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ブーディカ像/photo by Aldaron wikipediaより引用

イギリス FGO

ブーディカが戦士女王となった哀しき理由 そしてケルト族はローマ軍に対して蜂起した

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人気スマホゲームの『Fate』シリーズ(FGO)。
「騎兵」のサーヴァントとして登場する【ブーディカ】は、『シヴィライゼーション』シリーズにも登場した史実のイギリス女王です。

心優しい女王様とかの類ではありません。
「国を守った愛国心」の象徴として、フランスにおけるジャンヌ・ダルクのような扱いを受けています。

日本ではイマイチ知名度の低い存在ですが、その凄絶な人生、炎のような闘争心は、時を超えて歴史ファンの心を震わせるもの。
彼女はローマ軍に叛旗を翻し、激闘に身を投じました。

一体なぜ?
そこにはケルト民族の哀しい歴史がありました。

 

他民族侵攻に苦しんだブリテン諸島

四方を海に囲まれながらも、ヨーロッパ大陸からは近接していたブリテン諸島。
周辺民族にとってこの島々は、古来より「すぐに侵略できそうな美味しい土地」でもありました。

今でこそ世界をリードするような存在でありますが、古くからこの島に暮らす人々は海からの侵略、そして20世紀以降は空からの脅威にさらされ、防備を固めるのに必死でした。
ざっと挙げますと……。

ギリギリのところまで追い詰められ、ついにはヴァイキングを撃破したアルフレッド大王(9世紀)。

英国史最強の王はアルフレッド大王か!? 焦げたパンの逸話は今もイギリス人に愛されて

スペインの「無敵艦隊」を撃破したエリザベス1世(16世紀)。

ナポレオンの侵攻から国を守り抜いたネルソン提督(18世紀)。

ネルソン提督(英海軍)こそ世界最強! カリスマ性と勇敢さに男も女も惚れてまうやろ~

「バトル・オブ・ブリテン」等激戦を勝ち抜き、ナチスドイツから国を守り抜いたチャーチル(20世紀)。

こう記すと
『やっぱり連戦連勝やないか!』
と思われるかもしれませんが、アルフレッド大王以前はいとも容易く侵略されていたのです。

実際、9世紀以降で海防に成功するようになってからでも、11世紀のノルマン・コンクエストには敗北しており、現在まで続くイギリス王室は、フランス系侵略者の系譜となっているほどです。

ノルマン・コンクエストの影響と裏話 ハロルド2世はこうしてウィリアム1世にやられました

では、ブーディカという女性はどんな存在なのか?

彼女は、もっともっと古い時代で実に1世紀のお話。
ブリテン諸島で多くの民族が溶け合う前の女王でした。

イケニ族の女王として娘たちと暮らしていたのですが、ある日を境に怒りを燃やす戦士女王として、ローマ軍相手に血みどろの叛旗を翻すようになるのです。

 

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ローマが私を裏切った……女王、怒りの涙

紀元前43年。
ローマ軍がブリテン諸島に上陸を開始しました。

そのころ、同諸島に暮らしていたのは、ケルト人と呼ばれる人々でした。

彼らは大陸から移動して定住したと思われる部族。
小さな氏族(クラン)単位で暮らしていました。

※ディズニー映画『メリダとおそろしの森』のヒロイン・メリダは赤毛の少女で、典型的なケルト系です

ブーディカの夫・プラスタグスは、こうしたケルト人氏族であるイケニ族の王でした。
彼らは当時ブリテン諸島を支配していたローマと良好な関係を保っていたのです。

イケニ族の支配地域/illust by Yorkshirian wikipediaより引用

王としての地位も保たれ、ブーディカは夫と娘たちと幸せに暮らしておりました。

ケルト系の人々は燃えるような豊かな赤毛が特徴とされますが、ブーディカも同様に赤く美しい髪をたなびかせていた――と伝わります。
王の妻らしく「トルク」(首輪)という装身具も身につけていたことでしょう。

