2023年4月、中国上海の国際モーターショーで、一悶着起きています。
無料配布のアイスクリームを中国人には配布せず、外国人だけには渡していた――一体どういうことなのか? そんな激怒が広まり、大騒動となっています。
「たかがアイスだけで……」
と思われたとしたら、中国の食文化を知らないからこそかもしれません。
中国には、羊のスープを惜しんだばかりに、命を落とした者もいれば、国が滅びんでしまった歴史まであるのです。
そんな中国で、よりにもよってアイスクリームを惜しむとは……歴史を学べば防げたはずの過ちでした。
なんせ中国といえば「世界三大料理」の東洋代表です。
中国
フランス
トルコ
例えば皆様が長い海外旅行へ行ったとき。この中から一つを主の食事とするならば、多くの方が中国料理(中華料理)をチョイスされるでしょう。
三大料理はいずれも大陸で発展し、様々な文化の要素が流れ込んでいますが、日本人の舌に圧倒的にフィット。
諸外国に旅行や出張で訪れ、たとえ現地オリジナルの食べ物が口に合わなくても、中華街に出向けば、一通り満足な食生活を送ることができるでしょう。
なんせ大きく分類するだけでも、現在、八種類の系統があるとされています。
1 山東料理
2 四川料理
3 湖南料理
4 江蘇料理
5 浙江料理
6 安徽料理
7 福建料理
8 広東料理
その歴史の深さも特筆モノです。
・孔子(紀元前552-479)の時代から、ウンチクが残されている
・遺跡から、凝った料理の存在を示す遺物が発掘される
日本人が縄文クッキーを食べて、ヨーロッパ人が獲物を焼いていた頃、
・中国では豪華な宴会が開かれ
・グルメ談義があった
というのですから、こりゃもう降参するしかありません。
まるで宇宙のような中国料理(中華料理)の歴史。
本稿では、その背景にある思想やエピソードについて考えてみたいと思います。
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孔子が語る 食事のマナー
酒池肉林――。
この有名な故事成語を聞けば、誰もが「宴でどんちゃん騒ぎだね」と美女や美酒を思い浮かべることでしょう。
実は中国における食文化を示すとも言え、以下のような意味もあるのです。
「酒池肉林のように、マナーをわきまえずにどんちゃん騒ぎをする連中は滅びても仕方ないことですね」
要するに、マナーを守って食べることこそ正しいのだ、と。
飲食、礼儀、道徳まで一体となっているのです。
中国においてあるべき礼を定めた孔子は、食事についてもきっちりと決めております。
・主食>肉であること
・穀類を主食として食べること
・酒はたくさん飲むことは問題なし、ただし乱れてはならない
・買った酒や売り物の干し肉は食べない(※食の衛生に気をつけて、食中毒を防ぐため)
・祭で出した肉は、三日以内に食べること
・食べる時や寝る時は、やたらと喋らない(※飲食や睡眠が不足するかもしれないから)
・粗末な食事でも、感謝を欠かさない
・村で宴会をする時は、杖をついて歩く老人を先に退出させて、年長者に敬意を示す
・服喪中は大量に食べたり飲んだりしない
あれれ?
現代社会でも通じる食のマナーであり、安全とも言えますね。
実は孔子の語り残したことは、こういうことが多い。合理的かつ、食品の衛生にも気を遣っています。
いつしかお持ち帰りが前提に
一方で、孔子がとなえた儒教的観念から、今とは異なる部分もあります。
現在ならば、マナー違反となるような行為が、賞賛されることもありました。
日本史に欠かせない「儒教」って一体何なん?誰が考えどう広まった?
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それは
【宴会からの食物の持ち帰り行為】
です。
食品衛生的に問題がありますし、お行儀が悪いですよね。と、これが動機次第なんです。
「こんなに美味しい料理は、家で待つ老母にも是非味わっていただきたいのです。持ち帰ってもよろしいですか」
そう言い出す者がいれば、圧倒的にその場で「いいね!」の嵐になります。
親孝行の極みとされる。儒教的価値観ゆえですね。
陳(6世紀)の徐孝克は、事前に断ることもなく盗み出して持ち帰りました。
が、動機が親孝行であったため、やっぱり「いいね!」の嵐です。
「盗んで怒られるリスクを犯してでも、老母に美食を持ち帰りたい! もう、これは泣く……!」となる。
唐以降は、もうおおっぴらに盗んでも大丈夫。
時代が降ると、はじめから親に持ち帰るためのお土産パックも準備されるようになったとか。
明代まで時代が降ると、むしろ残すと怒られるほどです。
「ちゃんと持ち帰って、親御さんに食べていただくまでが宴でしょっ!」
そういうあたたかい気遣いが、そこにはありました。
地獄のような石崇の贅沢ライフ
一方で、孔子が見たら眉をしかめてしまうような、当時からドン引きもの、最悪の飲食事例もあります。
酒池肉林も、その一例ですね。
※『封神伝奇-バトル・オブ・ゴッド-』のような世界観には、やっぱり酒池肉林だね!
この手のバカ話が頂点に達するのが、魏晋南北朝あたりです。
『三国志』の後、乱世でタガが外れてウェーイしていた奴らがいました、と記録に残っています。
「酒は水だーッ、肉は豆の葉だもんねーッ!」というのが、当時パリピの風潮。
そんな地獄のような贅沢ライフをちょっとご紹介しましょう。
西普の高級官吏であり、リッチセレブだった石崇(せきすう)の場合です。
・食器を洗うのに砂糖水を使う(※特に意味はない、ただの贅沢自慢)
・白蝋を薪として使う(※特に意味はない、ただの贅沢自慢)
・豚に人乳を飲ませる(※特に意味はない、ただの贅沢自慢)
・楽器を演奏する美人ホステスが間違えると、殺害(※特に意味はない、ただの贅沢自慢)
・食や酒を勧める美人ホステスがミスすると、殺害(※特に意味はない、ただの贅沢自慢)
・美人ホステスが勧めたものを客が食べないと、殺害(※特に意味はない、ただの贅沢自慢)
恐ろしいほどに全部意味がない……。
なんだこいつら、痛い目にあってしまえよ!と突っ込みたくなりますよね。
その結果がコレです↓。
『三国志』時代は人が大量に死に過ぎ~人口激減で漢民族は滅亡危機だった?
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漢民族は、気候変動、異常気象、政治混乱、相次ぐ戦乱等により、戸籍上七割減少というとてつもない事態に陥ります。
しかし皮肉にも、こうした悲劇が、新たな飲食文化の変化をもたらしました。
異民族の飲食が伝わったのも、民族の大移動あればこそです。
そんな中、漢民族はこう言い合うわけです。
「パリピみたいにバカな飲食をしていると、痛い目いあうから気をつけるんだ。孔子の精神を取り戻せ!」
そう。中国の歴史と飲食文化は、切り離せないのです。
例えば、主食ひとつとってもそうです。
現在に至るまで中国北部は粉食、南部は米食が優勢であるとされます。
「中国は春節に、餃子を食べるもの」というようなこともチラホラ見かけますが、これもちょっと誤解があります。
北に行けば行くほど異民族由来の食を含めた文化となり、南は漢民族固有のものが残っているもの。気候もあるとはいえ、これは確かなことです。
多くの文化が入り混じって、中国料理があるのです。
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