「親孝行したいときには親はなし」という格言があります。
これほど身にしみる言葉もないですよね。両親だけでなく、祖父母やその他お世話になった人には、出来る限り早く恩返しをしたいものです。
本日はそのタイミングとしてうってつけのお話。
昭和二十三年(1948年)5月9日は、東京・日比谷公会堂で「母の日」大会が行われた日です。
今年は5月12日が母の日ですので何だか妙な気分ですけれども、この年は9日が日曜だったのでご勘弁ください。
ちなみに、現在でも国によって日付は異なります。
ほとんどは3~5月の日曜日のどこかみたいですね。
例外はタイ(王妃の誕生日である8月12日)やアルゼンチン(10月第3日曜日)などですが、まあカーチャンに感謝するのに季節を限定するのも何か違う感じがしますしね。
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提唱者の娘が教会に白いカーネーションを贈り……
「母の日」という概念自体は、アメリカで生まれたものです。
自国民同士の血で血を洗うような南北戦争の後、各家庭のカーチャンたちが
【夫や子供を二度と戦場に送りたくない】
といった運動を始め、その記念日が「母の日」とされたのがはじまりです。
当初は「母に感謝する日」ではなく、「母が活動する日」だったんですね。
そしてこの運動の提唱者であるアン・ジャービスという女性が亡くなった後、その娘アンナが母親の職場だった教会に白いカーネーションを贈りました。
翌年、アンナの母親思いに感動した他の人が「全ての母親のための記念日を作ろう」といい、同じ教会に集まります。
アンナは同意してくれた参加者全員に、母に手向けたのと同じ白いカーネーションを配りました。
このため、当初は「亡くなった母には白いカーネーションを、存命中の母には赤いカーネーションを」という区別がされていたのです。
現在では「それは母親のいない子供を差別することになるだろう」ということで、赤を贈るほうが多いようですが。
ウィルソン大統領が毎年5月の第二日曜に決め
謎解き系のゲームや小説が好きな方だと、こういうとき「花言葉が関係あるんじゃね?」と思うのではないでしょうか。
赤いカーネーションの花言葉は「敬愛」「あなたに会いたい」など。
白は「純潔」「純粋な愛」その他諸々だそうです。
どっちも存命中かどうかは関係ないような……(´・ω・`)
ちなみに、黄色だと「軽蔑」「あなたには失望しました」、ピンクは「母の愛」「あなたを決して忘れません」になるのだそうで。
あれ、赤よりピンクのほうがふさわしいんじゃ……?
まぁその辺は置いておくとして、アンナの周りで母の日を祝う習慣ができて6年ほどの間に、母の日はアメリカ中に広まりました。
そしてウィルソン大統領が毎年5月の第二日曜を母の日とすることを決め、さらに拡大化していきます。
タイではジャスミ、伊ではアザレア、豪ではキク科の花
他の贈り物が始まったのは、それから十年ほど経ったオーストラリアでした。
ジャネット・ヘイデンという女性が、女性老人ホームを尋ねた際、多くの孤独な母親に出会い、彼女たちのために何か喜ぶことをしたいと思ったのだとか。エエ人や。
少しずつこの運動は拡大化し、やがて「母の日って儲かるんじゃね?」と目をつけた各業界の企業によって、商業化されていったのです。
南半球の5月は秋のため、オーストラリアでは母の日にカーネーションではなく、キク科の花を贈るのだそうですよ。
英語で「クリサンセ”マム”」というので、”お母さん”と似ているという理由なんだとか。ダジャレか。
この単語でググる先生にお尋ねすると、ノースポールというよく見る白い西洋菊が出てくるので、たぶんそんな感じのものがよく用いられているのでしょう。ノースポールは春咲きですけども。
その他、タイはジャスミン、イタリアはアザレアを贈ることが多いそうです。
しかし、どこの国でも定番にこだわらず、バラなどを贈る人もいます。北半球ならちょうどバラのシーズンが始まる頃ですしね。
また、韓国では儒教の影響からか、母の日ではなく「父母の日」として両親両方の日になっていたり、エジプトのように父の日だけがないという国もあります。
この辺はお国柄というか、文化的な背景がうかがえそうですね。
日本には1913年に入り、定着したのは戦後から
さて、そんな流れで生まれた「母の日」が日本に入ってきたのは、1913年のことです。
女性教師や婦人会が広めようとしたそうで、当時は香淳皇后の誕生日である3月6日を母の日にしたせいか、あまり広まらなかったそうで。
そりゃあ、当時(大正時代)の世情からすれば皇后の誕生日=地久節のほうがインパクト強いですものね。
皇后=国母なので、意味としてはあっているのですけれども。
その後1937年5月8日に森永が「母の日大会」を行い、戦後の1949年以降にアメリカと同じく5月の第2日曜日に設定されたのだとか。
普段照れくさくて言えないような「ありがとう」や「いつもお疲れ様」。
これからも続いていってほしいものですね。
長月 七紀・記
【参考】
母の日/Wikipedia
母の日コム