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【ズールー族のインピとシャカ伝説】
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「虫けら」と呼ばれた少年
1787年、アフリカ南部。
この年、ランゲニ族長の娘・ナンディが妊娠しました。
彼女はまだ未婚でした。
ナンディは、未婚者同士の性的な戯れの中で妊娠してしまったものと思われました。
当然のことながら父親が誰なのか、議論になります。
その相手とは、隣接するズールー族の首長・センザンガコナでした。
ナンディはセンザンガコナの第三夫人として数年過ごしますが、のちに賠償金である50頭の牛とともに、実家へ戻されました。
センザンガコナはかつて、ナンディの妊娠について「あの娘の腹の中にいる甲虫が、月経を止めたんだろう」と言い捨てました。
望まない妊娠だったのでしょう。
そのため、産まれた子は「シャカ」、甲虫という屈辱的な名で呼ばれることになるのです。
母方のランゲニ族の村で、シャカは周囲からのけ者にされ、いじめられていました。
「やーい、虫けら! 父なし子!」
「お前の母ちゃんはアバズレだ!」
そんな苦境の中、母ナンディは我が子シャカを飢饉や暗殺の危険から、必死で守り抜きました。
シャカは自分を庇う母親に敬愛の念を抱くとともに、いじめた者たちには深い憎悪を抱いたのです。
「戦争」を儀式から殺戮に変えた
当時のズールー族は、ングニ族のディンギスワヨの指揮下にありました。
日本で言うならば、大名に属する「国衆」のような立場でしょうか。
ディンギスワヨは、逞しい戦士として成長したシャカに注目します。
シャカは自分より大柄な戦士や豹と戦い、冷酷に相手にとどめを刺した男として、噂になっていたのです。
「この男は優れている。ズールーの首長にしたら役に立つだろう」
1816年、ディンギスワヨは亡くなったセンザンガコナの後釜として、シャカをズールー族の首長にしました。
即位したシャカは、幼い頃に自分と母親を虐待したものたちを残虐に処刑しました。
シャカは次に、軍制改革に取り組みました。
当時は1500名ほどの小さな部族であったズールー族が、この後どうなるか。誰にも想像すらできなかったことでしょう。
かつて彼らの部族間戦争は牧歌的なものでした。
軽い槍を振り回し、歌ったり踊ったりしながら、儀式的に戦うふりをするだけです。
戦士同士の周りには、女性も含めた大勢の観客がいて、歓声や野次を送っていました。戦争というよりは、スポーツのようなものですね。
それをシャカは一変させるのです。
シャカの進撃がアフリカの歴史を塗り替える
まず、軽い槍はずっしりと重たい「イクルワ」(槍を肉から抜く時の音から命名)というものに変えました。
戦闘法は、前述の通り研ぎ澄まされた集団戦術を起用。
地域の戦争の歴史が一気に何世紀も進んだような、それはもう画期的で恐ろしい変化でした。
当然ながらズールー族は、これまでの踊りながら戦うような他部族を圧倒しました。
しかも彼らは、観戦しているだけの女性たちまで容赦なく襲い、区別なく殲滅。結果、多くの部族がズールー族に飲み込まれ、その支配下に置かれるのです。
シャカの進撃はアフリカの歴史を塗り替えました。
ズールー族から逃げた部族は「ムフェチャネ(分散・移動)」と呼ばれる民族大移動をし、移動先の部族を追い払い、安住の地を見つけようとします。
例えばスワジ族は、ズールー族との戦闘に敗れ、険しい山に囲まれたスワジランド王国を作りました。
地図で確認しますと、南アフリカ共和国の中にぽっかり空いた穴のように見えます。
これはまさしく、彼らがズールー族から逃げ切ったという証。
他にも、20年間で1600キロも移動した部族もありました。
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