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【覚醒剤の歴史】
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となると英国の陸海軍も使い出す
イギリスで最初に用いたのは陸軍。
何度か調査をしたものの、ある種の軍務に就いている兵士をシャンとさせられるかどうか、確信は持てなかった。
で、そのまま「お蔵入り」させれば良いものを、今度は海軍が注目するようになります。
潜水艦の乗組員らに配給させ、集中力を保たせようとしたのです。
効用?を知った空軍でも、1942年には戦略爆撃機の搭乗員に使わせるようになります。
どうも、疲労回復というより、戦意を高める効果の方を重視していたようで、有名なエル・アライメンの戦いではバーナード・モントゴメリー将軍が配下の兵士に使用を許可していたそうです。
そうか、あの戦いはヤクが絡んでいたのか(汗)。
ちなみに配給は5日おきで、1回20ミリグラムだったそうです。サイトでは「結構な摂取量だが」と心配しています。
味方を誤射した事例が少なくとも1件が確認されており、そこから「大丈夫なのか」と疑問視され始めていったそうで、いやいや、大丈夫じゃねーんすわ。
その後、1943年になると空軍省の方で印刷物を配布し、覚醒剤使用の賛否について、次のように書き記していたそうです。
「覚醒剤を使用したら、誰もが戦場で完全なコントロールが利き、休息を取らずして任務を続けられると思い込んでいる。
当人自身は全能感に浸っているが、実際には、ありとやらゆる失策をしでかしているのが現状だ」
だから、気付いたなら止めさせなさいって。
イギリス「ヤバイかも」アメリカ「イイネ!」
英国側が「ヤバイんでねえの?」モードに入っているのに、アメリカでは妙な乗り気を示すようになります。
当初は「コーヒーに入っているカフェインがあれば十分だよ」と鷹揚だったのですが、調査を重ねて「イケる」と勘違い。
1943年2月に陸軍補給廠が、最初に書いたベンゼドリン5ミリグラムを配給します。
連合軍最高司令官だったアイゼンハワーも、北アフリカの部隊に50万個もの薬剤として「一刻の遅れも無く」配給するよう命令を下しました。
主に陸軍兵士と航空隊、そして海兵隊に使わせていたようですね。
そして、負の遺産へ……。戦後も10年間ほどは合法な処方薬として使われ、やはり危ないぞ!となり、次第に用途が制限されていきます。
それでも忘れられなくなった人達の間で、終わりなき大流行が今なお続いている訳です。
日本でも、海軍のパイロットなどに使われ、戦後は戦後で「寝ないで勉強するのに最適だぁ!」と、受験勉強の必須ツールになっていた時期がありました。
禁断症状による犯罪が続発するようになると、戦時中のナチス同様、方針大転換で禁止措置に。
ちなみに、ワタクシメの年長の知人は「アレを受験勉強で使った友達が中毒になってなぁ。近所の池に幼児を投げ込んで殺して刑務所に行きよったわ」と、生々しい体験談を語って頂いた事があります。
だから絶対に使ってはあきませんと言いたい所ですが、それでも使用したい人が後を絶たず、色々と事件が起きてしまっているんですね。
その意味で、薬物関連の逮捕者も、戦争の犠牲者と言えなくも無し。
戦争というのは、色んなとこに負の遺産を残すもんですな。
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takosaburou・記