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デジレ/wikipediaより引用

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デジレの無邪気 フランス娘がスウェーデン王妃になって……おまけに元彼はナポレオン

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ヨーロッパ全土を揺るがす移民問題。北欧のスウェーデンも例外ではありません。

このままでは移民に国を乗っ取られると危機感を募らせる保守派。
差別こそ、むしろ迫り来る危機だと指摘するリベラル派。

過熱する世論の中、国王カール16世グスタフも移民についての意見を求められました。

「まあ、それを言ったら……うちも元を辿れば移民の子孫みたいなものですしねぇ」
この一言に国民は『確かにそうだった( ゚д゚)』と思い出し、移民の賛否を問う議論はクールダウンしたのでした。

国王陛下が移民の子孫とは……そうなのです。
実はスウェーデンのベルナドッテ王朝は、スウェーデンとは縁もゆかりもさしてないフランス人夫妻が開祖。
しかも成立してから二百年程度という、かなり新しい王朝だったのです。

なにゆえフランス人夫妻がスウェーデン王に?
それはあのナポレオンにもまつわるおもしろい事情がありまして。

夫のヨハンについては以下の記事をご覧いただくとして、今回はその妻デジレについてふれてみたいと思います。

ナポレオンにも負けない美脚軍曹・ヨハンの才 なぜフランス人がスウェーデンの王様になれたのか

 

マルセイユにやってきたナポレオンと婚約

1777年、マルセイユ。
後のスウェーデン王女となるデジレは、裕福な絹商人・クラリー家の末娘として生まれました。
6才上の姉・ジュリーとは生涯を通して仲が良く、結婚後も2人は親しくし続けます。

デジレは当時の裕福な家の令嬢として、修道院で女子教育を受けます。
もし何事もなければ、彼女はそのままどこかに嫁ぎ、優雅な奥様として人生を終えたことでしょう。

しかし、時代は激動の時を迎えます。
1789年、フランス革命が勃発したのです。

パリから離れたマルセイユのクラリー家にも危機が迫り、1794年、この年に死亡した父フランソワが生前、貴族に列してもらえるよう運動していたことが発覚。父にかわって姉妹の庇護をしていた家長の兄・エティエンヌが罪に問われたのです。
エティエンヌは父にかわり、公安委員会に捕縛されてしまいました。青天の霹靂とはこのことです。

デジレは兄嫁と共に釈放嘆願を行ったのですが、このとき公安委員会の待合室で居眠りをしてしまいます。
一方、共に出向いた兄嫁は、嘆願が通ったことに浮かれてしまったのでしょう。義妹の存在をスッカリ忘れて先に帰宅してしまいます。

そんな残された彼女を見つけ、家まで送り届けたのが、当時コルシカ島からマルセイユに引っ越してきていたジョセフ・ボナパルトでした。

これがきっかけで、コルシカ島での政治闘争に敗れ、引っ越して来たばかりの貧乏貴族ボナパルト一家とクラリー家のつきあいが始まりました。
ジョセフとデジレは接近していい雰囲気になるのですが、やたらと押しが強いジョセフの弟はこう主張します。

「順番からいって、兄さんは姉のジュリーと結婚すべきだ」

弟が兄に向かってこんなことを言えば、フツーは「お前なんなんだ!」となるはずです。弟がちゃっかりデジレに近づいていたならば、なおさらです。
しかしこのナポレオンという弟は、兄相手だろうと一歩も譲らない性格でした。

結局、ジョセフはナポレオンの言うままに1794年8月、ジュリーと結婚。それからわずか数ヶ月後の1795年4月、ナポレオン本人はちゃっかりデジレと婚約するのでした。

「クラリー家にボナパルトは一人で十分だよ」

彼女とボナパルト家の家族はそう言って、真剣には受け止めていなかったようですが。

 

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遠距離恋愛の彼氏は、都会で伊達女に相手にされず

しかしこの二人はいつまでも一緒にいられたわけではありません。
陸軍砲兵大尉のナポレオンはトゥーロン攻囲戦で実力を示し、その後パリに呼ばれます。

「デジレとナポレオンは、ずっと一緒だよ!」
そんな風に約束しても、遠距離恋愛は難しいものです。

もっともナポレオンも、しばらくはデジレを一途に思っていたことでしょう。2人をモデルにした小説を書いたりしていますし、デジレの住む場所に赴任したいと軍にも希望を出していたそうです。
ちなみに小説はベタな悲恋もので、おそらくナポレオン本人にとっては黒歴史ですね(・∀・)

