ヨーロッパの宗教といえばキリスト教。
多くの人に信仰されるようになった経緯については大きく二つに分かれます。
一つはかつてローマ帝国の版図にあったところで、当然ながらローマ帝国がキリスト教化していく中で信仰も広まっていったと考えられます。
もう一つはそれ以外の地域で、土着の宗教があったところ。
こちらはある程度の時代まで固有の信仰を守り続けていましたが、物騒な軍団の侵攻によって宗教を変えさせられてしまったのです。
後者については東欧地域が対象になることが多く、”北方十字軍”と呼ばれています。
地図上の北というよりは当時のヨーロッパで北部にあたるところを意味したのでしょうね。もしくは、本来の十字軍の行き先=エルサレムよりも北を攻略対象にしたという意味でしょうか。
1236年(日本では鎌倉時代・嘉禎二年)9月22日に起きたザウレの戦いは、その緒戦ともいえる戦いです。
リヴォニア帯剣騎士団、参上! 一応、聖職者っス
日本では鎌倉幕府にあたる古い時代のことですから、はっきりした史料はあまり残っていません。
ぶつかった場所が沼地だったため、戦闘が長引かず小競り合い程度で済んだということも大きいでしょう。訳によって戦った軍の名前すら曖昧ですが、どんな人々だったのかだけは判明しております。
攻め込んでいったのは【リヴォニア帯剣騎士団】という、なんだかそのまんまな名前の一団。
どう見ても聖職者の集まりには見えませんが、それはキリスト教のデフォルトですね。
迎え撃ったのは、戦場となったリトアニア大公国という国でした。現在のリトアニア+αに当たります。
「それどこよ?」という声が聞こえてきそうなので地理的なことを大ざっぱに言いますと、モスクワからちょっと西、ウクライナ・ベラルーシの少し北にある国です。
ちょっと前まではこの辺みんなソ連の一員もしくは影響下にありましたので、まとめて「東側」なんて呼ばれることもありますね。
宗教的にいえば今はどこもキリスト教圏で、そのきっかけは【ザウレの戦い】のようなキリスト教武装集団との戦いだった……というわけです。
この手の話、いつもどこかで流れているような気もしますね。
リトアニア側の勝利に終わる
結果としては、騎士団側がトップを含む数十人のお偉いさん+隊の8割を失い、大いに弱体化したという散々なものでした。
リトアニアも被害は出ていますが、数字的にも割合的にもそこまでではなく、見事撃退に成功したといえます。
また、ザウレの戦いと同時進行で近所の国・エストニアでも似たような戦いが起きていました。このため所詮よそ者のキリスト教側は互いに協力することもできず、あっちこっちで負けてより強い騎士団へ吸収されていきます。
その後は有力な国の傘下に入ったりやり返したり、はたまた消滅したりと騎士団ごとに全く違う道を辿りました。
なんだかんだで北方十字軍の勝ちでおk?
ビスマルクの国・プロイセンも実はこうした騎士団の一つを発祥としています。
しかも最初はカトリックだったのに、トップが部下を引き連れてプロテスタントに鞍替えした上で国を作ったという傍若無人振りです。
根性があるというかがめついというか、きたないな、さすが聖職者きたない(´Д`)
また、領地を失っても騎士団として存在しているところもあります。
マルタ騎士団といいまして、国連のオブザーバー(議決権はないが会議に出席できる人のこと)にもなっており、主権が認められています。
今では医療活動を主としているので、権威ある慈善団体といったほうがイメージしやすいですかね。
ちなみに攻め込まれていたリトアニアではその後、領土を広げた先でキリスト教が盛んだったりして結局キリスト教が広まり、ある意味、北方十字軍は成功したともいえます。
後世から見ているからこそ言えることですが、わざわざ手間と暇と犠牲をかけて殴りに行かなくても良かったってことですね。
残念(´・ω・`)
長月 七紀・記
【参考】
ザウレの戦い/wikipedia
北方十字軍/wikipedia
ドイツ騎士修道会