世界初の地下鉄「Tube」がロンドンで開通

メトロポリタン鉄道建設工事の様子(キングス・クロス駅付近)/wikipediaより引用

イギリス

世界初の地下鉄ロンドン「メトロポリタン鉄道」1863年にどんな列車を?

2025/01/09

乗り物ってロマンがありますよね。

古くは牛車や馬、最近では自動車や電車でも、種類は違えど小説や映画でその時代の特徴を表す重要なファクターとなる。

本日はその一つ、日本でもお馴染みの存在に注目。

1863年1月10日は、ロンドン・メトロポリタン鉄道のパディントン駅からファリンドン駅の間で、世界初の地下鉄が開通した日です。

距離にして約6km。

トンネルの断面がほぼ円形であることから「Tube」という愛称で知られ、ロンドン名物として有名ですが、なんせ当時は日本だとまだギリギリ江戸時代ですので、英国でも色々と物議を醸したようで……。

開通までの苦闘を振り返ってみましょう。

開業直前に発行されたポスター/wikipediaより引用

 


なぜ“地下”鉄?

イギリスでは、1830年にリヴァプール~マンチェスター間に鉄道が開業していました。

これによって中産階級に「住むのは静かな郊外にして、都心には働きに出るだけにするほうがいい」という価値観が生まれます。

近年の「職住近接」とは真逆の考えですね。いずれも合うかどうかは人によりますけれども。

一方、鉄道の路線工事をした際に都心部の住宅地が取り壊され、しかも代替となる住居が用意されませんでした。

そういったところに住んでいた人々には、郊外の家は手が届かず、職場と行き来できる手近な場所に小屋を建てて暮らさざるをえない状況に……ひでえ。

ロンドンでは鉄道の大混雑&道路の交通マヒが常態化してしまい、これを解決すべく1845年に諮問委員会が開かれました。

そこで提案されたのが地下鉄だったのです。

提案者はチャールズ・ピアソンといい、ロンドン市の法務官を務めていた人物でした。

チャールズ・ピアソン/wikipediaより引用

しかし、鉄道ができて15年しか経っていない時期に「地下に鉄道を走らせましょう」という柔軟過ぎる発想をしたので、委員会では反対の声が多く出ます。

1.地上の建物が落ちて結局使えなくなるのではないか?

2.こんなことのために地下を掘るのは神への冒涜だからやめろ

3.フランス軍が地下鉄を通ってイギリスに攻めてきたらどうするんだ!

1の「建物が落ちるのでは?」という懸念は当然として、2の「神への冒涜」については、当時すでにテムズ川の地下をまたぐトンネルが作られていたので「今さら何を言っているんだ」という話です。

3の「フランス軍云々」については今日でも多国間トンネルを作る計画の際に懸念されますね。このときは「大陸と繋げるわけでもないのに何を言ってるんだ」とツッコんでも良かった気がしますね。

最終的にチャールズは資本家たちに対し、こう説得しました。

「地下鉄を作れば、あなた方にとっても旨味が大きいですよ」

つまり、地下鉄で郊外から安くたくさん人を集めて、ガンガン働いてもらおうぜ、というわけです。

本心はともかく、こうして委員会から工事の許可を取り付けました。

 


「排煙をどうするか」

許可を得たら次はお金です。

3つの会社から計30万ポンドの資金提供を受けると、1860年には着工し、2年後の1862年には竣工。

地下鉄の動力には蒸気機関車を使うことになっていたため「排煙をどうするか」という対策も必要になりました。

こちらは貨物列車牽引用に導入された蒸気機関車(1925年)/wikipediaより引用

そこで排煙をサイドタンクにいったん流し、凝結させてトンネル内が煙だらけにならないような工夫が凝らされます。

また、煙を少なくするため、燃料には「コークス」が使用されました。空気のない状態で石炭を蒸し焼き状態にしたもので、通常よりも煙が少なくなります。

さらに念には念を入れて、ところどころで地上を走るようにしました。

こうして1863年1月10日、いよいよ世界初の地下鉄が開業です。

煙を抑えるよう様々な工夫は凝らされていましたが、排気を完全に凝固させることはできず、乗客は煤だらけになってしまったとか。

それでも初日だけで3万人が利用し、初年度だけで950万人もの乗客が利用したというのですから、事業としては大成功でしょう。

ロンドン地下鉄開通時の路線(パディントン駅からファリンドン駅)/wikipediaより引用

排気問題はなかなか解決できず、車両の汚れがひどく、ときにはホームに火が燃え移ってボヤ騒ぎが起きることもあったそうです。怖っ。

しかし1881年にドイツ・ベルリンで電気機関車が実用化されると「地下鉄でもこれを使えば、排気問題は解決するね!」という話になり、早速導入が検討されました。

ついでに、排気がなくなれば地上を通す必要もなくなるというわけで、より深いところを掘って、完全に地下を通す鉄道にすることに。

この工事のやり方を「シールド工法」といい、トンネルがチューブ状になることから、ロンドン地下鉄の愛称が”Tube”になったのでした。

1900年に6か月間運行された実験列車/wikipediaより引用

シールド工法では川底も通れるため、これまでの工法では通せない場所にも地下鉄を通せるようになりました。

”Tube”は1890年11月4日に営業を開始。

当時の区間はロンドンのシティにあるキング・ウィリアム・ストリート駅と、テムズ川南岸のストックウェル駅を繋ぎました。

 