二人の問題は距離だけではありません。
恐怖政治の反動で退廃的な雰囲気漂うパリは、誘惑の多い町でした。恐怖政治後の開放感からか、ファッションも変化し、下着のようなスケスケドレスで愛嬌を振りまく「伊達女(メルヴェイユーズ)」が社交界を闊歩していたのです。

そんな伊達女の代表的存在であり、当時随一の美貌を持つと言われたテレーズ・カバリュスに、ナポレオンはいきなり「ぼっ、ボクと、つ、つ、つきあってください\><;」とラブレターを送ったりしちゃったりして。
「ハァ? 田舎から出てきた貧乏軍人が何言ってんの、キモーイ」
と笑いものにされた挙げ句、フラれるような、そんな多感で痛い青春を送っていました。

ちなみにテレーズは、後にナポレオンからフランスを追放されています。

皇帝時代のナポレオン/wikipediaより引用

 

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「あれを引き取ってくれるか、ボナパルトくん!」

この頃、恐怖政治から逃げ延びた一人にバラスという政治家がいました。

バラスは多数の愛人を囲い、街では貧民が飢えに苦しんでいるというのに豪華な食事を楽しむという、絵に描いたような腐敗政治家です。
そんなバラスを描いた、イギリスの諷刺画家ジェームズ・ギルレイの作品がこちら。

左の男がバラス、裸で踊っているのが愛人のテレーズ・カバリュスとローズです。
右側にいて覗いているのはナポレオン。野心を抱いた彼は、このバラスに接近し、何とかいい地位を得ようとします。

この頃、バラスはあのテレーズ・カバリュスを妻にしたいと考えておえり、相手はこんな条件をつけてきました。

「他の愛人全部お払い箱にしたら、考えてあげてもいいけどぉ~」

テレーズを抱くためならそれも仕方ないか……。
しかし、だからといって今まで俺を楽しませてくれた女たちを路傍に放り出すのは、あまりにゲスだしなぁ。
と、考えたバラスは、女たちに愛人としての再就職先を見つけてあげます。

ただ、どうしても一人だけ、相手が中々見つからない……。
30過ぎで二児の母のローズ。さて、どうしたものかと悩んでいると、助け船を出した男がいます。

「彼女を私の妻にしてください」
「あれを引き取ってくれるか、ボナパルトくん!」

そう、あのナポレオン・ボナパルトでした。
バラスとしてもこれで一安心……と思いきや、なんと当のローズが反対します。

「あんな田舎者の冴えないチビねえ。そこは目をつぶるとして、軍人としてまだペーペーじゃないの。彼が死んだら私、路頭に迷っちゃう。それでいいの?」

 

ナポレオンは妻ジョゼフィーヌにメロメロで

ローズが、かく語るにも理由がありました。
元々彼女は、マルティニーク島からフランス本土にわたり、貴族と結婚するも若くして離婚。しかも一時期は公安委員会に逮捕投獄され、断頭台送り寸前だったのです。
将来の覚束ない、危ない橋を渡るのは御免でした。

「わかったよ、ローズ。じゃあ、あいつをイタリア方面軍司令官にするよ。それなら未亡人年金も出るし、悪くないんじゃないか」

実はこれより前、ナポレオンはバラスに対してイタリア遠征の企画書を提出していたのです。

計画は悪くないとは思いつつ、踏ん切りのつかなかったバラスですが、ナポレオンがローズを引き取ってくれるのならば話は別。
かくして、なかなか生々しい下半身事情と思惑が絡み合い、出会いから半年足らずで、のちのフランス皇帝夫妻が誕生することになります。1796年のことでした。

こう書くと互いに愛情がないように思えるカップルですが、実のところナポレオンはジョゼフィーヌのセクシーテクにメロメロです。

イタリアへ出発した彼は、
「ジョゼフィーヌちゃんのおへその下にある、黒い茂みにちゅっちゅしたぁ~い♥(意訳)」
という、超絶エロくて世界史上屈指の恥ずかしいラブレターをせっせと書いて送りました。

