ジル・ド・レ

ジル・ド・レ/wikipediaより引用

フランス

大量殺人貴族ジル・ド・レの所業~ジャンヌの戦友は伝説級の鬼畜也

領民を城に監禁し、いためつけて悲鳴を聞きながらワインを嗜む――。

フィクション作品では度々見かける残酷シーン。

実際のところ、我々が想像するほど数多く存在したわけではありませんが、確かにこの手の狂人はおりました。

絶大な権力を持つ者に「殺人嗜好」が備わっていると、犯行をなかなか裁けないという構造的問題がどうしても避けられないものです。

特に「人の命が軽かった中世」は、領民を遊び半分で殺してしまうような愚かな連中がおり、彼らには人権などという概念は微塵もありませんでした。

そんな鬼畜貴族の中には、レジェンド級のシリアルキラーが存在します。

西の横綱とも言えるのが、フランスのジル・ド・レ(1405-1440年)。

ジル・ド・レ/wikipediaより引用

1440年10月26日が命日であり、フィクションでもよく見かける彼は、実際にどれほど酷いことをしたのか?

後学のため、おさらいしたいと思います。

 


両親死して問題ありの祖父に育てられ

ジル・ド・レは当初、洗練された教養と知性の持ち主でした。

粗野な騎士も多かった当時において、音楽、文芸、美術のパトロンとなり、信仰心に篤く、慈善事業にも尽くす――。

それはもう大変立派なご領収様とみなされていたのです。

幼き頃を振り返ってみれば、フランス屈指の名門貴族の家に生まれ、まさに御曹司と呼ぶに相応しい存在。

賢く文学が好きな少年に育ちました。

しかし、父母が相次いで世を去り、孤児になってしまうと徐々におかしくなって参ります。

幼いジルと弟を引き取ったのが、母方の祖父ジャン・ド・クラン。

この祖父が、なかなか問題のある性格だったのです。

祖父のもとで、ジルは家庭教師から引き離され、甘やかされ放題に育ちました。

彼は、16歳で領主の娘と結婚するのですが、そもそもこの花嫁は誘拐されてきた娘でありまして。

既成事実を作る……つまり暴行による婚姻を成立させたのです。

政略結婚による領土拡張を企む祖父の計略だとか、ジル自身の意志によるものだったのか、諸説ありますが、極悪非道であることだけは間違いありません。

ただし、この頃はまだ、後述するような狂気の行状には至っておりません。

 


戦友ジャンヌ・ダルクと出会う

ジルは1425年頃、貴族として、そして軍人としてデビューを飾ります。

当時、祖国フランスはイギリスとの間において百年戦争の真っ最中。宮廷では陰謀が渦巻き、国土は荒廃している大変な時代です。

指揮官として戦場に赴いたジルは、その勇敢さで一目置かれるようになりました。

1429年、ジルは救国の乙女ことジャンヌ・ダルクと出会います。

信仰心の篤いジルは、きっと彼女に感銘を受けたことでしょう。彼はジャンヌとともに、オルレアン包囲戦等で果敢に戦い抜きます。

そしてその勇猛さと戦功を称えられ、シャルル7世の戴冠式にも列席する名誉を与えられました。

式において、ジルはフランス元帥に任命され、家紋には王家の百合が加えられたのです。

まさに救国の英雄でした。

しかし1431年、戦友ジャンヌが敵の手に落ちてしまいます。

ジルも彼女を助けようとしましたが、願い叶わず。彼女のおかげで窮地を脱したシャルル七世も恩人を見捨ててしまいます。

ジャンヌ・ダルクは火刑台に上り、若い命を奪われました。

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さらにその翌年、ジルの人生に影響を及ぼしていた祖父も死去。

この頃からジルに異変が生じます。

領地に引きこもり、かつての勇敢な軍人とはほど遠い、自堕落な生活を送るようになるのでした。

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