天正5年(1577年)10月、松永久秀自刃――。
光秀は久秀の形見である平蜘蛛を受け取ります。
いかなる折にも、誇りを失わぬ者。志高き者、心美しき者。持つだけの覚悟がいる、そう伝えられた平蜘蛛でした。
丹波の国衆ではなく義昭
備後の鞆には、足利義昭がおります。
信長が勢力を安定させられぬ中、義昭は「信長倒すべし」と文を送り続けているのでした。
丹波の亀山城では、反信長の国衆が引き立てられて来ます。
藤田伝吾に縛(いましめ)を解けと命じる光秀。青い桔梗色の幕が美しく映えております。
光秀は敵の無念の情に理解を示します。戦に正義はなく、勝敗の時の運、明日は私がそこに座るやも知れぬ。そう語る光秀。そうそう、勝負は兵家の常ですね。
荒木という国衆は、首を刎ねるつもりならそうしろと言う。光秀はそのつもりなら昨日しているといいます。その上で「ご一同への頼み」を伝えます。
焼けた城跡に二度と城を築かぬこと。
戦で焼けた橋を架けること。
踏みならした田畑を耕すこと。
「我らを斬らぬのか?」
そう驚く荒木たち国衆。光秀は彼らに家へ帰るよう促し、しばらくは年貢を取らぬとまでいい出します。
そして国衆の力を借りたいという。今申すのはそれだけだと。
伝吾に見送らせつつ、ひとつ尋ねるのです。
何故、戦を続けるのか?
光秀は戦を続く世の中を変えたい。天下を一つにまとめ、よき世を作りたい。それなのに、国衆は耳を傾けてくれぬ。なぜ抗うのか?
すると荒木は答えます。足利将軍より授かり、恩顧を受けてきた。その将軍が西におり、助けを求めている。その恩に報いるために、戦うしかないのだと。
光秀は、控える斎藤利三にこう言うのでした。
「我らが戦うておるのは国衆ではない……備後の国におられる足利将軍だ」
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情けは人の為ならず
明智光秀の人生とは、なんと皮肉なのか……。
幼い頃、木に登った。そこから景色を見たかった。そして見えてきたのは、自分の原点です。
侍の頂点に立つ公方様こそ、倒さねばならぬことをまた見出してしまったのです。
光秀は大変な境地に入りつつある。
三淵藤英にせよ、松永久秀にせよ。生存本能よりも心を選んだ。
どうすればいい? そういうことなのか? 混沌が尽きません。
ここでの光秀を見て、ええかっこしいだの言うのは少し違うでしょう。
敵を追い詰めるにせよ、逃げ道をあえて用意することは戦術の基礎。というのも、四方をみっちりと塞ぎ降伏の手段を断つと、かえって死に物狂いになって向かってくるため危険です。
光秀のように寛大さを示し、心を気にかけることが基本。
用兵の道は心を攻むるを上となし、城を攻むるを下となす。心戦を上となし、兵戦を下となす――。
そういうことです。
現に、そういう綺麗事でスウェーデン王になった人もいるんですね。
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寛大さは、自身の生存のためにも必須です。
情けは人の為ならずとは、誰もが一度は耳にしたことがありましょう。
菊丸を一瞥する秀吉
京都の館に戻り、光秀は平蜘蛛を取り出します。
行方を知らぬと信長に言ったことを思い出しつつ、取り憑かれたように見つめるのです。
この光秀の顔には、何か変わった何かが見える。透き通った水のような表情に、何かがポタリと垂れたような……。
そこへ伝吾がやってきて、羽柴秀吉の使いが来ていると告げます。
要件は、明後日播磨に出陣するので、挨拶に伺いたいとのこと。
「お待ちすると伝えよ」
そう光秀は返します。
菊丸は、庭で腹痛に効くカワミドリを、光秀の娘・たまにさしあげたいと下女に差し出しています。
種も持参した、芽が出たらまた持ってくる、と。何気ない場面のようで「十兵衛様の腹痛」に効く漢方生薬を調べているために、手間がかかっていると思います。
こういう評価されにくいところで手を抜かないところが、本作の持ち味でしょう。
するとそこへ羽柴秀吉が案内されてくる。
いや、案内をふっきって勝手に広間に向かっているらしい。そして菊丸を見て、文字通り目の色を変えます。
「おう、その方。ふむ……」
そう言いつつ、奥へ向かう秀吉。
そしてお聞きおよびのことだとは思うが、播磨表の総大将を任されたと浮かれた様子で言います。
自慢ともとられかねないところを、これも明智様のお引きたてのおかげだと持ち上げます。そのお礼と出陣の挨拶だそうです。
光秀は、大した出世だと言う。
本願寺を支える毛利の出城のような土地であり、信長からよほどのご信任を得たと褒めると、秀吉は平伏しながら「光秀の足元にも及ばない」と言い出します。
光秀がその「足元」をとらえます。
「申し上げれば不義理、申しあげねば不忠の極み!」
「足元を掬われた」と問い詰める光秀。
秀吉がシラを切ろうとすると、掬われた方は呆れ果てるばかりだと光秀が問い詰める。
ここで平蜘蛛の一件だと明かすのです。
秀吉も茶には詳しくなった。茶釜のことは存じている。松永久秀が譲ったらしいと信長にご注進した。それで信長の寵愛を得た。そう問い詰めてゆく。
戯言だ、誰がそのようなことを!