トルク/photo by Rosemania wikipediaより引用

しかし幸せは、夫の死後、突如崩壊します。

妻として財産を継承できると信じていたブーディカに対し、ローマ側からくだされた返答は冷酷なものでした。

「ローマの法では、女性に相続権はない」
愕然とするブーディカ。話が違うではないか。

怒りが込み上げてくる彼女に対し、ローマはさらにイケニ族の領土を取り上げ属州としてしまいます。

そうなればもはやブーディカ自身だけの話ではありません。
イケニ族の貴族たちも住居や財産を失うこととなったのです。

「こんなことはおかしい! イケニ族に返してください!」
怒ったブーディカは猛然と抗議しました。

対する、ローマの仕打ちはさらに冷酷であり人道を外れるものでした。
ブーディカは鞭で打たれた挙げ句、娘たちはローマの兵士に陵辱され、奴隷とされたのです。

彼女の胸に、怒りの炎が滾りました。

「このままローマに服従するくらいならば、私は戦う!」

 

ケルト戦士の咆哮

紀元60年から61年にかけて、ブーディカはケルト戦士たちを集めました。

ケルト戦士というのは、燃えるような赤毛を石灰で固めた獰猛な戦士たちです。
装備面ではローマに劣るとはいえ、その果敢な戦いぶりは現在までも伝わっています。

現在はアメリカのプロレス団体WWEにおいて、アイルランド人人気スーパースター・シェイマスが、絶大な人気を誇っています。
2018年現在、「ケルト戦士」というのは彼のことを指すことが多いようです。

※シェイマス入場ビデオ/ケルト戦士をイメージした外見が特徴で、ケルト十字、鬚、白い肌、赤毛、固めた髪の毛、テーマカラーの緑色がカッコイイ

ケルト戦士の指導者として選抜されたブーディカは、野ウサギを放ち、女神アンドラステに祈りを捧げます。
ブーディカは勝利を意味する縁起のよい名前でした。

彼女の元で、ケルト戦士たちは咆哮をあげます。
「今こそローマの支配を打ち破るときだ!」

怒りに燃えるケルト戦士の群れは、カムロドゥヌム(現在のコルチェスター)を襲撃。

カムロドゥヌム(現在のコルチェスター)を陥落/map by Contains Ordnance Survey data © Crown copyright and database right wikipediaより引用

ローマは油断しきっていました。
あっさりと服従したケルトの連中が、何ほどのことがあろうか。そう考えていたのです。

寝耳に水の急襲を受けて、カムロドゥヌムは陥落。
続いて、ロンディニウム(現在のロンドン)、ウェルラミウムまでも攻略されました。

哀れなのはローマ人の民間人たちです。
怒りに燃えるケルト戦士の刃は、容赦なく彼らを殺戮したのでした。その死者数は7〜8万人とも。

彼らは捕虜を取ろうとも、奴隷として売り払おうともしませんでした。
戦いの神に捧げる生贄のように、ローマ人の死体は損壊され、さらされたのです。

ケルト戦士の勇猛さは、悪夢のような記憶として、ローマに刻まれたのでした。

※ローマ軍とブリテン諸島の戦士の戦いを描く映画『センチュリオン』

 

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反乱の終焉

むろん、ローマ側も黙ってはいません。

怒りのままに突き進むケルト戦士たちですが、その進軍は秩序に欠けており、家族たちまで移動していました。
軍隊としての精度では、本気を出したローマ軍にはどうしたって劣ります。

「ワトリング街道の戦い」で敵を迎え撃ったローマ軍は、大型の盾で武装し、ピルム(槍)を投げて来ました。

当時のローマ軍再現した様子/photo by MatthiasKabel wikipediaより引用

装備で劣り、秩序もなく、突撃しか術のないケルト戦士たち。
彼らの軍勢は、たちまち崩れてしまいます。

ローマ軍は敵が連れて来た妻子や家畜まで徹底的に血祭りにあげ、復讐の連鎖が続いてしまいます。

この大敗の末、ブーディカは服毒自殺を果たしたとも、病死したともされています。
いずれにせよ悲劇の戦士女王は敗北の末、そこで散ってしまいました。

ただし、彼女の蜂起は決して無意味ではありませんでした。

ローマ側は、ブリテン諸島における無道な統治を反省。
支配は改善されたのです。

そして後には、ケルト戦士の勇猛さと、勝利の名を持つ赤毛の女王の伝説が残されたのでした。

 