ナポレオン/wikipediaより引用

あるいは夫に会いに来たジョゼフィーヌの馬車が敵軍の攻撃を受けると、
「俺の可愛いジョゼフィーヌを怖がらせやがったな! あいつら絶対ぶっ殺す!!」
と激怒。

夫の留守中、ジョゼフィーヌは若い彼氏を作ってこっそり浮気していたりしたのですがね……。

ちなみにナポレオンという名前、これまでイタリア風の発音で「ナブリオ・ボナパルテ」と名乗っていたのですが、妻に「ダサいからフランス風にして」と言われて変えています。
またローズという妻の呼び名も、「せっかくだから俺がつけたあだ名にしたいな」ということでミドルネームのジョセフの女性形「ジョゼフィーヌ」に。

ナポレオンとジョゼフィーヌの誕生でした……って、いやいや、いやいや。デジレはどうなったんですか、デジレは!!!

捨てられましたよ、アッサリと。
可哀相なデジレ。
田舎の可愛いお嬢様と、パリの百戦錬磨セクシー未亡人では勝負にすらならなかったのですね。

「あなたに捨てられたデジレは、今後誰とも結婚しないわ。彼女とどうかお幸せに」
デジレは、そんな手紙を送るしかありませんでした。

 

三拍子揃ったナポレオンの対抗馬、現る

一方的に別れを告げられたデジレは、悲しむ手紙を送ったものの、気持ちを切り替えるしかありません。

考えてみれば、まだギリギリ二十歳前後。また別の一歩を進めばいいだけじゃない。
と、思ったところで、再び不運に見舞われます。
姉夫婦とローマに移住し、そこで縁談がまとまりかけたところで、相手が急死してしまったのです。

1798年、結局、デジレはフランスに戻り、ボナパルト家の一員のような扱いで暮らしていました。
そこにはあのジョゼフィーヌもいるわけで、内心いろいろと複雑ではあったでしょう。

この頃、ナポレオンはある男の処遇について頭を痛めていました。
ジャン=バティスト・ベルナドット将軍です。
彼は出世に伴い呼び名も変わりますが、本稿ではベルナドットで統一します。

ベルナドットは革命で大出世を遂げた、典型的な叩き上げ軍人でした。
弁護士の父のもとに生まれるものの、幼くして父を失い海兵隊に入り、革命に遭遇して電撃出世。
他人の下につくことを潔しとはしない、独立精神旺盛で意志強固なガスコン(ガスコーニュ地方の人)でした。

軍事的才能、騎士道精神、そして野心。
三拍子揃った彼はナポレオンの対抗馬とみなされ、反ナポレオン派から担ぎ出されそうな、潜在的脅威でもありました。

何とかうまくベルナドットを懐柔できないものか。
悩むナポレオンに、母のレティツィアは助言するのでした。

「母さんに名案があるよ。ボナパルト一家に組み込んでしまえばいい。デジレの夫にしてしまいなさい」

ボナパルト家は、コルシカ人らしい思考回路を持っていました。
身内以外は信用しない反面、家族になれば信頼できる。そう考えていたのです。

 

実力もあり、脚もキレイ♪「美脚軍曹」ベルナドット

一方、当時の女性としては晩婚になりつつあり、二度も婚約が破談になったデジレにとっても、悪くない話。
しかもベルナドットは実力もあり、なかなかのイケメンです。

彼は当時の美男に求められる条件である脚線美の持ち主でした。
女性が長いスカート、男性がぴったりとしたズボンを履いていた当時、脚線美を求められたのは男性だったのです。

ベルナドット/wikipediaより引用

ベルナドットの長く均整の取れた脚線美は、「美脚軍曹」とあだ名され、羨望の的もありました。
肖像画を見ると、確かに脚のラインはシュッとしています。

デジレは脚線美以上に、ベルナドットの性格が気に入ったようでした。

「誰もがナポレオンの顔色をうかがっているのに、彼ははっきりノンって言うじゃない。そういう強さがいいわね」

前述の通りボナパルト家は家族主義ですので、妹を部下に嫁がせたり、部下を片っ端から縁談を紹介したりしていました。
そんな部下の一人でもあるベルナドットにしても、デジレを強く断るほどの理由はありません。断ってもどうせまた誰か紹介されるだろうし、年齢的にも悪くない、気立てのいいお嬢様のようだし……と。