秀吉はそうやって怒りを見せる。詰めが甘い相手ならば、これで通じるのでしょう。
しかし相手は光秀。秀吉には弟が大勢いて、忍びまがいのことをしている者もいると指摘します。
その中で口が軽い弟がいる。久秀と光秀の密会を言いふらしていると問い詰めるのです。
辰吾郎――そう名前を告げながら、引き立ててきてもよいと脅すように迫る。
もはや観念したのでしょう。言い訳に走り始める秀吉は、松永の動きを見張るよう信長に命じられ、まさかあんなことを目撃するとは思いもよらなかった、信長に申し上げるか迷ったと言います。
「迷うたが、出世の道を選んだ」
光秀は容赦がないし、秀吉の狡猾さも見えてくる。
彼特有の明るさ、陽気なパーソナリティでごまかそうという意図は感じますし、現にそういうことが通じる人生を歩んできたのでしょう。
理詰めで証拠をつけつける光秀に対し、感情を刺激して言い抜けしようとする秀吉。その対比がわかります。
そしてこうだ。
「申し上げれば不義理、申しあげねば不忠の極み!」
板挟みだったとアピールする。そのうえで光秀の心を操るようなことを言う。
戦に勝ちに勝って、敵を倒し、乱世を終わらせれば光秀のためになるとアピールするのです。乱世を平らかにしたあとで謝れば、許してもらえると思ったと。
なんて狡猾極まりないんだ……。
自己弁護のくせにいちいち「光秀のためを思っているんだってば」と、おしつけがましい一言を付け加えてくるのです。
何をするにも自己アピールをしてくる……なんなんだこいつは、本当にこいつは、一体なんなんだ。
世渡りで生きてきた感がすごい!
何事もスラスラと口先で生き抜いてきた――そんな巨悪を演じる佐々木蔵之介さんは今回も圧巻で絶好調だ! 止まらない!
何の迷いもなく、むしろ自信満々で、彼にオファーをするNHKの気持ちがわかります。
それに、この理屈をあてはまれば、秀吉は絶対許すことのできない巨悪、宿敵だとわかります。
海を超えて、朝鮮でも麒麟を駆逐し、明にも打撃を与える。その後始末にどれほど徳川は苦労することか?
朝鮮から持ち帰った耳を埋めた「耳塚」では、韓国の方と日本人有志が慰霊祭を現在でも続けています。
このあたりの事情は、金文吉(著)・ 天木直人(編集)『麒麟よこい』(→amazon)がおすすめできます。『麒麟がくる』の便乗本でもなく、ドラマの理解を深めるためにも読んでおきたいところです。
◆【書評】金文吉・天木直人編『麒麟よこい』(→note)
このように秀吉は、光秀の論理からすれば絶対に許せない存在――そして光秀の意思を受け継ぐ人物が徳川家康だと、ここでも見えてきましたね。
口の軽い弟は屍に……
「平かな世」とは何か?
光秀は秀吉に聞いてみます。
秀吉はここで目をぎらつかせ、こう返します。
「昔のわしのような貧乏人がおらぬ世ですな……」
これはなかなか危険な予兆がある。
光秀は扇を突き付けながら「貸し」にしておくと言い、口の軽い弟は叱っておけとも釘を刺しておきます。
ここは重要でしょう。光秀は、秀吉の残酷さを過小評価している。この先、辰吾郎がどうなるかわかっていたら、違った反応だったかもしれません。
秀吉は、辰吾郎はおっ母がどこぞの男との間にもうけた子であって、躾も何もあったものでないと言う。
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金をせびってばかり。叱っておくと語ります。弟を謙遜するというよりも、蔑む見方を感じさせますね。
卑しい母が、どこの誰とも知れぬ男と作った、どうしようもない弟。値踏みするような、自分にそう言い聞かせるような……。
光秀に対して、秀吉も反撃に出ます。
庭で東庵のもとに出入りする菊丸を見たことを告げるのです。おっ母の元にも出入りし、煎じ薬を持ってきたりする。何者か?とカマをかけてきました。
ただの薬売りと承知していると返す光秀。
「ほう、わしにはそうは見えませぬが……」
そう答える秀吉はどこまで狡猾なのでしょう。
彼には人の情を操る才能がある。自分だったら簡単に殺せる駒でも光秀はそうではない。光秀に反撃するためにも、菊丸を始末するくらい何ともない。そもそも自分の母に接近しているだけでも許せない!
