親交があり、レーウェンフックがモデルだろうと言われている絵もいくつかあります(TOP画像がその一枚である『地理学者』)。
公私共に頼れる友人だったということでしょうか。
おそらくレーウェンフックは何にでも興味をもつような、好奇心旺盛な人だったのでしょう。
そして、彼の興味はいつしか顕微鏡に向きました。
織物商の仕事で、品質管理のために虫眼鏡を多用していたことがあり、「肉眼では見えない世界」を常に見ていたからかもしれません。
特に毛織物の場合、虫食いや虫の卵などがあっては、その場の取引だけでなく後の信用にも関わりますから、かなり厳しく・詳しく見ようとする習慣がついていたことでしょう。
まだ顕微鏡は貴重品ながら、レーウェンフックはどこからか構造を聞きつけたようで、なんと顕微鏡を自作しています。
1590年頃にオランダの眼鏡職人が作ったものだったので、調べる機会に比較的恵まれていたのかもしれません。
倍率200倍の顕微鏡を使い「微小生物」を確認
完成した顕微鏡で、レーウェンフックは身の回りの様々なものをひたすら観察し続けます。
学者ではないため、新しい発見をしても発表する機会はありません。
本人はさほどこだわっていなかったようですが、同じオランダ人の学者やお偉いさんが、ロンドン王立協会(世界最古の科学学会)やロバート・フックにレーウェンフックを紹介してくれたことにより、学術界にも縁ができます。
特に、フックはレーウェンフックの顕微鏡を使って実験を行い、代わりに実験結果をまとめて出版しています。
もちろん自分の為でもあったでしょうが、フックのおかげで、顕微鏡が科学にとって有用であることが広く知られるようになりました。
レーウェンフック自身も顕微鏡の改良と観察を続けており、1674年には倍率200倍の顕微鏡を使って、自分の目で湖の水の中に、小さな動くものを発見しています。
彼はこれを「微小生物」と名付けました。
以前から「目に見えないほど小さい生物がいる」ということは知られていたのですが、「自然にどこからかわいて出てくる」と考えられていたため、さほど研究されていませんでした。
現代人からすると「んなわけあるか~い!」とツッコミたくなりますけども、錬金術がまだ信じられていた時代なので、まぁ仕方ない話です。
虫歯菌だけでなく赤血球や精子も発見する
探究心を駆り立てられるようにして、レーウェンフックは、顕微鏡でさらに観察を続け、微小生物の卵を発見しました。
これにより
「微小生物は、自然と湧いて出てくるものではない」
ということがわかります。
彼は人間の血液や体液も観察しました。
その成果が虫歯菌というわけです。
他に赤血球、精子も発見しました。
レーウェンフックが学者でないこともあってか、当初は学会や大学にも受け入れられませんでしたが、今日では皆さんご存じの通りです。
「餅は餅屋」とは言いますけれど、素人の視点も時に重要となるという好例ですね。
以降、特に生物学や医学の世界で、顕微鏡はなくてはならないものとなりました。
もしもレーウェンフックの好奇心がなかったら、もしくはフックらが「にわか乙wwww」などと言って相手にしなかったら、病気の解明や治療・予防法なども、もう少し遅れていたでしょう。
大げさに考えると、彼らによって数億単位の人間が命を救われた……といえるかもしれません。
大切なのは専門家という身分ではなく探究心なんですね。
長月 七紀・記
【参考】
アントニ・ファン・レーウェンフック/wikipedia
顕微鏡/wikipedia
マルチェロ・マルピーギ/wikipedia
ロバート・フック/wikipedia