しかし、この結婚にはデメリットもたっぷりありました。

結婚後もデジレは、姉ジュリーやボナパルト家の面々の元に遊びに行き、そこで世間話に花を咲かせるわけです。
要は、ベルナドットの行動は、妻デジレによって筒抜けになるワケでして。
しかも彼女は、姉やボナパルト家から「あなたの夫にこう言った方がいいよ」と聞かされると、素直にそれをベルナドットに言ってきます。

まるでボナパルト家にリモートコントロールされているようなものです。

まずい。これじゃあナポレオンに絶対逆らえないじゃあないか!
ベルナドットがそう気づいたところで後の祭り。我慢できなくなったベルナドットは妻に切りだします。

「あのさあ、デジレ。あんまり俺のことボナパルト家でぺらぺら喋って欲しくないんだよなぁ」
「別にたいした話なんてしていないわよ」
「でもなあ、デジレ。お友達は他にもいるだろ。きみとお話できなくて、彼女らも寂しいんじゃあないかな」
「それもそうかな。じゃあスタール夫人の所にでも行こうかしら」

夫の言うことを割と素直に聞いてくれるの幸いなところ。
デジレはお嬢様気質で素直な性格でした。

 

処罰したらデジレが泣くよなぁ……ええいっ、くそっ!

実のところ、この結婚を後悔することになるのは、ベルナドットではありませんでした。

フランス皇帝となったナポレオンのもと、ベルナドットも姻戚として元帥の地位にまでのぼりつめ、出世を果たします。
それではさぞやナポレオンに感謝したかというと、その逆でした。

「あーあ、独裁者じみたアイツのもとで働くなんてやってられない」
ベルナドットはそう不満を感じ、批判すら口にするようになります。

その一方、彼の騎士道精神を持ち味とする性格には磨きがかり、部下を大事にし、捕虜を人道的に扱うところも高い評価を得ました。
ナポレオンは優れた才能を持つ一方で兵士の扱いは悪いという批判もありましたので、そこがベルナドットには許せなかったのかもしれません。

彼の人気が最も高かったのがスウェーデンです。
1806年と1809年には、捕虜にしたスウェーデンの将兵を丁重に遇し、武器を返して、自腹を切って本国まで送り届けました。
帰国したスウェーデンの将兵はこう語りました。

「フランス軍には中世の騎士道物語を地でゆくような、偉大な将軍がいる。あれほど高潔な御方はそうはいない」

ベルナドットの行為に、全スウェーデンが涙しました。
「ベルナドット様ブーム」が起きたほどです。

一方で、同僚からは「たいしたことがない奴のくせに、皇帝の身内扱いだから出世したカス」扱いのベルナドット。
彼のやる気のなさは何度も批判の対象となりました。
ナポレオンも怒りに震え、処遇しようとするのですが、その度にデジレの顔が浮かびます。

「またデジレを泣かせるの? ひどい……」

アイツは気に入らないけど、処罰したらデジレが泣くよなぁ。ええいっ、くそっ!
そう思い、ベルナドットを始末できないナポレオン。

それでも1809年、大敗の原因を作ったとしてようやく指揮権を取り上げることに成功します。
デジレの涙目もチラついたことでしょうが、気に入らない男を追いやり、やっとスッキリしたのでした。

 

捨てるフランスあれば、拾うスウェーデンあり

指揮権を取り上げられ、軍人としてのキャリアが終わったベルナドット。
ナポレオンに捨てられた彼に、意外な申し出が届きます。

「スウェーデン国民一同、あなたを是非とも次期国王として、王室に迎えたいのです」

なんだかふってわいたような話ではありますが、これには理由がありました。
スウェーデンの老王カール13世には世継ぎがおらず、このままでは大変な問題になります。ロシアはじめ隣国の干渉も予測されます。

どうせ他から迎えるならば、最強のフランス皇帝ナポレオンに近い一族から世継ぎを迎えるのが安全策。かくしてスウェーデンから使者がフランスにやってきたのです。

「皇帝陛下のご一族でも並外れて人格高潔、騎士道精神にあふれた御方といえばあなたしかおりません。あなたのような国王を迎えられるなんて、これに勝る幸運はありません!」

