現在のフランスとドイツを支配していた王・クローヴィス(466-511年)。
世界史の苦手な方からすれば
「フランスとドイツって、もとは一緒だったの!?」
と驚かれるかもしれません。
フランク王国 分割相続でアウト~! かつてドイツとフランスは同じ国だった
続きを見る
このクローヴィス、ローマ帝国からすると帝国を苦しめたフランク族の王でしたが、後年になって彼は、自分こそがローマ帝国の流れを汲む後継者であると自称するようになります。
ターニングポイントは、カトリックへの改宗。
後に聖人となる妻・クロティルダの存在があったのですが、一体この夫婦に何の歴史的意義があるのや?というと……。
ヨーロッパの大国フランスが生まれた瞬間であったのです。
本稿では、その道のりを振り返ってみましょう。
※文中の記事リンクは文末にもございます
お好きな項目に飛べる目次
花嫁は信心深いカトリック
481年に即位したフランク族の王クローヴィス。
彼は493年、当時18才のクロティルダという、ブルクンド王国の王女を妻にしていました。
愛らしい花嫁ながら、夫には気になることがありました。カトリック教徒の妻は信心深く、常に祈りを欠かさないのです。
「神に祈りを捧げれば、願いが叶います」
真剣なまなざしでそう言う妻の言葉を「そういうモンなのかなぁ……」と夫はなんとなく聞いていました。
クローヴィスはアリウス派を信仰しており、カトリックではありません。かといって、妻のカトリックを否定するわけではありません。
戦場で教会を破壊するようなことはあっても、積極的に否定するほど嫌いでもない。そういう認識でした。
「あなたも改宗しませんか?」
「それはどうかな……」
妻は改宗を勧めてきましたが、夫のクローヴィスは受け流していました。
洗礼直後に待望の男児が死んでしまった
494年、夫妻に待望の男子が生まれました。
妻は夫に言います。
「我が子インゴメールには、キリスト教の洗礼を行いたいのです」
「うーん……洗礼、ねぇ……」
クローヴィスは迷いますが、愛妻の懇願に負けて洗礼式を行うと、その直後、インゴメールは亡くなってしまいます。
夫は激怒しました。
「我が神々を信じていれば、息子はまだ生きていたはずだ。お前があんな神なんか信じて、妙な儀式をやったからだ!」
クロティルダは悲嘆にはくれたものの、夫の言葉を信じることはありません。
そして495年。
夫妻に次なる男児・クロドメールが生まれました。
彼女はまた洗礼を行いたいと主張し、クローヴィスも渋々折れたのですが……。
このとき嫌な予感が彼らにあったかどうかは不明。
洗礼の儀式を行った直後、またもクロドメールは病気にかかり、息も絶え絶えになってしまったのです。
クローヴィスは我が子を失いかけている怒りと恐れから、妻を罵りなじりました。
「言っただろう、お前の神の儀式なんかするからだ!」
悲しみ、パニックになったのは、クロティルダも同じです。
彼女は懸命に神に祈りました。
「どうか我が子をお助けください……」
するとクロドメールは徐々に回復しました。
しかも回復後はすっかり元気な男の子、他の子よりも丈夫な男児に育ったのです。
これにはクローヴィスも心を動かされた様子。
「お前の神に改宗するわけではない。だが、お前の神は祈りを聞き届ける力があることはわかった」
妻の信仰を尊重し、敬意を払うようになったのです。
神よ! この戦いに勝てたらば洗礼を受けます
496年から497年にかけて、クローヴィスはアラマン族と激しい戦いを繰り広げていました。
戦況が不利になる中、クローヴィスの脳裏に妻クロティルダが祈る姿が思い浮かびました。
「そうだ、妻の神に助けを求めてみよう」
必死で神の名を呼ぶクローヴィス。
しかし、事態は悪くなるばかりです。ここで「やっぱり神頼みはアカンな……」とはならず、彼はさらに頼みました。
「ええい、ちっとも助けてくれんではないか! わかりました、心を入れ替えます。もしこの戦いで勝利をもたらせてくれるのならば、私は洗礼を受けましょう」
するとなんということでしょう。
フランク族は勢いを盛り返し、敵を敗走させたのです。
勝利をおさめ、戦場を眺めながらクローヴィスは考えました。
「ああいうふうに考えたからには、洗礼を受けないといかんだろうな、うん」
本当に神の力で勝利できたのかどうか。
そんなことはどうでもよく、これから先の展開が重要です。
※続きは【次のページへ】をclick!