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【中国四大美人】
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花も羞じらう「羞花美人」楊貴妃(ようきひ)
時代:唐(719-756)
定番ポーズ:「貴妃酔酒」あでやかな酔態は満開の牡丹のよう。温泉好きであることから入浴場面も定番
特徴:豊満な肉体。デコルテを出した唐代の服と相性抜群
欠点:体臭
最近演じた女優:范冰冰(ファン・ビンビン)
エジプトの伝説的美女クレオパトラ、小野小町(あるいはトロイア戦争を引き起こしたヘレネ)と並んで、日本では世界三大美女と呼ばれることもある楊貴妃。
『長恨歌』等により、古くから日本でも知られ、愛された女性です。
紫式部は『源氏物語』において、帝から絶大な寵愛を受けた光源氏の母・桐壺更衣を楊貴妃のような寵愛ぶりとたとえました。
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このように中国のみならず、日本でも古くから文学や絵画の題材になっています。現代でも彼女が出てくる映画、ドラマ、テレビコマーシャルがおなじみですね。
本名は楊玉環。
玄宗の子・寿王李瑁となったものの、あまりの美しさに玄宗自身が惚れ込んでしまいました。
彼女は出家し女冠(道教の女道士)となり、その後玄宗の高宮に入り「貴妃」(妃の位)となりました。
玄宗の寵愛を一身に集めた楊貴妃は、彼女のいとこや姉妹などの親族も大出世を果たします。当時の人々は、男児よりも女児をありがたがり、願わくば楊貴妃のように寵愛されて欲しいと願ったとか。
しかし彼女自身に政治的野心は一切なく、ただ天真爛漫に生きていたようです。
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彼女への愛に溺れた玄宗は、次第に政務を怠るようになってしまいます。
その結果「安史の乱」(755-763)が勃発。756年、玄宗らとともに長安から逃亡中、馬嵬という場所で護衛兵たちは楊貴妃の命を要求しました。
「このような乱が起こった元凶が彼女だからだ」
それが兵士たちの言い分でした。
玄宗は「楊貴妃は政治に口を出さなかった、罪はない」とかばいますが、兵士たちはおさまりません。かくして、やむなく楊貴妃は絞め殺されてしまったのでした。
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この悲劇を詠んだのが、前述の『長恨歌』です。
優れた文学作品により、彼女の伝説的な美貌と悲運は人々の記憶に残りました。
楊貴妃は唐代美人の特徴ともいえるグラマラス……といえば聞こえはよいのですが、後世からするとかなりふくよかな体型だったようです。
ライバルの妃は彼女を「あのデブ女」と呼んでいたとも伝わっています。
中国の古典では「楊貴妃みたいな美人」というのは「ぽっちゃり体型」の言い換えであったりします。
唐代の衣装は彼女のようなグラマラス美女を引き立てるため、ともかく胸元が開いているのが特徴です。
この時代を舞台にした映画やドラマは、そちらに気が散ってしまって話の筋が追えなくなるほど、女優陣が谷間をチラつかせております。
楊貴妃のゴージャスぶりは、谷間だけではありません。全身からえもいわれぬかぐわしい香りがしたため、花がはじらいしぼんでしまったという伝説も。
しかしこれも実際のところ強烈な体臭だったのでは、と解釈されることもあるとか。
あるいは涙や汗をハンカチでぬぐうと紅く染まったという伝説も。ここまで香りが濃いと好き嫌いも分かれるでしょうね。
ライチが好物で、玄宗はわざわざ原産地から長安まで運ばせました。楊貴妃の死の直後もライチが届けられ、それを見た玄宗は号泣したそうです。
そのためか、ライチを用いたリキュールやカクテルには、彼女の名前をつけたものが数多く存在します。
★
いかがでしたでしょうか。
それぞれタイプは異なるものの、激動の歴史に翻弄された四人。彼女らの人生や美貌を想像しつつ、ライチリキュールを一杯、なんていうのも乙かもしれませんね。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)