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【ルシタニア号】
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「乗ると死にまっせ」
戦争が長期化するようだと踏んだドイツ政府は、1915年2月から、悪名高き無制限潜水艦作戦を実行します。
英国の周囲に封鎖海域を設定し、同年2月18日以降に通過を試みた船舶は無警告で沈めるとの方針を打ち出したのです。
当然、その対象には交戦国だった英国の船舶が含まれましたし、ルシタニア号とて例外ではありませんでした。
当のルシタニア号は、開戦後も英国政府に徴用される事はありませんでした。
高速が出せる特性があったものの、それだけ燃費が悪かったからというのが理由。
引き続き米英を結ぶ客船として運用され続けます。
ただし、軍需物資の運搬という密命もあったようです。船体も灰色に塗り替えられました。
ドイツ側からしたら、目の上のたんこぶなのは言うまでもありません。
ただし、行き先が当時の中立国であるアメリカである以上、アメリカ人が乗っているわけですし、そう簡単に沈める訳にもいかない。
かくして、新聞史上に残る恐怖の広告戦術に出ます。
それがコチラ。
↓
日本の新聞で言う、突き出し広告です。
ざっと訳してみましょう。
「リバプール経由で欧州へ。
最速かつ最大の蒸気船が大西洋航路にて運航中。
5月1日午前10時にトランシルバニア号が、7日午後5日にオルダシア号が、18日午前10時にトスカニア号が、21日午後5時にルシタニア号が、6月4日午後5時にはトランシルバニア号が出航します。
ジブラルタル、ジェノバ、ナポリ、ピレウス(訳注:ギリシャの港)を回るカルパチア号は5月13日正午の出航予定です」
と、ここまでは時刻表とでも言うべき内容。
驚かされるのは、その下にあるドイツ政府のセット広告なのです。
警告!
大西洋の航海をなさる渡航者の皆様は、ドイツ帝国とその同盟国、及び英国とその同盟国との間に戦争状態がある事をご認識なさって下さい。
つまり、戦場はブリテン島の周辺海域も含まれます。
ドイツ帝国政府からの公式通達によれば、英国とそのあらゆる同盟国の国旗を掲げた大型船は、これらの海域では攻撃の対象となります。
英国とその同盟国の船に乗って戦場である海域に航海なさる渡航者の皆様についても同様であり、危険は自らでご承知下さいませ。
ドイツ帝国大使館, ワシントンD.C. 1915年 4月22日
丁寧な文章ですが、こう言ってるに等しい。
WARNING
「乗ったらどうなっても知らんぞぉ!」
しかも、訃報広告でよく使われる、喪罫と呼ばれるラインで囲んでいます。
「乗ったら死にますよ」とも言っている訳ですね。
通常、どこの国でも、新聞社が広告を掲載するに当たっては、考査という手順を踏みます。
まず、広告主の素性をチェック。
相手が犯罪組織で、詐欺などを意図している場合があるからです。
次に、掲載内容が社会通念的に妥当かどうかを勘案します。
この際に良くないと判断したら、相手に修正を要求したり、場合によっては載せなかったりします。
週刊誌の新聞広告などで女性のヌード写真の乳首部分に★印を入れるのは、そういう流れなのです。
で、この場合はドイツ政府ですので、素性はパス。
問題は中身ですが、恐ろしい内容ではあるものの、戦争状態であるからには、危険性を認識して貰うというのは大事という判断になった模様。かくして掲載となった訳です。
もっとも、この広告を読んだ乗客の大半は馬鹿げた脅迫だと見なしていたそうですが。
高速船だが敵の魚雷も同じく速い
firstworldwar.com(→link)というサイトの記事によると、ルシタニア号にも慢心がありました。
25缶あったボイラーの内、6缶を使わなかったのです。
燃料を食いすぎるからと言うのが理由。
これにより、速度は21ノットに低下していました。
もっとも、これでも当時のドイツのUボートの最大船速である13ノットに比べれば高速でしたので「大丈夫」と踏んだのです。
ところが、これには見落としが。
そうです、魚雷は21ノット以上出ますので、狙われたら甚だ危険。
実際、その悪夢が現実となります。
アイルランド海峡で、U-20に発見されてしまうのです。
それは5月7日の事でした。
1,257人の乗客と、707人のクルーを乗せ、ウィリアム・ターナー船長の指揮の下、リバプールに向かっていた所を、ワルター・シュヴィーゲル艦長が率いるU-20の潜望鏡が、ルシタニア号を捕捉しました。
魚雷の航跡に気づきメガホンで絶叫するも
ヴィーゲル艦長は攻撃スキルの高い人でした。
前々日の5日にもスクーナー船であるアール・オブ・ルサム号を撃沈。
この時は浮上して、警告した上で砲撃して沈めていました。
翌日には同じくアイルランド海峡でキャンディデート号という貨物船を霧にまぎれて近づき砲撃と魚雷で撃沈させ、更にセンチュリオン号という客船を沈めています。
そして、7日午後1時40分、両者が遭遇したのでした。
この時も霧が立ちこめており、アイルランドの沖合に近づいていた事もあって、ターナー船長は減速を命じます。15ノットだったそうです。
英国側は、この3日間で3隻の船が沈められている事をルシタニア号に無線で警告しておらず、船長は予定通りの航路をとっていました。
一方、U-20は9ノットで前方から近づき、700メートルになった所で魚雷を発射――。
ルシタニア側でも、乗組員が魚雷の航跡に気づいてメガホンで絶叫したのですが、操舵室の方で聞き取れないという不運もあって、回避出来ずに命中してしまいます。
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