ステレオタイプなヴァイキング/wikipediaより引用

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最強海賊ヴァイキングはどこから来てどう広まった?欧州に拡散した荒くれの血

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山や海は人智の及ばぬ神の領域――。
古代の人には畏怖の対象でしたが、いつの世も、恐怖を乗り越え何かを発見したり、作ったりする人たちもいます。

今回はその一例で、荒っぽいイメージの人々。

793年(日本では奈良時代・延暦十二年)6月8日は、ヴァイキングがイングランド侵略を始めた日です。

リンディスファーン島という聞き慣れない場所の修道院を襲撃しました。

どの辺の場所で起きた話なのか。
ヴァイキングの歴史と共に見て参りましょう。

 

イギリス中部のリンディスファーン島へ

リンディスファーン島は、イギリス中部の北海側にある島で、ノルウェーの対岸にあたります。

グーグルマップでは「ホーリー島」と表記されているところですね。

この日この島に上陸したヴァイキングがどの辺出身の人だったのか。
その辺りの情報は不明ながら、比較的すんなり到着できたのではないでしょうか。

現代ではエディンバラから車で1時間半ほど、ロンドンからは6時間半ぐらいの距離です。

日本だと、岡山~神戸と東京~神戸間ぐらいですね。
そう考えると結構遠いな。

現在この島はバードウォッチングで有名だそうで、もしも現地を訪れるのでしたらロンドン観光よりスコットランド観光のおまけと思ったほうが良いかもしれません。

潮の干潮で地続きになるリンディスファーン城も有名ですね。

リンディスファーン城/wikipediaより引用

 

修道院は破壊され、略奪され、僧侶たちは逃げ出した

ヴァイキングがやってくる160年ほど前。
この地にスコットランドの人々が修道院を建てました。

学問も盛んだったらしく、福音書(新約聖書のイエス・キリスト観察日記の部分)の訳本などを作っていたようです。

潮の満ち引きによってはブリテン島と繋がるという現象に、古代の人々は何かしら神聖なものを感じたのかもしれません。
フランスのモン・サン=ミシェルも同じような立地条件に作られていますしね。

そうして静かな暮らしを送っていたであろうリンディスファーン島が、突然終わりを告げます。

ヴァイキングがやってきたのです。

彼ら侵略者からすれば、キリスト教は「異国のよくわからん宗教」でしかありません。
自分達が居着くためには邪魔でしかなく、そのため修道院は破壊され、略奪され、かろうじて生き残った僧侶たちは島から逃げていきました。

廃墟となったリンデスファーン修道院/photo by Russ Hamer wikipediaより引用

ヴァイキングたちはこれに留まらず、リンディスファーン島からブリテン島を北西へ突っ切ったような位置にある、ヘブリディーズ諸島なども征服しました。

歴史上では、これがヴァイキングによるイングランド征服の始まりだとされています。

 

ノルマンディーにも上陸 フランスから土地を与えられる

元々彼らも、越冬地や暮らしやすい土地を求めて移動してきていますので、暴れるだけ暴れたら帰る――というワケでもありません。

その後、土着し、地元の人々と混血していきました。
この時点で、国家を作ろうとか、そういう意図ではなかったと思われます。

ヴァイキングによる本格的なイングランド征服が始まったのは、それから約200年ほど後のことです。
その間に、彼らはフランス北東部も侵略していました。

今日「ノルマンディー」と呼ばれる地域です。

第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦でもかなり有名ですね。

3分でわかるノルマンディー上陸作戦!海だけでなく空からも英米軍の空挺師団が

ヴァイキングはノルマンディーを征服した後、フランスの前身にあたるフランク王国から土地を与えられ、ある程度の土地と地位を得ました。
ここを足がかりにイングランド南東部を攻略していくのです。

 

北海帝国を経て

もちろんイングランドの人々も抵抗しました。
が、最終的にはデンマークの王子・クヌート(カヌート・クヌーズとも)によって征服されてしまいます。

彼はノルマン朝イングランドとデンマーク、ノルウェーの王位を兼任し、北海の三方を取り囲む地域の王となります。
国名もそのまんま「北海帝国」です。

北海帝国の一部になった後もイングランド人の抵抗は続きますが、今度はノルマンディーの人々がイングランドに侵攻してきたため、一時は三つ巴のような状況になりました。

最終的にノルマンディー公ギヨームが勝ち、ウィリアム1世と名を改め、ノルマン朝を開始。
ギヨームによる征服を「ノルマン・コンクエスト」と呼び、ここからイングランドの王制が本格的に始まったと見られています。

また、征服者による王朝ということで、最初から王権が強い地域にもなりました。

しかし、時代が下るに従って議会の力も強くなっていくのが面白いところです。

ノルマン朝が開かれたのが1066年で、その後プランタジネット朝に変わったとはいえ、マグナ・カルタによって王様の権力が制限されたのが1225年ですから、王様が完全に国のトップだった期間は160年ぐらいになります。

まぁ、マグナ・カルタができたのは、当時の王様のデカすぎるポカが大きく影響したのですが……その辺はまた別の話ですね。

マグナ・カルタ(大憲章)の成立がわかる! 王様の権利を制限したのは相手がバカ殿だったから?

 

アイスランドは住みやすく、グリーンランドは氷ばかりの不思議

ヴァイキングは他にもさまざまな国へ影響を及ぼしました。

上記のイングランド・フランスの他、さらに南下してスペインに行った人もいましたし、そこから地中海方面へ向かって、シチリア島にまで進出した人もいたのです。

現在なら北欧~イタリアの直行便があります。
しかし、当時は陸路&海路のみです。相当な期間を要する旅だったでしょうし、移住ともなればおそらく数代に渡って行われたでしょう。

ヨーロッパ文明の祖というとローマ帝国や古代ギリシアのイメージが強いですが、ヴァイキングもその一つであることは間違いないですね。

また、北方で新しい土地を見つけた人々もいました。
グリーンランドやアイスランドは、ヴァイキングによって発見され、名付けられた土地です。

アイスランドは
「こんなに居心地の良い島は他のヤツらに教えたくない! そうだ、”氷の島”って呼べば誰も来ないよな!」
という理由で、この名前になったとか。
実際には火山や温泉もありますし、そもそも海流のおかげで緯度の割には温暖です。

逆に、グリーンランドは
「広い土地を見つけたけど、氷ばかりで開発が進まない……”緑の島”と名付けて、皆に来てもらおう!」
という経緯で名づけられたといわれています。

ヴァイキングが乗っていたオーセベリ船/wikipediaより引用

順番としては、まずアイスランドにヴァイキングが定住。
しばらく後の時代にエイリークという人が殺人の罪で追放され、船旅の末にグリーンランドを見つけたとか。

なぜ陸地のある方向じゃなくて大海原の方向を選んだのか?
理解に苦しみますが、ヴァイキングの血がそうさせたのかもしれませんね。

以前「北欧から北極海を通って日本にやってきた」という人の話をしましたが、北欧には
「広い海! ならば行かずにいられないッ!!」
みたいな風土があるのかもしれません。

北極圏を乗り越え明治の日本にやってきた北欧人ノルデンショルドの功績

長月 七紀・記

【参考】
リンディスファーン島/wikipedia
ヴァイキング/wikipedia
ヴァイキングの活躍と地中海の関わりについて/地中海フーズ
グリーンランドの歴史/wikipedia
アイスランドの歴史/wikipedia

 



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