そう脅迫する物言いをして、去ってゆくのですが……場面変わって、秀吉の弟・辰吾郎が仲間と博打を楽しんでいます。
すると、秀吉の家臣たちが呼び出しに来ました。
短刀を抜く誰かが見える。辰吾郎の命は軽い。ここで死んだとしても、博打で揉めて喧嘩で死んだ、で終わるのみでしょう。
秀吉は、そんな弟の死を見届けたいのか、往来で顔を隠し潜んでいます。
そこに物乞いをする子どもたちの声が響く。
「みよ、昔のわしじゃ。皆、昔のわしじゃ。今のわしはもう違う……」
そう目をぎらつかせる秀吉。その近くで辰吾郎は物言わぬ屍となっているのでした。
秀吉の無謀な征明まで浮かんでくる
演じる佐々木蔵之介さんは『マクベス』のこんなセリフを思い出したそうです。
「血の川へここまで踏み込んだからには、先に行くしかない」
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毎回、秀吉がおそろしくて、涙ぐんでしまう。ものすごく深くて見逃せなかった。あの子どもを昔の自分だと思う姿は、全くもって微笑ましくない。
つまり、あんな子どもだろうが、いずれ自分を脅かすかもしれないのならば、殺す理由が成立するということになる。
豊臣秀次の幼い子を殺し尽くしたような、不穏な筋道が見えてきます。
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もう、この秀吉には、これから行う何もかもが筋道として見えてはいる。
こうした秀吉像は、きっちりと最新研究や知見を反映し、かつ過去を振り返る秀逸な像ではないでしょうか。
秀吉の評価は難しいのです。
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徳川政権となった江戸時代は低いのが当然としまして、問題は明治以降。日本が海外へ領土を拡大するとなると、秀吉はその先例として称揚されたのです。
第二次世界大戦でそうした流れも終わるかと思ったら、そうでもない。サクセスストーリーぶりは、経済成長ともシンクロし、もてはやされました。
その一方で、晩年は例外的な狂気として処理されてしまう。
秀吉にある本質的な危うさは、突発的なエラーか、北政所や淀、石田三成らが唆したことともされてきた。
朝鮮出兵に関連することは「隣国がうるさいから映像化できない」という言い訳もありますが、これも隣国を逃げ道にして、本質と向き合うことを避けていたのではないかと思えるところでして。
要は秀吉の見直しとなると、近現代史も絡んできて面倒だということですね。
本作はそこから逃げないどころか、現代の社会情勢をからめて一段上に登ってゆく感がある。
どうして秀吉が、無謀な征明まで妄想したのか?
その動機付けとして、このセリフがあります。
「昔のわしのような貧乏人がおらぬ世ですな……」
攻めて、攻めて、明まで支配すれば、日本人は金持ちしかいなくなる! この戦は日本のためだ――とは、あまりに無茶苦茶ですが、この理屈は明治以降の日本の歩みと重なります。
現にそういう重ね方をした先例があるからには、そこまで想像してしまいます。
そして現代にあてはまることでもある。
「絶滅に向かっているのに、経済成長のおとぎ話ばかり」
グレタ・トゥーンベリさんはそう突きつけました。
経済成長をし続ければ、貧困もなくせるはずだ。これは未来を生きる子どもたちのためだ。そう言い訳しながら、環境を破壊しているじゃないか!と、彼女は突きつけたのです。
終わらない成長、貧困をなくす。そんなことはそもそも可能なの?
秀吉を反面教師として考えると、見えてくるものはあるはず。SDGsを意識し、マイストローを持ち歩く若い世代からすれば、本作で描く秀吉は、もう魅力的なロールモデルにはなり得ないのでしょう。
公家の事情にも詳しい菊丸
光秀は東庵の元へ向かいます。目当ては菊丸です。
たまと駒が出かけていったと告げる菊丸。
肩のこりが酷いので、鍼治療に来たと語る光秀に対し、丹波攻略を担当していたならば肩も凝ると理解を示します。
光秀は、戦だけでなく、京における信長の評判が悪いと切り出しました。御公家はともかく、町衆の評判は悪い。
公家にしたって、二条様と春宮ばかりを贔屓していると菊丸は答えます。
その情報収集能力に光秀が感心していると、公家の館へも薬を売りに行くから詳しくなったと語りつつ、二条晴良が春宮に譲位を迫っている話まで言い始めます。
「しかしそういうこともすべて、三河の殿に知らせるのだな」
思わず薬研を使う手が止まる菊丸。
たしかに三河の徳川家康は織田信長と同盟関係にある。しかし、その相手が頼りになるか知りたいのだろう?とかまをかける光秀です。
急な指摘をされて慌てる菊丸に対し、光秀も今さら隠すなと語りかける。そのうえで、羽柴秀吉が狙っている、そろそろ潮時だと告げるのです。何度も助けてくれたことに礼を言い、逃げて欲しいと話す。
というのも秀吉の家来は行動を起こせば素早いため、今すぐにでも京を離れろと光秀は告げるのです。
