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【ホワイトウォッシング】
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そんな学芸員たちの危惧をデュヴィーンは無視。彼は知識ゼロの作業員を雇って、彫刻を徹底的に白く磨き上げます。
それは取り返しのつかない、考古学的遺産の破壊でした。
なぜデュヴィーンはこんな無茶ぶりをしたのでしょうか。
「そりゃあ、お客さんのためでしょ。博物館に足を運ぶ人は、雪のように、こう真っ白いギリシャ彫刻を期待して見にくるからね。悪趣味にゴテゴテ塗られたのなんか、誰が喜びます?」
つまりはこういうことです。
デュヴィーンは実際のギリシャ像よりも、空想の中にある白いギリシャ像を重視したのです。
彫刻の表面にあった豊かな色彩は失われ、現在に至るまで僅かな手がかりを元に、その復元作業が続いています。※色彩豊かな古代ギリシャについては以下の記事をご参照ください
藤村シシン『古代ギリシャのリアル』が空前絶後のぉおおおお~極彩色!
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18世紀後半からギリシャ・ローマブームが巻き起こり……
では何故、当時の人々は白いもの、「ホワイトウォッシング」されたものを好んだのでしょうか。
ヨーロッパでは18世紀後半からギリシャ・ローマブームが巻き起こりました。
西洋文明の起源としてあこがれ、純粋な文明であると理想化するようになったのです。民主主義の起源も古代ギリシャ・ローマに認められるとみなされました。
フランス革命の後は、エンパイアスタイルと呼ばれるドレスが流行します。
このスタイルのテーマは古代ギリシャ・ローマ復古調。白が最上の色であり、コルセットで締め付けず、透けるような薄い布地が用いられました。
ナポレオンは月桂冠や鷲といったローマ帝国のモチーフを好んで用いました。
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統一前夜のプロイセン王国では、古代ギリシャの純粋な精神を政治的に利用しようとしました。
ヴィクトリア朝のイギリスでも、古代ギリシャを思わせる白がブームとなりました。
白いドレスを身にまとったヴィクトリア女王の結婚式以来、それまで様々な色合いが用いられていたウェディングドレスは白一色が定番となりました。
ヴィクトリア朝の画家は明るく、美しい白を貴重とした作品を発表しました。
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白という色が持つ純粋さ、処女性、無垢なイメージ。西洋文明の起源である古代ギリシャ・ローマと、白という色の持つ意味合いが、この時代理想化されて結びついたわけです。
考古学者の中には彫刻が着色されていたことに気づきながら「俺の理想は白いギリシャだから絶対に白かった!」と主張する者も現れる始末でした。
こんな時代の中、カラフルな古代ギリシャ彫刻なんて受け入れられない。デュヴィーンはそう考え、金属製のヘラやブラシ、軽石で彫刻を削ってしまったのです。
この問題は現代も続いています。
色を削り取られてしまった彫刻の「エルギン・マーブル」はギリシャ政府が返還を求めています。
1987年に刊行されたマーティン・バーナル『黒いアテナ』では、古代ギリシャをやたらと白くしているのではないかと指摘され、現在まで論争が続いています。
2007年の映画『300 〈スリーハンドレッド〉』は、テルモピュライの戦いを描いています。
同作品において、イギリス人が演じるスパルタ戦士は「民主主義を守るぞ!」と叫び、敵のペルシア王・クセルクセスは不気味な姿で描かれました。原作コミックスではオリーブ色の肌にウェーブのかかった黒髪であった巫女は、映画では白い肌に赤いストレートヘアに変えられていました。
21世紀にもなって、あまりに白すぎるギリシャ描写、西洋文明美化、中東への悪意をこめた描かれ方ではないかとして、論争が巻き起こりました。
このように「ホワイトウォッシング」とは人種差別や歴史修正主義とも関わる、根深い問題なのです。
白を好み、白を最上とするということは、色のついたものは下等だとみなすということです。
繰り返しますが、これはド直球の差別であり、危険な思想につながりかねず、今まで損失をももたらしてきました。
ホワイトウォッシングは根深く、歴史的な問題でもあるのです。
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