永遠のブーディカ伝説

復讐に燃えた戦士女王ブーディカ。
彼女の名は後世、詩や文学作品に残されました。

とりわけ知名度が高くなったのはヴィクトリア女王の治世からです。

イギリス王室に新たな王子や王女が生まれると、ブックメーカーはその名前の賭けを行います。

なぜそんなことが可能か?
というと、王室では名付けの法則があり、ある程度予測ができるからです。

例えば男子に英語圏で有名な「ジョン」をつけるのはタブーとされています。
理由は「ジョン失地王」があまりに暗君だったから。

尊厳王フィリップ2世こそフランス史上最強 ドロ沼の英仏関係をブッコワス!

ヴィクトリア女王も、今でこそいかにもイギリス女性らしい名前に想われますが、即位当初は「英国王室らしからぬイレギュラーな名前」とみなされていました。

確かにエリザベス、メアリ、アンとはちょっと趣が違いますね。

それもそのはず、本来ドイツ語由来の「ヴィクトワール」なのです。
ヴィクトリアが王位継承する可能性は当初低かったため、英国王室らしい名前をつけなかったのです。

大英帝国全盛期の象徴ヴィクトリア女王ってどんな人?その人物像に迫る

そんな女王のもと、大英帝国が全盛期を迎えたとき。ブーディカが再発見されます。

「“勝利”の名を持つ、ブリテン諸島の偉大なる女王!」
勇ましく軍勢を率いるブーディカのイメージは、ヴィクトリア女王と重ね合わせるのにはぴったりでした。

戦前日本での神功皇后の扱いに似ているかもしれません。

 

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スコットランドブームの中で

18世紀以降、それまであまり注目されてこなかったケルト文化への関心が高まっていたことも、こうしたブーディカへの熱視線を後押ししました。

当時の人々にとって、キリスト教文明に毒されていない彼らの文化は、新鮮で素朴なものにうつったのです。

当時の理想を反映して、ローマ風衣装のブーディカ/wikipediaより引用

当時はスコットランドブームが巻き起こり、Oscarという名前がロマンチックなものとして好まれたりしています。

英語読みで「オスカー」。
フランス語読みだと『ベルサイユのばら』でおなじみの「オスカル」。

これはスコットランドの詩人・ジェイムズ・マクファーソンの作品『オシアン』によって広まり、ブームになったものです。

ナポレオンも「オスカル」という名前が大層好きだったようで。
彼の元部下ベルナドットと元彼女デジレの間に生まれた息子は、ナポレオンによってオスカルと名付けられています。

ブーディカ伝説は、こうしたケルトブームとヴィクトリア女王礼賛の空気の中、一気にブレイクを果たすのです

当時の絵画作品では時代考証を無視して、当時の理想であったローマ風で描かれているあたり、ちょっと時代を感じますね。
現代のブーディカ像は、本来の豊かな赤毛に勇ましい戦化粧をしたものが多いようです。

※ヒストリーチャンネル、ブーディッカの紹介動画

※2003年の映画『ウォリアークイーン』予告編

日本では知名度がイマイチですが、英語圏を中心にして「勇猛果敢なケルト戦士の女王」として人気を誇るブーディカ。
多くの人々の夢やロマンを載せて、今日も彼女は戦車を率いて駆け回っています。

ブーディカ像/photo by Aldaron wikipediaより引用




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文:小檜山青

【参考文献】
イギリスの歴史を知るための50章 (エリア・スタディーズ150)

 



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