覚醒剤と第二次世界大戦

学者・医師

70年前なら「SAY YES」覚醒剤は第二次世界大戦で公然と使われていた

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覚醒剤の歴史
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となると英国の陸海軍も使い出す

イギリスで最初に用いたのは陸軍。

何度か調査をしたものの、ある種の軍務に就いている兵士をシャンとさせられるかどうか、確信は持てなかった。

で、そのまま「お蔵入り」させれば良いものを、今度は海軍が注目するようになります。

潜水艦の乗組員らに配給させ、集中力を保たせようとしたのです。

効用?を知った空軍でも、1942年には戦略爆撃機の搭乗員に使わせるようになります。

どうも、疲労回復というより、戦意を高める効果の方を重視していたようで、有名なエル・アライメンの戦いではバーナード・モントゴメリー将軍が配下の兵士に使用を許可していたそうです。

そうか、あの戦いはヤクが絡んでいたのか(汗)。

ちなみに配給は5日おきで、1回20ミリグラムだったそうです。サイトでは「結構な摂取量だが」と心配しています。

味方を誤射した事例が少なくとも1件が確認されており、そこから「大丈夫なのか」と疑問視され始めていったそうで、いやいや、大丈夫じゃねーんすわ。

その後、1943年になると空軍省の方で印刷物を配布し、覚醒剤使用の賛否について、次のように書き記していたそうです。

「覚醒剤を使用したら、誰もが戦場で完全なコントロールが利き、休息を取らずして任務を続けられると思い込んでいる。

当人自身は全能感に浸っているが、実際には、ありとやらゆる失策をしでかしているのが現状だ」

だから、気付いたなら止めさせなさいって。

 

イギリス「ヤバイかも」アメリカ「イイネ!」

英国側が「ヤバイんでねえの?」モードに入っているのに、アメリカでは妙な乗り気を示すようになります。

当初は「コーヒーに入っているカフェインがあれば十分だよ」と鷹揚だったのですが、調査を重ねて「イケる」と勘違い。

1943年2月に陸軍補給廠が、最初に書いたベンゼドリン5ミリグラムを配給します。

連合軍最高司令官だったアイゼンハワーも、北アフリカの部隊に50万個もの薬剤として「一刻の遅れも無く」配給するよう命令を下しました。

主に陸軍兵士と航空隊、そして海兵隊に使わせていたようですね。

そして、負の遺産へ……。戦後も10年間ほどは合法な処方薬として使われ、やはり危ないぞ!となり、次第に用途が制限されていきます。

それでも忘れられなくなった人達の間で、終わりなき大流行が今なお続いている訳です。

日本でも、海軍のパイロットなどに使われ、戦後は戦後で「寝ないで勉強するのに最適だぁ!」と、受験勉強の必須ツールになっていた時期がありました。

禁断症状による犯罪が続発するようになると、戦時中のナチス同様、方針大転換で禁止措置に。

ちなみに、ワタクシメの年長の知人は「アレを受験勉強で使った友達が中毒になってなぁ。近所の池に幼児を投げ込んで殺して刑務所に行きよったわ」と、生々しい体験談を語って頂いた事があります。

だから絶対に使ってはあきませんと言いたい所ですが、それでも使用したい人が後を絶たず、色々と事件が起きてしまっているんですね。

覚醒剤で逮捕の誌面(『毎日グラフ』1954年11月24日号)/wikipediaより引用

その意味で、薬物関連の逮捕者も、戦争の犠牲者と言えなくも無し。

戦争というのは、色んなとこに負の遺産を残すもんですな。

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