ベルナドット様ブームに沸いたスウェーデン人がこう考えるのは、当然とも言えました。

いやあ、俺、捕虜に親切にしてよかったなあ。「情けは人の為ならず」を地でいく展開です。
しかし、ナポレオンは気に入りません。
「なにぃ、あいつをスウェーデン国王? 他に適任者はいるだろ」

ナポレオンは面白くなく、ジョゼフィーヌの連れ子のウジューヌら従順な一族、軍人に声を掛けるものの、皆、顔を曇らせます。
「スウェーデン国王の座は魅力的ですが、改宗はちょっと……」

はかばかしくありません。
スウェーデン国王になる条件として、カトリックからプロテスタントへの改宗があったため、皆尻込みしてしまうのです。
こうなると渋々、ナポレオンは黙認せざるを得ません。
「まあ、あんな奴でも一応は家族だ、一族の名誉になると考えればいいか。どうせスウェーデン議会が却下するかもしれないわけだし」

ナポレオンだけではなく、デジレは複雑な心境です。
泣いて夫に抗議します。
「家族やお友達と離れて、寒い外国で暮らすなんて。言葉もわからないし」

姉・ジュリーはじめ、ボナパルト一族の女性たちが王冠を被る中、デジレ派それを羨んでいませんでした。
彼女は王冠よりも、パリでお友達と仲良く暮らす方が大切なのです。

デジレだけではなく、オーストリアのメッテルニヒのような政治家もこの話には懐疑的でした。

「外国人、しかも平民出身者に王冠をかぶせて、それで国民が納得するかね……」

しかし、千載一遇のチャンスを前に野心を滾らせていたベルナドットに断る理由などありません。
振り返ってみれば、革命が起こった若い頃、ベルナドットは二の腕に「王侯貴族はくたばれ」と刺青をしていました。
その時はまさか、自分が王冠を被ることになるとは思わなかったでしょう。

スウェーデン議会は全員賛成でベルナドットを後継者とすることを可決。
1810年、かくしてジャン=バティスト・ベルナドットは、カール13世の養子でありスウェーデン王太子であるカール・ヨハンとなったのでした。
スウェーデンで対面したカール13世夫妻も、ベルナドットの人柄に惚れ込みました。

王子となったベルナドット/wikipediaより引用

 

スウェーデン王太子カール・ヨハン、本気を出す

ナポレオンはスウェーデンへ向かうベルナドットにこう約束させようとしました。
「自分の母国フランスには刃を向けるなよ」

しかしベルナドットは断ります。
「スウェーデン王太子になったからには、スウェーデンの為に尽くすのは当然のこと。そのためにフランスを敵に回すことになったとしても、それは致し方ないことでしょう」

むむぅ、そう正論を言われるとぐうの音も出ません。

ベルナドットはスウェーデン国民と議会の期待に応え、病弱な老王にかわって、摂政王太子としてスウェーデンを導くために邁進します。
彼は身近でナポレオンを見てきて、その栄光ももはや翳り、没落は不可避であると分析していました。
まずはナポレオンの大陸封鎖令を撤廃、隣国ロシアと同盟します。

更には、元ナポレオンの配下として冷徹に観察したフランス軍の弱点をロシア皇帝アレクサンドル一世に伝え、細やかなアドバイスをします。アレクサンドル一世はすっかりベルナドットの人柄と戦略眼に魅力され、思わずこう漏らします。
「いやあ、キミは実に素晴らしいね。私の妹の夫にしたいくらいだなあ! どうかね? 悪い話ではないと思うのだが」

スウェーデンとロシアは歴史的に因縁のある仇敵です。
ロシア皇帝がスウェーデン国王を褒め、皇女を娶らないかと薦める。平民出のベルナドットにとって、信じられないような話でした。
「陛下、まことに光栄な話です。しかし私には、愛する妻デジレがいます。たとえ陛下の妹君であっても、他の女性を妻にするなど考えられません」

