古くは牛車や馬、最近では自動車や電車でも、種類は違えど小説や映画でその時代の特徴を表す重要なファクターとなる。
本日はその一つ、日本でもお馴染みの存在に注目。
1863年1月10日は、ロンドン・メトロポリタン鉄道のパディントン駅からファリンドン駅の間で、世界初の地下鉄が開通した日です。
距離にして約6km。
トンネルの断面がほぼ円形であることから「Tube」という愛称で知られ、ロンドン名物として有名ですが、なんせ当時は日本だとまだギリギリ江戸時代ですので、英国でも色々と物議を醸したようで……。
開通までの苦闘を振り返ってみましょう。
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なぜ“地下”鉄?
イギリスでは、1830年にリヴァプール~マンチェスター間に鉄道が開業していました。
これによって中産階級に「住むのは静かな郊外にして、都心には働きに出るだけにするほうがいい」という価値観が生まれます。
近年の「職住近接」とは真逆の考えですね。いずれも合うかどうかは人によりますけれども。
一方、鉄道の路線工事をした際に都心部の住宅地が取り壊され、しかも代替となる住居が用意されませんでした。
そういったところに住んでいた人々には、郊外の家は手が届かず、職場と行き来できる手近な場所に小屋を建てて暮らさざるをえない状況に……ひでえ。
ロンドンでは鉄道の大混雑&道路の交通マヒが常態化してしまい、これを解決すべく1845年に諮問委員会が開かれました。
そこで提案されたのが地下鉄だったのです。
提案者はチャールズ・ピアソンといい、ロンドン市の法務官を務めていた人物でした。
しかし、鉄道ができて15年しか経っていない時期に「地下に鉄道を走らせましょう」という柔軟過ぎる発想をしたので、委員会では反対の声が多く出ます。
1.地上の建物が落ちて結局使えなくなるのではないか?
2.こんなことのために地下を掘るのは神への冒涜だからやめろ
3.フランス軍が地下鉄を通ってイギリスに攻めてきたらどうするんだ!
1の「建物が落ちるのでは?」という懸念は当然として、2の「神への冒涜」については、当時すでにテムズ川の地下をまたぐトンネルが作られていたので「今さら何を言っているんだ」という話です。
3の「フランス軍云々」については今日でも多国間トンネルを作る計画の際に懸念されますね。このときは「大陸と繋げるわけでもないのに何を言ってるんだ」とツッコんでも良かった気がしますね。
最終的にチャールズは資本家たちに対し、こう説得しました。
「地下鉄を作れば、あなた方にとっても旨味が大きいですよ」
つまり、地下鉄で郊外から安くたくさん人を集めて、ガンガン働いてもらおうぜ、というわけです。
本心はともかく、こうして委員会から工事の許可を取り付けました。
「排煙をどうするか」
許可を得たら次はお金です。
3つの会社から計30万ポンドの資金提供を受けると、1860年には着工し、2年後の1862年には竣工。
地下鉄の動力には蒸気機関車を使うことになっていたため「排煙をどうするか」という対策も必要になりました。
そこで排煙をサイドタンクにいったん流し、凝結させてトンネル内が煙だらけにならないような工夫が凝らされます。
また、煙を少なくするため、燃料には「コークス」が使用されました。空気のない状態で石炭を蒸し焼き状態にしたもので、通常よりも煙が少なくなります。
さらに念には念を入れて、ところどころで地上を走るようにしました。
こうして1863年1月10日、いよいよ世界初の地下鉄が開業です。
煙を抑えるよう様々な工夫は凝らされていましたが、排気を完全に凝固させることはできず、乗客は煤だらけになってしまったとか。
それでも初日だけで3万人が利用し、初年度だけで950万人もの乗客が利用したというのですから、事業としては大成功でしょう。
排気問題はなかなか解決できず、車両の汚れがひどく、ときにはホームに火が燃え移ってボヤ騒ぎが起きることもあったそうです。怖っ。
しかし1881年にドイツ・ベルリンで電気機関車が実用化されると「地下鉄でもこれを使えば、排気問題は解決するね!」という話になり、早速導入が検討されました。
ついでに、排気がなくなれば地上を通す必要もなくなるというわけで、より深いところを掘って、完全に地下を通す鉄道にすることに。
この工事のやり方を「シールド工法」といい、トンネルがチューブ状になることから、ロンドン地下鉄の愛称が”Tube”になったのでした。
シールド工法では川底も通れるため、これまでの工法では通せない場所にも地下鉄を通せるようになりました。
”Tube”は1890年11月4日に営業を開始。
当時の区間はロンドンのシティにあるキング・ウィリアム・ストリート駅と、テムズ川南岸のストックウェル駅を繋ぎました。
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