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アイルランドとイギリスはなぜ不仲? 難しいお国事情をスッキリ解説

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アイルランドとイングランドなぜ不仲?
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チャールズ1世を支持したばかりに結果60万人が亡くなる

ジェイムズ6世はスコットランドの出身です。

彼は王位に就くやいなや、

「スコットランド人にアイルランドを支配させてうまくいけば、スコットランド・イングランド・アイルランド全てが俺のものになってウマー!」(超訳)

と考え、実行してしまったのです。

これもまた、アイルランド人にとっては許しがたいことでした。

せっかく王様が変わって土地が戻ってくると思ったのに、また別のヤツらがかすめとっていこうとしているのですから。

しかしイングランドで清教徒革命が起きたとき、アイルランドは大きな失敗をしてしまいます。

この革命をざっくり言うと、「イングランド国王チャールズ1世が清教徒(ピューリタン・キリスト教の中でも潔癖な宗旨を持つ)を弾圧した反動で起きた」ものです。

このとき、アイルランド人達はチャールズ1世を支持していました。

チャールズ1世の妃がカトリックだったので、「俺達のことも少しは理解してくれるだろう」と思っていたのです。

が、チャールズ1世を公開処刑した革命軍は、返す刀でアイルランド人を虐殺しはじめます。

病や飢饉も平行して起こり、実に60万人ものアイルランド人が犠牲となりました。

これでは、アイルランド人がイングランド人、そしてその後継者であるイギリス人に良い印象を持てないのも当たり前の話です。

アイルランド人も黙って支配されているばかりではなく、フランス革命に習おうとしたこともありましたが、あえなく失敗。

イングランドがイギリスになった後は懐柔策として、イギリス議会にアイルランド人議員の席ももうけられましたが、それだけでは腹の虫が収まるわけもありません。

 

ジャガイモ飢饉が起こっても小麦の輸出を継続させ

そんなところで、もう一度大きな火種……というか、爆弾が投げ入れられます。

1840年代の【ジャガイモ飢饉】。

歴史の世界でアイルランドの名前を出すとき、クロムウェルによる虐殺事件と並んで欠かすことができない、もう一つの悲劇です。

飢饉自体はジャガイモの病気が原因なので、偶然起きたといえなくもないのですが……それに対するイギリス政府の対策がひどすぎました。

「ジャガイモが食べられなくても、ヨーロッパなら小麦でパンが作れるじゃん。っていうか主食はパンでしょ?」と思いますよね。

しかし、この時期のアイルランドは小麦を作っても、イギリスに輸出する(させられる)ばかりで、自分たちはジャガイモを主食としていました。

その主食が食べられなくなっても、イギリス政府は小麦の輸出をやめさせないばかりか、何ら救済策を講じなかったのです。

これ以前の飢饉では、アイルランド内で小麦の流通が図られたというのに、です。

体力のない者から次々と倒れ、少しでも余裕のある者は新天地を求めて海を渡った結果、アイルランドの人口は300万人近く減ってしまいました。

うち死者が80万~100万、移民として他の国へ行った人が200万くらいと考えられています。

あまりにも被害が大きすぎて、正確な数字がわからないのです。

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