ヴィクトリア女王

ヴィクトリア女王/wikipediaより引用

イギリス

大英帝国全盛期の象徴・ヴィクトリア女王はどんな人で如何なる功績があるのか

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最愛の夫を無能なアルバートが殺した!

ヴィクトリアアルバートもきまじめな性格でした。

が、長男のアルバートは親には似ない奔放な性格でした。

ヴィクトリアの伯父にあたるジョージ四世もかなり遊び好きな性格でしたから、そちらに似たのかもしれません。

両親にとって長男アルバートは悩みの種であり、ヴィクトリアは我が子を「無能」と呼んでいました。

ここからは、二人もアルバートが出てきてまぎらわしいので、便宜上、王子の方を愛称の「バーティ」と記します。

バーティは在学中のケンブリッジ大学でも悪友とつるみ、学則違反をするという苦情が学寮長から寄せられました。

当時ケンブリッジ総長をつとめていたアルバートにとってこれほどの屈辱はありません。

大学まで出向き、息子を叱りつけねば気が済みません。そして……。

アルバートは激務続きで体調を崩していたにも関わらず、大学へと向かいます。

そして我が子に小言を言ってから戻ってくると体調を崩し、そのまま帰らぬ人となります。1861年、アルバート公はまだ42歳の若さでした。

早すぎる夫の死にヴィクトリア女王は悲嘆にくれ、その怒りはアルバートの死の一因となった我が子バーティへと向けられます。

ヴィクトリアはバーティを無能と決めつけ、「あんな無能な男に政務なんかできるわけがない!」と政務から遠ざけてしまうのでした。

バーティも母に反発し、煙草嫌いのヴィクトリアの前で、これみよがしに葉巻を吹かしたと伝わります。

バーティー/Wikipediaより引用

バーティはのちに、絶世の美女と名高いデンマーク王女アレクサンドラを妃として迎えてからも、享楽的な生活をやめる気配はありませんでした。

アレクサンドラは伝説的な美貌で知られるオーストリア皇后エリザベートにも匹敵すると言われたほどの美貌の持ち主であり、ヴィクトリアもこの嫁を気に入っていました。

これほどの美女を嫁として迎えながらも遊び回るバーティに、ヴィクトリアはますます怒りをつのらせます。

一説によれば、バーティの愛人は百人を越えたとか。

バーティの愛人の一人にアリス・ケッペルという女性がいましたが、彼女はチャールズ皇太子の愛人であり、のちに再婚したカミラ妃の祖先にあたるそうです。

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「女王」だけではなく「女帝」へ

ヴィクトリアは女王として有名です。

そして同時に、インドの「女帝」という称号も持っていました。

大英帝国の女王として君臨していたヴィクトリアには、ある不満がありました。

同じ君主でありながら、皇帝の方が王より格上とされていたことです。

ロシア、そしてプロイセンごときが「皇帝」を名乗り、英国女王より格上であるなんて、ヴィクトリアには許せません。

彼女の娘はプロイセンに嫁いでいます。

その娘が産んだ外孫の方が、直系の孫よりも「格上」になるなんて、我慢がならないことでした。

1876年、ヴィクトリアは首相のディズレーリをせっついて、「女王にして女帝のヴィクトリア」という称号を名乗れるよう、法案を提出させ、議会を通過させます。

「女帝」という称号はイギリス国民にはなじみがなく、あまり人気はありませんでしたが、ヴィクトリアのプライドには「女王」の称号だけでは足りなかったのです。

 


「諸君、さぁ一服楽しもうじゃないか!」

女王だけではなく、女帝としての称号を手にしたヴィクトリア。

1901年、20世紀という新しい世紀を迎えたその年、ヴィクトリアは64年近くに及ぶ長い統治を終え、81歳と7ヶ月という長い人生を終えます。

イギリスの君主としての在位期間は、2015年にエリザベス2世が破るまで最長でした。

親の統治が長いということは、皇太子にとっては重荷でもあります。

偉大な母が世を去り、自身が戴冠式を迎えた晩。今やエドワード七世として即位した彼は、晩餐会に出席した賓客たちにこう声を掛けました。

「諸君、さあ一服楽しもうじゃないか!」

煙草を毛嫌いした母親への嫌味がこめられた一言です。

エドワード七世が統治した第一次大戦前夜の時代は、明るく開放的な「エドワード朝時代」として記憶されることになります。

こののちイギリスは、二度の世界大戦と植民地の独立によって、「日の沈まない帝国」としての役割を終えます。

かくしてヴィクトリアの統治していた19世紀こそ、大英帝国全盛期でした。

その象徴であったヴィクトリアは、輝かしい女王として人々の記憶に残り続けるのです。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
君塚直隆『ヴィクトリア女王―大英帝国の“戦う女王” (中公新書)』(→amazon

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