防空壕として大活躍

かくしてロンドン市民に愛されるようになった地下鉄。

20世紀に入ると、イギリスの国家的な危機で大活躍します。

活躍したのは地下鉄の車両ではなく、ホームや路線、トンネルです。

というのも、ナチスドイツ軍によるロンドン爆撃「バトル・オブ・ブリテン」の最中、地下鉄が防空壕の役割を果たし、多くの市民の命を救ったのです。

ドイツ軍の爆撃を受けたテムズ川タワーブリッジ/wikipediaより引用

30万人もの人が避難した日もあったそうで。酸欠になりそうですが……。

政府は当初、地下鉄をこうした用途で使うことに反対でしたが、後にベッドやトイレなども整えられていきます。

ただし、丸一日防空壕になっていたわけではなく、午後4時までは通常通り地下鉄を運行していたとか。

これほどの人数をすぐ避難させられるような場所を確保するのも難しいですし、移動させている途中の船や列車が爆撃されないとも限りませんもんね。

もし、ここで政府が「地下鉄を使って郊外に逃げろ!」という方針を取っていたら、人々の混乱によって犠牲が増えてしまったかもしれません。

地下シェルターに避難してるロンドン市民/wikipediaより引用

また、地下鉄の軌道を、地下工場に転用したこともあったそうです。

大戦勃発で地下鉄を走らせられなくなってしまったものの、「何かの施設としては使えるんじゃない?」ということでそうなったのだとか。

頭が柔らかい人がいたのでしょう。

 


日本が参考にした地下鉄はアルゼンチン

地下鉄の歴史で面白いのは、ロンドンで発祥したにもかかわらず、中々ヨーロッパに広まらなかったことでしょうか。

次に地下鉄が開通したのは、意外なことにトルコのイスタンブール。

正確には「地下ケーブルカー」だったそうですが、こまけえこたぁ……。

その次はハンガリーの首都・ブダペストで”最初から電化された”初の地下鉄が導入され、19世紀と20世紀の境目くらいの時期には、アメリカ・フランス・ドイツなどでも作られました。

意外なところ?では、アルゼンチンが1913年に首都ブエノスアイレスで地下鉄をスタートさせています。

遅れること14年、1927年には日本でも初の地下鉄・銀座線が浅草~上野間で開通していますが、ブエノスアイレスを参考にしていました。

浅草上野間開業時に用いられた1000形電車/wikipediaより引用

現在、ブエノスアイレスの地下鉄では、日本の中古列車が使われているそうで、地球のほぼ裏側の国同士でそんな繋がりがあるとは、ちょっと親近感がわきますね。

なお、車両受け渡しのため東京メトロ(当時は営団地下鉄)の社員が現地を訪れた際、あまりの設備の悪さに( ゚д゚)ポカーン状態になり、技術指導を行ったとか。

まあ、ラテンアメリカの国ではよくあるというか何というか……。

 

遺跡の多い国では敷設が難しい?

その後は徐々に、世界中へ地下鉄というシステムが広まりました。

ロシアのモスクワ地下鉄は、豪奢な意匠で有名ですね。

モスクワ地下鉄70周年記念切手/wikipediaより引用

この豪華な細工を、式典に間に合うように突貫工事で作らせたそうです。無茶振りにも程があるやろ。

第二次世界大戦後も北欧やイタリア、アジア、南アメリカなどに地下鉄が広まり、住民はもちろん、観光客の足としても欠かせない存在になっていきました。

しかし、地下鉄はその構造上「遺跡の多い国では敷設が難しい」という欠点があります。

例えばイタリアやギリシャでは、「遺跡が見つかるたびに路線変更や調査のために工事が中断」なんてことが起きるわけです。

日本でも京都府や奈良県などでちょくちょく聞く話ですね……。

◆ギリシャで地下鉄工事中に古代遺跡発掘 論争の末、遺跡と共存する地下鉄が開通(→link

それを乗り切った(?)のが、メキシコの首都・メキシコシティ地下鉄です。

かつてはアステカ帝国の首都・テノチティトランだったはずですし、近年にも遺跡が見つかっているのですが、地下鉄は1969年に開通しています。

調べた限りでは、地下鉄工事中における遺跡関係のトラブルは出てこなかったのですが、大丈夫だったのかな……。

地下鉄開通後の1978年にも、「テンプロ・マヨール」という遺跡が地下鉄の駅のすぐ側で見つかっていますので、ある意味神業というか何というか。

いっそ、遺跡が出たら出たで建築計画の方を変更し、遺跡に影響がなくアクセスしやすい位置に駅や線路を作り、利便性を上げて観光客からガッポガッポ儲けてしまえばいい気もしますが。

まあ、現実にはそううまくいきませんかね。


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【参考】
川成洋/石原孝哉『ロンドン歴史物語 (丸善ライブラリー)』(→amazon
日本大百科全書(ニッポニカ)
日本地下鉄協会(→link

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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