これに対し、思わず苦しい胸の内を話し始める菊丸。このままの暮らしがよい。駒と薬を作って同じ家の中にいたい。
三河のために命を捨ててもよいと思いながら、もうお役目を返上したい。お恥ずかしい話しながら、そう思うのだと。
たとえ三河に帰ったとしても、もう家で私を待つ者はいない。皆死に絶えてしまった。こうして駒のもとで薬を作っていると、三河のことも忘れてしまう……そう語るのです。
戸の外では、駒が話を聞いていました。
たまが「子猫を見つけた」と近寄ってくると、駒は黙って彼女とその場を離れます。
人には言えないたまの秘密とは
「申し訳ございませぬ。つまらぬことを申しました」
室内では菊丸が光秀に話を続けていました。
「仰せの通り潮時かと。駒さんや東庵先生を巻き込む前に行こうと存じます」
そう言われ、頷く光秀。
一方、たまに様子を聞かれた駒は、部屋の中で光秀と菊丸が難しい話をしていると説明していました。どのくらい難しい話なのか?と無邪気に問いかけるたまに、駒は「人には言えないほど」と言うしかない。
すると、たまも人には言えない秘密がある、駒なら話せると明かします。
二人で座り、話し合うことに……。
たまは嫁に行きたくない。母が亡くなり、父上を残してはおけない。父が戦に行く姿を見送らねばならない。
一緒に戦に行けぬからには、それがせめてものつとめ。一生見送りたいと言います。
駒は理解を示しつつ、今後50年も100年も戦に行くわけではないと告げます。
人はいずれ、遠いところへ旅立つのだから。
「わかってます。だから悩んでしまうんです。どうすればよいのか……」
たまはそう返します。
駒の言葉には願望や諦念も感じさせます。
初めて駒が光秀と会った時。麒麟を信じていると告げた時。二人とも、自分たちが白髪頭になる頃には、麒麟の姿が見えるのではないかと思っていたかもしれない。
それがこうして、光秀の娘がずっと父は戦に行く前提で話している。
麒麟がくることが早いのか?
それとも自分たちが遠いところへ旅立つ方が早いのか?
人生の折り返し地点を過ぎたであろう駒から、そんな悲哀を感じます。
駒の存在意義が集約
駒は、たまがご自身のことをよく考えて、頃あいのよいころ決めれば良いと助言します。
彼女らしいアドバイスと言えましょうか。
恩義ある東庵を世話する。
元孤児だった駒は、結婚が難しかったとは考えられます。
世を見たい、人を救いたい。そう思ううちに、良妻賢母となる道は歩めなかったとも解釈できなくもない。
ただ、それも自分が決めた道。頃あいが到来しなかっただけのこと。そういう見方もできます。
最終回間近になってまで、駒は不要だという記事がまだあります。
けれども、駒の存在意義はこの場面に集約されていました。
麒麟がくる世の中は、彼女のような庶民にとっても望ましいもの。そして彼女のような人だって、その到来のためにできることはある。
社会は一人一人の人間が作り上げるもの。それを選別して、不要だの何だの言うことそのものがどうか。女優を叩くより、先に考えることがあるでしょう。
門脇麦さんは新春時代劇にも起用されていました。
時代劇に映える枠としてNHKがじっくり育てて大事にする意図が伝わってきます。彼女の将来を悲観する必要は感じません。
そしてこの場面では、門脇麦さんも芦田愛菜さんも、低い自然な声で語っている点がよいとも思えました。
日本人女性の無理に作る裏声は、あまり評判がよろしくない。海外ドラマを見たあとですと、その落差に驚かされます。
無理に作った裏声ではなく、自然なトーンで語ることの良さがあります。
さて、菊丸は往来を歩いています。
そこへ傘を被った羽柴家臣らしき侍、刺客らしき武士が襲いかかります。
大八車を押し、敵の進路を防ぎ、攻撃をかわす菊丸。そして街の中へと消えてゆきます。
短い場面ですが、アクション、小道具、セット、エキストラ、動きが全部整っていないとなかなか難しい場面。菊丸を演じる岡村さんの運動神経の良さはよく知られており、それを生かしてのシーンでしたね。
ちなみにこういう撮影の厳しさは放映中の朝ドラ『おちょやん』でも見られます。
九州にいたはずの前久が安土城に
安土城では、鼓の音が響いています。
信長が打っています。近衛前久に習っているようです。
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その広大な城に、光秀がやってきました。
そして大広間で信長と対面。
信長は十兵衛が参ると聞いて、鼓を用意してあると言います。
彼なりに、光秀と楽しむプランを立てているのでしょう。
光秀には鼓の嗜みがある。近衛前久とも親しい。三人で楽しめるぞ!
そういう目論見はわかるのですが……どうして信長はこんなにズレているのか。
自分が楽しいことならば、光秀もそうだと勝手に思っている。
なぜ情緒ケアができないのか。光秀が根に持っていることの負担を軽くするようなことができないのか?
