1922年12月6日は、英愛条約によりアイルランド自由国が成立した日です。
独立でもなく、現在の国名ともちょっと違うあたりが何とも不穏な空気を醸し出しますね。
これにはアイルランドとイギリス(イングランド)の、一筋縄ではいかない関係が影響しています。
本日はこの日に至るまでのアイルランドの歴史と、同時にイギリスとの関係を見ていきましょう。
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伝説上のアイルランドは理想の地?
アイルランドといえばイングランドとの険悪さがよく取り沙汰されますが、実はスコットランドとの縁も深い土地です。
上記の地図をご覧の通り、海を挟んですぐお隣ですからね。
旧約聖書にまつわる伝説では、スコットランド人の祖先はエジプトの王女・スコゥタとその夫になったギリシアの王子・ゲイゼロスだったといいます。
彼らは重税の撤廃を求めるエジプト市民たちから逃げるため、エジプトを出て新天地を目指したのだとか。
そして地中海を船でさまよい、一時はスペインのブリガンシア(現在はア・コルーニャ)を築いて腰を落ち着けたものの、現地民との戦いが続きました。
戦闘に疲弊した彼らは、改めて新天地を目指すべく先見隊を海へ送り、見つけたのがアイルランドだったといいます。
スペイン→アイルランド間となるとかなり北上したことになりますが、アイルランドは北大西洋の海流のお陰で、緯度の割に温暖な地域。
かつ、島内の最高峰で1038mという比較的平坦な土地でもあり、農業や牧畜にも向いています。
旧約聖書でも砂漠気候であることを強調されているエジプトに住んでいた人々からすれば、まさに天国みたいな土地に思えたでしょうね。
その後二回に渡ってスペインからアイルランドに入植が試みられ、三度目のときに元エジプト人たちがアイルランドを征服したとされます。
もっともこの伝説については、以下のように、かなりかっ飛ばしたパターンもあります。
「スコゥタが直接アイルランド経由でスコットランドにやってきた」
お姫様、つよい。
史実としては、紀元前8000年頃に人類が定住し、7世紀頃にキリスト教が伝来して西欧の一部としての歴史が始まっていったようです。
キリスト教についてはコルンバという司祭によってアイルランド→スコットランドで伝えられたともいわれているので、ここでも両国の結び付きがわかります。
アイルランドからみると、イングランドよりもスコットランドのほうが海上の距離が近いため、文明が発展途上だった時代も渡りやすかったのでしょうかね。
ちなみに、コルンバは布教の使命に燃えて渡海したわけではありませんでした。
①コルンバが師匠・フィニアンの本を許可なく勝手に書写したことから大ゲンカ
↓
②聖職者だけでなく一般人まで巻き込んで大規模な戦闘へ発展
↓
③罪の意識に苛まれてスコットランドに逃亡
という、割としょーもない理由だといいます。
これまた伝説なので検証はできませんが「火のない所に煙は立たぬ」というように、部分的には真実が含まれているのでしょうね。
やっかいな隣人・イングランド
12世紀からイングランドが大きく干渉してきたことにより、両国の歴史的な因縁ができていきます。
正確には「バイキングの末裔であるノルマン人がイングランドを征服し、次の獲物としてアイルランドに目をつけた」というところです。
しかし、侵攻が成功してアイルランドで勢力を持つノルマン人が出てくると、イングランドの王様・ヘンリー2世(1133-1189)は心配になりました。
「こんなに近いところで、強い国ができたらひとたまりもない」
勝手なものです。
そこで、禍根を断つためにアイルランドのノルマン人へ攻め込みました。もう何が何やら。
イングランドに組み込まれていくアイルランド
攻め込まれた側のアイルランド軍は、ダブリン(現在のアイルランド首都)以外のところでは勝ち続けることができました。
先に居着いていたノルマン人たちが、うまくアイルランドに溶け込んでいたからです。
となると、軍としてのまとまりが生まれるのも当然の話。
一方で、イングランド軍の兵からすればこうなります。
「王様は心配してるみたいだけど、わざわざ戦争なんてしなくてもいいじゃないか。俺達は家族と一緒に穏やかな暮らしがしたいのに」
こんな調子じゃ、戦意に雲泥の差が生まれるますよね。
かといってアイルランドの全面勝利で終了! とはならず、結局は、ときのイングランド王・ヘンリー2世が直々にやってきた後は徐々にイングランドの支配下に組み込まれていくようになりました。
そうこうするうちイングランドでも内戦が多発したことによって、以降200年ほど両国の関係は小康状態になります。
まあ、その間に「ノルマン人がアイルランドに土着しすぎるのはマズイ。地元民との結婚とかアレコレ禁止しよう」という法律ができたりして、穏やかとはいいきれなかったのですが。
次に話がキナ臭くなるのは、ヘンリー8世の時代です。
あの奥さんを殺しまくったことでよく知られる王様であり、エリザベス1世の父でもあります。
ヘンリー8世は、世継ぎの男の子を得るために、無理やりカトリックを捨てて英国国教会を作りました。
これは、敬虔なカトリックであるアイルランド人や、支配者層のノルマン人にとっては許せないこと。
反乱を煽る聖職者も表れ、ものの見事に武力衝突があっちこっちで起こります。
さらに数十年後、エリザベス1世が「アイルランドの土地をぶん取ってイングランド人に与える」という、カツアゲ政策を取ったため、イングランドに対する感情が一気に悪化してゆきました。
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