ベルナドットは断ります。賢明な判断です。
この決断には反面教師がいたかもしれません。他ならぬナポレオンです。

ナポレオンは深く愛する糟糠の妻にして、国民から絶大な人気を誇るジョゼフィーヌがおりましたが、1801年に子ができないことを理由に離婚しているのです。
そして、ヨーロッパ王室の血を引く世継ぎを作るため、各国の王室に縁談を持ちかけたのでした。

が、ロシアはじめことごとく断られ、やっと迎えることができたのは、オーストリアの皇女マリー・ルイーズです。
マリー・アントワネットを「オーストリア女」と罵り、断頭台に送り込んだフランス国民にとって、そのトラウマを刺激する新皇后は好かれるはずもありません。ナポレオンはこの離婚と再婚によって国民からの人気を大きく落としていたのです。

ベルナドットとデジレ/wikipediaより引用

 

勝手知ったるフランス軍の弱点をつき勝利に導く

ナポレオンもベルナドットも、低い身分の出から今の地位に登った存在です。
国民の人気を失えば、その地位は危ういもの。どんなにうまい話であっても、自分の高潔なイメージに泥を塗りかねない離婚と再婚は、彼にとっては避けるべき陥穽でした。
彼にとっては、ナポレオンが断られたロシア皇女との縁談を、持ち込まれただけでも名誉なことでした。

1812年、ベルナドットのアドバイスも功を奏し、ロシア軍は侵攻してきたフランス軍に壊滅的な打撃を与えます。
もはやナポレオンの天下は下り坂でした。

ヨーロッパを苦しめたナポレオンも、ついに終わりが見えて来たぞ!
全ヨーロッパが満を持してフランスに反撃の牙を剥いたとき、ベルナドットもかつての母国に刃を向けました。
スウェーデンは対仏同盟に参戦したのです。

しかし、あのアレクサンドル一世をも含めて、諸国の首脳はベルナドットに冷たい目を向けます。
「今でこそスウェーデン王太子だけども、元はフランス人だ。彼には本気でフランスと戦う気はあるのだろうか?」

よっしゃ、見せてやりますよ、スウェーデン王太子の本気を!
ベルナドットは、勝手知ったるフランス軍の行動パターンを各国に伝えるのです。
そして1813年、ライプツィヒの戦いを迎えます。

諸国民の戦いと呼ばれた反ナポレオン戦争は、今ここに決戦のときを迎えました。
プロイセン、オーストリア、ロシア、そしてスウェーデン。
四カ国の軍を束ねるのはベルナドットです。

ベルナドットはフランス軍の行動パターンを読み、半年間の激戦ののち、敵を罠に誘いこみ、見事勝利をおさめたのでした。

 

「いずれ王位を追われろ!」と、ナポレオンの願い虚しく……

三万の捕虜を残しフランス軍は撤退。ベルナドットは祝杯をあげます。
いやぁ、ナポレオンを倒して勝利の酒もうまい( ^ω^)
もちろんナポレオン側は納得ができなかったでしょう。

「あいつ、フランス軍で俺の部下の時は弱かったよな。なんで今こんなに強いんだ!」

そりゃ俺の使い方が悪かっただけだろ!とベルナドットなら思うところでしょうか。
味方では頼りなく、敵にすると強いというのはある意味最悪ですよね。

ベルナドットは、フランスにとどめを刺す過程において、デンマークからノルウェーを割譲させることにも成功。スウェーデン国民は、優れた王太子を迎えたことにさぞかし満足したことでしょう。

そして1818年2月、ベルナドットは即位しカール14世ヨハンとなります。
統治に意欲を見せる彼は、その後も名君として慕われました。

「あんな奴、どうせ長続きはしないさ。いずれ王位を追われるに決まっている!」
1815年、ワーテルローの戦いで完敗し、皇帝の座を追われていたナポレオンは、流刑地セント・ヘレナ島でそう毒づきました。

しかし、ベルナドットは1844年に81才という、当時としては驚異的な高齢で崩御するまで、ナポレオンを倒し、国を豊かにした名君として、国民に慕われるのです。

かつての祖国フランス、特にナポレオン好きからは「石川数正と小早川秀秋を足して、さらに一万をかけたくらい」嫌われていますが、スウェーデンの名君という評価からすれば大したことではありません。

 