三淵藤英や松永久秀を悼む話をするだけでも違うだろうに……。
近衛前久が、光秀に久しぶりだと声をかけます。噂では九州にいたと驚く光秀に対し、前久が信長の人遣いの荒さをこぼします。なんでも毛利と同盟を結んでいる九州の大名説得工作をさせられたとか。
信長は「立っているものは親でも使え」と開き直っている。
彼の問題点がまたも見えてきましたね。
自分の用件ではコキ使うくせに、京都にいる前久の宿敵・二条晴良を関白の座からは放逐しない。どうやらいつも鼓で誤魔化すとか。
すると信長が天主に案内していないと言い出す。
今日は天主で誤魔化すつもりか?と前久。
「先の関白が今や信長殿の操り人形じゃ」
休む間もないと自嘲するしかないようです。
信長「世間の声が大事だ」
前久が去ると、信長が自身の思惑を語り始めました。
二条晴良を追い出し、その代わり前久と共に春宮への譲位を進めるつもりとのこと。
さらに世間の声が大事だと信長が言うと、光秀もその通りだと同意します。
本願寺や毛利を破ろうとも、人の心がついてこなければ天下は治められない――。
これに対し信長は案ずることはないと得意げです。
京都でのわしの評判は上々だと聞いている、とのことで……。
「左様でございますか。それはどなたにお聞きになりましたか?」
問い詰めるような光秀の言葉に思わずムッとしながら、皆そうだと答える信長。京都では安土への道を通り、美しい城を見たいと皆が申しているとのことでした。
が、光秀は容赦ない。
ならばなぜ松永久秀や公方様は叛乱をしたのか。
「もうよい!」
信長はたまらず怒鳴りつけ、今日は一緒に鼓を打つのだから、もそっと素直な物言いをせよと怒鳴るのでした。
やはり、すれ違っています。
信長は光秀が大好きで、自分と同じくらい光秀も信長を好きなのだと信じている。俺が鼓を打って楽しいなら、お前もそうだよな。そういう甘えがそこにはある。
それに信長の自信過剰や想像力不足も見えてきた。
家康は、菊丸が不快かもしれないと前置きする情報でも聞く。けれども、信長は聞きたくない情報には怒り出す。
こうなると周囲は素直に諫言できなくなり、危険です。
京の皆が綺麗な安土城を見たがるなんて、馬鹿馬鹿しい話といえばそう。
そういうしょうもない嘘を誰かが熱心に吹き込んで、信長の思考回路をせっせと壊しているのでしょう。
平蜘蛛をカネに換えると!
光秀は正直な気持ちで申し上げていると前置きし、左馬助に包みを持って来させます。
それをうやうやしく信長に捧げる光秀。
なんと、平蜘蛛でした。
これには信長も驚いています……が、嬉しそうには見えない。光秀は所在を知らぬと嘘をついたことを詫びつつ、松永久秀に勝利した祝いという名目で贈ろうとします。
「それをわしに?」
信長の胸には猜疑心がある。何が言いたいのか?と問い詰めると、光秀は、これほどの名物を持つ者の覚悟を伝えました。
いかなる折にも、誇りを失わぬ者。
志高き者、心美しき者。
そう思えば叛く者も消える。天下は安らかになり、大きな国ができると。
そうなっていただきたい。光秀は願いを託しながら信長へ渡します。
「ほう。聞けばなんとも厄介な平蜘蛛じゃな」
信長は雑に、無造作に触ります。松永久秀や光秀の触り方とはちがう。
そして、あろうことか、いずれ今井宗久に金に換えさせると言うのです。
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今井宗久の生涯|信長に重宝された堺の大商人は秀吉時代も茶頭として活躍
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一万貫くらいになるのではないか。
そう思わぬか?
光秀に迫る信長。
「それを金に?」
「その値で売れるか、売れぬか。それでこの平蜘蛛の値打ちは分かろうと言うものじゃ。ふふふふ……」
光秀は呆然としています。
決定的な決裂が見えてきました。
今回の感想で、光秀の態度について【トーンポリシング意見】がありました。
秀吉や信長への態度が悪い、というわけですが……どうしてそうなるのか?
これは日本の病理かもしれず、ちょっと怖くなってきたのですが。
秀吉にああも強気なのは、決定的な証拠を掴んでいるから。弁護士にせよ、探偵にせよ、決定打があって相手を問い詰められるとなれば、そこはそうなるでしょう。
信長に対して強気なのは、諫言を言うつもりだから。
諫言とは主君にとって耳に痛いことですから、いろいろと工夫をすることが求められます。
平蜘蛛という飴で釣り、久秀譲りの【君主たる心得】を説くつもりだった。こういう諫言をされた時にトーンポリシングをする君主というのは、古今東西、暗君認定されます。
海外の歴史ドラマを見るとわかります。
華流では嫌みたらしい口調や、ひねりを効かせて諫言する家臣が出てきます。主君はイライラしつつ「それもそうだな」となれば聞き入れる。なぜなら、そうしないと「ダメだな、こりゃ暗君だわ」と自身の評価を落とされてしまうからです。
韓流では「王様ァ! 申し上げます! 王様ァアア!」と絶叫する家臣がたくさん出てきます。腰が低いようで、進言内容はパンチが効いているので、王は苦い顔でそれを聞く。
西洋の作品でも、上官や主君に対して「畏れながら申し上げます!」と断固進言する軍人なり大臣がいます。
そこで「態度でかいんだよ……俺を舐めてんのか?」と返すとか、周囲が「あんな態度じゃ聞かれるわけないでしょ」なんて言うことはない。
個人的に、この手のトーンポリシング論が出てくるのって、日本では昭和平成以降のような気がします。というのも、かつての時代劇では「殿ォ!」と上訴する人が出てきて、それに対してトーンポリシングする感想はなかったように思えるのです。
先にあげたグレタ・トゥーンベリさんにも「あんな生意気な態度ではだめだ!」という声はありましたが、基本的に、発言の中身を聞いた上で判断しない者は、暗君認定されるのが世の常です。
◆ 自分の主張をするためのアサーション 人の発言を封じるトーンポリシング(→link)
西三条実澄の館へ
京都の西三条実澄の館――光秀が王維の詩を読んでいました。
『送別』
下馬飲君酒
馬を下り 君に酒を飲ましむ
馬を下りて、君に酒を飲ませた
問君何所之
君に問う 何の之(ゆ)く所ぞ
君に聞きたい、どこへゆくつもりか?
