北欧の雄・スウェーデンも例外ではありません。
このままでは移民に国を乗っ取られると危機感を募らせる保守派。
差別こそ、むしろ迫り来る危機だと指摘するリベラル派。
過熱する世論の中、国王カール16世グスタフも移民についての意見を求められました。
「まあ、それを言ったら……うちも元を辿れば移民の子孫みたいなものですしねぇ」
この一言に国民は『確かにそうだった( ゚д゚)』と思い出し、移民の賛否を問う議論はクールダウンしたのでした。
国王陛下が移民の子孫とは……そうなのです。
実はスウェーデンのベルナドッテ王朝は、スウェーデンとは縁もゆかりもさしてないフランス人夫妻が開祖であります。
しかも成立してから二百年程度という、かなり新しい王朝だったのです。
なにゆえフランス人夫妻がスウェーデン王に?
それはあのナポレオンにもまつわる興味深い事情がありまして。
夫のヨハンについては以下の記事をご覧いただくとして、
美脚軍曹・カール14世ヨハンの才 なぜフランス人がスウェーデンの王様に?
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今回は1860年12月17日が命日である、妻のデジレ・クラリーについてふれてみたいと思います。
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マルセイユにやってきたナポレオンと婚約
1777年、マルセイユ。
後のスウェーデン王女となるデジレは、裕福な絹商人・クラリー家の末娘として生まれました。
6才上の姉・ジュリーとは生涯を通して仲が良く、結婚後も2人は親しくし続けます。
デジレは当時の裕福な家の令嬢として、修道院で女子教育を受けます。もし何事もなければ、彼女はそのままどこかに嫁ぎ、優雅な奥様として人生を終えたことでしょう。
しかし、時代は激動の時を迎えます。
1789年、フランス革命が勃発したのです。
パリから離れたマルセイユのクラリー家にも危機が迫り、1794年、この年に死亡した父フランソワが生前、貴族に列してもらえるよう運動していたことが発覚。
父にかわって姉妹の庇護をしていた家長の兄・エティエンヌが罪に問われたのです。
エティエンヌは父にかわり、公安委員会に捕縛されてしまいました。青天の霹靂とはこのことです。
デジレは兄嫁と共に釈放嘆願を行ったのですが、このとき公安委員会の待合室で居眠りをしてしまいます。
一方、共に出向いた兄嫁は、嘆願が通ったことに浮かれてしまったのでしょう。義妹の存在をスッカリ忘れて先に帰宅してしまいます。
そんな残された彼女を見つけ、家まで送り届けたのが、当時コルシカ島からマルセイユに引っ越してきていたジョセフ・ボナパルトでした。
これがきっかけで、コルシカ島での政治闘争に敗れ、引っ越して来たばかりの貧乏貴族ボナパルト一家とクラリー家のつきあいが始まりました。
ジョセフとデジレは接近していい雰囲気になるのですが、やたらと押しが強いジョセフの弟はこう主張します。
「順番からいって、兄さんは姉のジュリーと結婚すべきだ」
弟が兄に向かってこんなことを言えば、フツーは「お前なんなんだ!」となるはずです。弟がちゃっかりデジレに近づいていたならば、なおさらです。
しかしこのナポレオンという弟は、兄相手だろうと一歩も譲らない性格でした。
結局、ジョセフはナポレオンの言うままに1794年8月、ジュリーと結婚。それからわずか数ヶ月後の1795年4月、ナポレオン本人はちゃっかりデジレと婚約するのでした。
「クラリー家にボナパルトは一人で十分だよ」
彼女とボナパルト家の家族はそう言って、真剣には受け止めていなかったようですが。
遠距離恋愛の彼氏は、都会で伊達女に相手にされず
この二人はいつまでも一緒にいられたわけではありません。
陸軍砲兵大尉のナポレオンはトゥーロン攻囲戦で実力を示し、その後パリに呼ばれます。
「デジレとナポレオンは、ずっと一緒だよ!」
そんな風に約束しても、遠距離恋愛は難しいものです。
もっともナポレオンも、しばらくはデジレを一途に思っていたことでしょう。2人をモデルにした小説を書いたりしていますし、デジレの住む場所に赴任したいと軍にも希望を出していたそうです。
ちなみに小説はベタな悲恋もので、おそらくナポレオン本人にとっては黒歴史ですね。
二人の問題は距離だけではありません。
恐怖政治の反動で退廃的な雰囲気漂うパリは、誘惑の多い町でした。
恐怖政治後の開放感からか、ファッションも変化し、下着のようなスケスケドレスで愛嬌を振りまく「伊達女(メルヴェイユーズ)」が社交界を闊歩していたのです。