危険な情事に耽るよりお喋りや手芸を楽しむ方がいい♪

かようにベルナドットが波乱万丈の人生を送る一方、デジレはどうしていたのでしょうか。

ドラマや小説のヒロインなら、元婚約者と夫との板挟みになって胸を痛めるところでしょうが、特にそんなことは感じられません。彼女がフランス崩壊という状況下、真剣に取り組んでいたのは姉・ジュリーの安全確保でした。

フランス革命期から第一帝政において、女性たちも数奇な運命に巻き込まれたものの、彼女はそんな中、極めてマイペースに生きていました。夫とナポレオンという巨大な男に挾まれ、両者から「コイツが情報を漏らすのでは?」と疑いの目で見られても、彼女はとことんマイペースで、うまく泳ぎ回るのでした。

新婚当初こそ軍務で不在になりがちな夫を慕い、悲しんでいたものの、その寂しさを姉や友人との交際で紛らわせることを学びます。

ナポレオン本人はじめ、当時の軍人は留守中の妻の不貞行為に悩まされる男が多かったのですが、デジレの場合は違います。
危険な情事に身を任せるより、気の合う女友達とのおしゃべり、手芸を楽しむ方が彼女の好みにあっていたのです。
政治に口を出すこともなく、野心に燃えて夫を焚きつけることもなく。興味関心があるのはいかに楽しく生きるか。
それと、家族のことでした。

ジュリー(左)とデジレ/wikipediaより引用

こう書くとなんだかつまらない無個性な女性のようですが、ちょっとお嬢様風で子供っぽいところはあるとはいえ、なかなかチャーミングな人でした。
人と争うようなところもなく、元婚約者を掠奪したジョゼフィーヌとも関係は悪くはありません。
ナポレオンの母や妹がジョゼフィーヌを露骨に嫌いましたが、デジレはそんなことはしません。

しかもデジレの子・オスカルの妻はそのジョゼフィーヌの孫でこれまた同名のジョゼフィーヌ(ややこしくてすみません)なのですが、この嫁とも良好な関係でした。
そんな性格のためか、劇的な生涯のわりに、フィクション等ではあまり日の目が当たらないようです。

ストレス発散をうまくできていたのか、彼女はこれまた驚異的な83才という長寿を保ち、1860年まで生きたのでした。
マルセイユのお嬢様から王妃へ、幸福なシンデレラストーリーでした。

デジレは死ぬまでこっそりとナポレオンの恋文を保管していたそうです。
愛が残っていたのか、それともフランス皇帝の遺品として珍しかったのか。
ベルナドットとデジレの子孫によるベルナドッテ王朝は、断絶を経験することなく、現在に至るまで続いています。

ボナパルト家の天下は崩壊し、彼らの王朝よりはるかに歴史が長い、ハプスブルク家やロマノフ家ですら玉座を追われました。

「外国人の、しかも平民の王朝なんて、どうせ長くは持たないだろう」

そんな予想に反して王家は栄え、彼らの子孫はノーベル賞授賞式のプレゼンターを務めているのでした。

文:小檜山青

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【参考文献】

 





1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 史実の真田幸村とは?


3位 長篠の戦い 注目すべきは…


4位 最上義光 名将の証明


5位 ホントは熱い!徳川家康


6位 意外と優しい!? 織田信長さん


7位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


注目! 史実の井伊直虎とは?





井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
豊臣家 豊臣秀吉 豊臣秀長 豊臣秀次 福島正則 加藤清正 豊臣秀頼
伊達家 伊達政宗 伊達成実 義姫
最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
立花&高橋家 立花宗茂 立花道雪 立花誾千代 吉弘統幸
浅井・朝倉家 朝倉宗滴 姉川の戦い 金ヶ崎の退き口
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黒田家 官兵衛が長政を叱責の真相
北条家 河越夜戦 小田原征伐 のぼうの城の真実
細川家
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長宗我部家
武田・上杉家
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キリシタン ルイス・フロイス
合戦 桶狭間の戦い 長篠の戦い 手取川の戦い 厳島の戦い 月山冨田城の戦い

◆薩摩藩 西郷隆盛 島津斉彬 大久保利通 小松帯刀 西郷従道
◆長州藩 木戸孝允 木戸松子 高杉晋作 山県有朋


◆古代 安倍晴明
◆江戸 葛飾北斎
◆世界史 クレオパトラ


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