君言不得意
君は言ふ 意を得ず
君は言う わからないと
帰臥南山陲
南山の陲(ほとり)に帰臥(きが)せんと
南山のほとりに帰って休もうか
但去莫復問
但(た)だ去れ 復(ま)た問うこと莫(な)し
わかった、行ってくれ、もう尋ねない
白雲無尽時
白雲 尽くる時無からん
白い雲は尽きることはないのだ
友との問答のようで、自問自答かもしれない。どこへ行くのかわからない。疲れてしまった、休みたい――そんな迷いがある詩です。
漢詩で【本能寺の変】の伏線を見せてくる。
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なぜ光秀は信長を裏切ったのか「本能寺の変」諸説検証で浮かぶ有力説
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池端先生は、ほんとうに漢籍が好きです。愛を感じます。
こうなると、中国嫌いの人には本作を勧められなくなりそうですが、同時に日本はずっと漢籍が共用だったということを学んでもよい気はします。
「今の明智殿の気持ちかな?」
実澄が問いかけます。
戦、戦で世がなかなか静まらぬ。肝心の信長の気持ちもわからない。田舎にでも引きこもって暮らすのか?
「田舎に引きこもりたいとは思いませぬが……」
すでに帰蝶はそうしており、実澄は信長の変化を懸念しています。
困惑する光秀に、実澄も理解を示します。
そして、帝も同じであると。
信長を武家の棟梁として、将軍と同じ右大将にした。それなのに、春宮にご譲位せよと迫り、嫌がらせに右大将を返上してしまった。おそろしきことだと実澄はおそれおののいてはいる。
帝も朝廷も、変えてしまうつもりなのか。それが杞憂であればよいのだが……そう打ち明けます。
信長は幼児性を発揮しているとも思える。
蘭奢待のことで自分を怒らせた帝には無理を言い、くれたものを返してやることで、自分の心の傷への復讐をしてやった。
平蜘蛛の扱いもそう。
もう遅い! 嘘をついて傷つけた仕返しをしてやる。言うことなんか聞かないで、売っぱらって、光秀を傷つけてやる!
思い通りにならないと泣き出す子どもじみた幼稚さ。そんなしょうもない意趣返しのせいで、信長はどんどん孤立してゆきます。
それでも彼からすれば、自分を傷つけた相手が悪いということになるのでしょう。
月に住む男の話
「月見じゃ、月見じゃ」
そう実澄は促し、内裏へ向かいます。
そこへ月光をその身に宿したような帝が、しずしずとやって来ます。
「おお、見事な月じゃ。のう、明智十兵衛」
そうこえをかけられ、光秀は「は……」と驚きつつ応じます。
帝は、月に住む男の話をし始めました。
月には呉剛という男が住んでいる。日本では「桂男」の名で知られています。出典は『酉陽雑俎』。
桂男はなぜ、月に登ってしまったか?
そう問われ、光秀は幼き頃に聞いた話をします。
不老不死になれる花を全て振り落とし、独り占めしてしまった。それが神の怒りに触れて、月の宮殿に閉じ込められてしまった。そこで桂を伐採し続けているのだと。
不老不死のまま、木を伐り続ける桂男。それはどういうことなのか? 彼の罪は何であったのか?