そんな伊達女の代表的存在であり、当時随一の美貌を持つと言われたテレーズ・カバリュスに、ナポレオンはいきなり「ぼっ、ボクと、つ、つ、つきあってください\><;」とラブレターを送ったりしちゃったりして。
「ハァ? 田舎から出てきた貧乏軍人が何言ってんの、キモーイ」
そう笑いものにされた挙げ句、フラれるような、そんな多感で痛い青春を送っていました。
ちなみにテレーズは、後にナポレオンからフランスを追放されています。
「あれを引き取ってくれるか、ボナパルトくん!」
この頃、恐怖政治から逃げ延びた一人にバラスという政治家がいました。
バラスは多数の愛人を囲い、街では貧民が飢えに苦しんでいるというのに豪華な食事を楽しむという、絵に描いたような腐敗政治家です。
そんなバラスを描いた、イギリスの諷刺画家ジェームズ・ギルレイの作品がこちら。
左の男がバラス、裸で踊っているのが愛人のテレーズ・カバリュスとローズです。
右側にいて覗いているのはナポレオン。野心を抱いた彼は、このバラスに接近し、何とかいい地位を得ようとします。
この頃、バラスはあのテレーズ・カバリュスを妻にしたいと考えておえり、相手はこんな条件をつけてきました。
「他の愛人全部お払い箱にしたら、考えてあげてもいいけどぉ~」
テレーズを抱くためならそれも仕方ないか……。
しかし、だからといって今まで俺を楽しませてくれた女たちを路傍に放り出すのは、あまりにゲスだしなぁ。
そう考えたバラスは、女たちに愛人としての再就職先を見つけてあげます。
ただ、どうしても一人だけ、相手が中々見つからない……。
30過ぎで二児の母のローズ。さて、どうしたものかと悩んでいると、助け船を出した男がいます。
「彼女を私の妻にしてください」
「あれを引き取ってくれるか、ボナパルトくん!」
そう、あのナポレオン・ボナパルトでした。
バラスとしてもこれで一安心……と思いきや、なんと当のローズが反対します。
「あんな田舎者の冴えないチビねえ。そこは目をつぶるとして、軍人としてまだペーペーじゃないの。彼が死んだら私、路頭に迷っちゃう。それでいいの?」
ナポレオンは妻ジョゼフィーヌにメロメロで
ローズが、かく語るにも理由がありました。
元々彼女は、マルティニーク島からフランス本土にわたり、貴族と結婚するも若くして離婚。しかも一時期は公安委員会に逮捕投獄され、断頭台送り寸前だったのです。
将来の覚束ない、危ない橋を渡るのは御免でした。
「わかったよ、ローズ。じゃあ、あいつをイタリア方面軍司令官にするよ。それなら未亡人年金も出るし、悪くないんじゃないか」
実はこれより前、ナポレオンはバラスに対してイタリア遠征の企画書を提出していたのです。
計画は悪くないとは思いつつ、踏ん切りのつかなかったバラスですが、ナポレオンがローズを引き取ってくれるのならば話は別。
かくして、なかなか生々しい下半身事情と思惑が絡み合い、出会いから半年足らずで、のちのフランス皇帝夫妻が誕生することになります。1796年のことでした。
こう書くと互いに愛情がないように思えるカップルですが、実のところナポレオンはジョゼフィーヌのセクシーテクにメロメロです。
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イタリアへ出発した彼は「ジョゼフィーヌちゃんのおへその下にある、黒い茂みにちゅっちゅしたぁ~い♥(意訳)」という、世界史上屈指の恥ずかしいラブレターをせっせと書いて送りました。
あるいは夫に会いに来たジョゼフィーヌの馬車が敵軍の攻撃を受けると「俺の可愛いジョゼフィーヌを怖がらせやがったな! あいつら絶対ぶっ殺す!!」と激怒。
夫の留守中、ジョゼフィーヌは若い彼氏を作ってこっそり浮気していたりしたのですがね……。
ちなみにナポレオンという名前、これまでイタリア風の発音で「ナブリオ・ボナパルテ」と名乗っていたのですが、妻に「ダサいからフランス風にして」と言われて変えています。
またローズという妻の呼び名も、「せっかくだから俺がつけたあだ名にしたいな」ということでミドルネームのジョセフの女性形「ジョゼフィーヌ」に。
ナポレオンとジョゼフィーヌの誕生でした……って、いやいや、いやいや。デジレはどうなったんですか、デジレは!!!
捨てられましたよ、アッサリと。
可哀相なデジレ。
田舎の可愛いお嬢様と、パリの百戦錬磨セクシー未亡人では勝負にすらならなかったのですね。
「あなたに捨てられたデジレは、今後誰とも結婚しないわ。彼女とどうかお幸せに」
デジレは、そんな手紙を送るしかありませんでした。
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