帝は、先帝の教えを語ります。
月はこうして遠くから眺めるのがよい。月に近づこうとしてはならぬと。
「なれども力を得る者はみな、あの月へ駆けあがろうとするのじゃ。実澄はどうか?」
登りたいのはやまやまなれど、あの高さでは息切れしそうでやめておくと答える実澄。
その答えを聞き、帝は言う。
数多の武士たちが、あの月へ登るのを見て参った。そしてこの下界へ帰って来る者はなかった――。
駒もこう言っていました。人はいずれ、遠いところへ旅立つと。
月に登るというのは、死のようでもある。のみならず、懲罰としてずっと木を伐採し続ける。冷たい場所でひたすら一人、木を伐採し続ける。孤独の極みのようではある。
地獄に落ちるとか。罰が当たるとか。そんな言葉よりも、もっともっと美しく、おぞましいことを帝は言う。月光を宿したような白い顔で言う。
こうなると、もう彼自身が怒り、月に追放する存在のようにも思えてきます。
「信長はどうか? こののち、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」
「はっ」
光秀はそう返します。
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天正6年(1578年)、たまは細川忠興に嫁いでゆきます。
父の死のあと生き延びて、麒麟がくる世の中の到来を目前にして、彼女は自ら命を断つ。
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そんな運命も知らぬまま、白無垢の彼女は祝言へ向かいます。
嫁ぐ日は晴れがましく、たまは美しい。それでもこんなにも悲しいのは、その運命のためか。麒麟がくる道の露払いをするために、明智の一族は血を流してゆく運命にあるように思えるのでした。
MVP:菊丸と辰五郎
本作の巧みな点は、人を映す鏡のような人物の使い方が抜群にうまいところです。
忍びとして使う菊丸と辰五郎。その使い方で、光秀と秀吉の違いをキッパリと見せてきました。
忍びなんて使い捨てである。そういうフィクションは多いものです。
日本史を題材にしたフィクションでの忍びとは、切り捨てられる人間像の象徴でもありました。
忍者がやたらと殺し合うフィクションは『バジリスク 甲賀忍法帖』をはじめ大変人気があります。
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史実として忍者が殺し合っていたとか。そういうことが主題でもない。
人がいかにして、命ある人間を道具扱いし、殺すのか。その残酷な心理を描く装置として、忍者が使われる作品も多いのです。
菊丸に恩義を感じる。任務のために家族と離れ離れになる彼のことを思いやる。そのうえで、危険を承知で助言する。そんな光秀は優しい。理想の人間像がそこにはある。
一方で、目をぎらつかせながら弟だろうと殺す。秀吉からは、冷酷極まりない姿勢を感じます。
光秀はやはり原点回帰してゆく。
危険を冒してでも幼い子を火事から救った、父譲りの本質がそこにはあります。
秀吉にも、本質があります。
子役時代がない彼の本質は、子どもの頃の回想から見てゆくしかない。
死にゆく妹のぶんまで食糧を奪った。そのことを反省しつつも、自分の苦労話として語ってしまう。
そして今回、弟を始末した。そのうえで幼い子どもたちを眺め、目をぎらつかせている。貧しい出自であることから、出世のために何かを犠牲にすることを正当化している。
秀吉は、晩年狂ってしまうわけではない。
本質そのものに危険性があった。それを矯正できないと見えてきます。
この秀吉からは、朝鮮に出兵し、甥である秀次を惨劇に散らす姿が既に見えてきています。
本作の信長をサイコパスだのなんだの言う話はよく聞きますが、抜群に人受けがよく、自己利益のためならば口八丁手八丁起用に使いこなすという意味では、秀吉の方が本質的によほど危険だと思うのです。
その秀吉より強い男がいるわけで、彼は予告で顔を見せていました。
総評
すごいことになってきた。
本作は、大河の終わり方として新たな理想像を示すようでもある。
歴史ものって、意地悪かつ陳腐なことは言われます。
「どうせどうなるかわかっているのにさ、見る意味あるの?」
あるんですよ!
研究は進む。諸説が出てくる。フィクションとなればあっと驚く解釈もできる。
本作は引っ張り方が抜群にうまいので、皆が知っている結末に向けて予想がバンバンと盛り上がっております。ここまで最終盤となると、かなり形は見えてきましたが。
そして本作は、人間心理の細やかさを描くために、現在の状況とも重なるところが実に多いと思えます。
毎週気になっているのですが、池端先生は盤石として、脚本協力の岩本麻耶さんはどういう手練れの方なのでしょう? すごい方だということは想像つきますけれども。
それはさておき、今週の現実とリンクする点を見ていきますと……。
◆秀吉:苦労人だからといって優しいわけでもない。
【シンパシー】と【エンパシー】の問題
秀吉は、貧しかった己の過去を思い出して、悪事を正当化すると示されました。
貧しい子を見る目が怖い。共感よりも、警戒心がぎらついている。
秀吉の描き方は、人間はどうやって成立するかという複雑さにも踏み込みました。
【シンパシー(sympathy)】と【エンパシー(empathy)】の問題ではないでしょうか。
どちらも同情と訳すことはできる。ただ、立地点が違う。
前者が過去の自分の状況から同情することだとすると、後者は相手の立場を想像して同情を寄せることとなります。
秀吉が苦労人だから優しい。その理屈はシンパシーにとどまる。
けれども、こうしたシンパシーとは、自分の経験範囲でとどまってしまう危険性はあります。
時代物はこれがネックとなり得ます。
自分の経験を超えた苦労話が出てくると「ありえない!」から「嘘だ!」となってしまうもの。
そうなると、自分が知らない、経験していない範囲の苦労は見過ごすこととなる。
そこでエンパシーだ! となりますが、エンパシーは思考訓練、想像力、バイアスを捨てることがないと実現できません。
光秀は【エンパシー】を発揮できる。けれども秀吉は【シンパシー】の範囲にとどまり、しかも国を運営するビジョンがない。
出世して、自分の好き放題やることを掲げている。
そういう未来なき英雄と示されてきました。
◆信長:パンとサーカス、想像力の欠如
想像力の欠如は、信長にも課題としてあります。
俺が鼓を打つことが楽しいのならば、光秀もきっとそうだ!
俺が安土城にワクワクするなら、京の民もそうだ!
そういう幼稚極まりない、想像力の欠如に突っ込んでしまった。
信長が幼稚だなあ、ダメな奴だなあ。そう思いつつ、ゾッとするほどリアリティがある、そんな現実がおそろしい。何が? そりゃ、オリンピック。楽しい運動会だのなんだの言われたところで、知ったことじゃない。
想像力の欠如した為政者はおそろしい。苛政は虎よりも猛しとはこのことか。そう本作の信長と現実が重なることがおそろしい。
ほんのわずかなズレが、破滅へと向かう。そんな最終回への道も見え、盛り上がるこのドラマです。
いよいよ結末も見えてきました。
そしてここで、指摘しておきたいことがあります。
本作では松永久秀は爆死説を取り上げませんでした。
同様に明智光秀天海説を取り上げるようなことも【ない】でしょう。
両者ともに時間がかなり経過してから創作されたもので、根拠は極めて乏しい、いわばトンデモ説のような話です。
今なら『月刊ムー』に掲載される類の話。
考えたいのは、そんなトンデモがどうして信じられたりするかということ。
・時間の経過
・語り手の多さ(できれば肩書きのある語り手ならばなおよし)
この2点さえクリアしてしまえば、荒唐無稽な話でも「一説」として成立してしまうのが世の常です。
大河ドラマでも過去の作品では、この過ちを犯したことはあります。
有名な一例として『独眼竜政宗』の義姫による伊達政宗毒殺未遂事件を挙げておきます。
現在、この話は完全否定されております。しかし大河ドラマでまで取り上げられると払拭できず、弊害は現在も続いています。大河はなまじ有名なだけに弊害も大きくなるんですね。
昭和ならともかく、令和にもなってそういう悪質なことはないと私は信じております。
むしろ注目したいのは、そういう通説を信じたくなる人間の心理、そして現在、世界規模での歴史フィクションの流行です。
先人による創作を、現在のクリエイターが上書きしてより魅力的で説得力のあるプロットを構築することが最先端だということです。
『新解釈三国志』もその流れに沿っているとは言えますが、残念ながら最新鋭の研究よりも、監督のノリを重視した結果評価が辛くなっているようです。
そこはむしろ『三国志 Secret of Three Kingdoms』がはるかに上手のようです。
けれども、往々にして、こういう試みをすると作品としての評価は低くなります。というのも人というのは、未知のものより既知のものを好む傾向がありますので。
『麒麟がくる』についても、毎週のように「スルー!」と「駒がいらない!」という声があります。
考えてみますに、どちらも【視聴者が求める既知】を踏み躙っているからではないでしょうか。
有名なあの合戦やエピソードがあれば「別の大河ではこうだった」とうんちく語りができて、盛り上がる。
帰蝶だって実際のところほとんど史料はなく、劇中の設定や活躍は創作されているものです。
それでも帰蝶には先行する像があるから、それを絡めて語ることができる。
一方で駒はできない。【既知】のインプットを刺激しない。
そういうものにカチンとくるのではないでしょうか。
その点『軍師官兵衛』は器用でした。プロットそのものには矛盾点はあるものの、戦国や大河ファンにはうっすらと【既知】の感覚がある要素を多数揃えていた。
スモールトークのネタにはぴったりの作品ではあるのです。前川洋一さんほどの手練れにとっては、不本意だったかもしれませんが。
そしてこれも実の所、大いなる罠にもなりえてしまう。
これは、鉄板であり、王道であり、ファンのニーズもあるし、SNSでも盛り上がる! そういう手癖に頼っていると、斬新さがどんどんなくなってしまう。
要は停滞してしまう。
気が滞った状態が不健全であるのは、東洋医学でも現実社会でも同じこと。
大河には「斬新!」とされた、ある作品がありました。
けれどもどうにも不思議な点があった。
「あのドラマとスタッフもキャストもかぶっている! だからこそ安心して斬新さを楽しめる!」
こういう論調が支配していたのです。
既存のドラマから要素を引っ張ってくるのであれば、それは斬新でもない。【既知】の手癖頼りであり、再来を願っているのです。
その大いなる矛盾に気づかないまま、どこかで転びます。
遠慮無ければ近憂あり。遠い先のことまで見通せず、数年前のノリを二番煎じすれば転ぶ。
『篤姫』と『姫たちの戦国』がこういう転び方の典型例ですね。
大河には、そんなつまらないことで転び続ける余裕はもうないはずです。
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【参考】
麒麟がくる/公式サイト

























