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【麒麟がくる第41回感想あらすじ】
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駒の存在意義が集約
駒は、たまがご自身のことをよく考えて、頃あいのよいころ決めれば良いと助言します。
彼女らしいアドバイスと言えましょうか。
恩義ある東庵を世話する。
元孤児だった駒は、結婚が難しかったとは考えられます。
世を見たい、人を救いたい。そう思ううちに、良妻賢母となる道は歩めなかったとも解釈できなくもない。
ただ、それも自分が決めた道。頃あいが到来しなかっただけのこと。そういう見方もできます。
最終回間近になってまで、駒は不要だという記事がまだあります。
けれども、駒の存在意義はこの場面に集約されていました。
麒麟がくる世の中は、彼女のような庶民にとっても望ましいもの。そして彼女のような人だって、その到来のためにできることはある。
社会は一人一人の人間が作り上げるもの。それを選別して、不要だの何だの言うことそのものがどうか。女優を叩くより、先に考えることがあるでしょう。
門脇麦さんは新春時代劇にも起用されていました。
時代劇に映える枠としてNHKがじっくり育てて大事にする意図が伝わってきます。彼女の将来を悲観する必要は感じません。
そしてこの場面では、門脇麦さんも芦田愛菜さんも、低い自然な声で語っている点がよいとも思えました。
日本人女性の無理に作る裏声は、あまり評判がよろしくない。海外ドラマを見たあとですと、その落差に驚かされます。
無理に作った裏声ではなく、自然なトーンで語ることの良さがあります。
さて、菊丸は往来を歩いています。
そこへ傘を被った羽柴家臣らしき侍、刺客らしき武士が襲いかかります。
大八車を押し、敵の進路を防ぎ、攻撃をかわす菊丸。そして街の中へと消えてゆきます。
短い場面ですが、アクション、小道具、セット、エキストラ、動きが全部整っていないとなかなか難しい場面。菊丸を演じる岡村さんの運動神経の良さはよく知られており、それを生かしてのシーンでしたね。
ちなみにこういう撮影の厳しさは放映中の朝ドラ『おちょやん』でも見られます。
九州にいたはずの前久が安土城に
安土城では、鼓の音が響いています。
信長が打っています。近衛前久に習っているようです。
信長や謙信と親交の深かった戦国貴族・近衛前久~本能寺後に詠んだ南無阿弥陀仏とは
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その広大な城に、光秀がやってきました。
そして大広間で信長と対面。
信長は十兵衛が参ると聞いて、鼓を用意してあると言います。
彼なりに、光秀と楽しむプランを立てているのでしょう。
光秀には鼓の嗜みがある。近衛前久とも親しい。三人で楽しめるぞ!
そういう目論見はわかるのですが……どうして信長はこんなにズレているのか。
自分が楽しいことならば、光秀もそうだと勝手に思っている。
なぜ情緒ケアができないのか。光秀が根に持っていることの負担を軽くするようなことができないのか?
近衛前久が、光秀に久しぶりだと声をかけます。噂では九州にいたと驚く光秀に対し、前久が信長の人遣いの荒さをこぼします。なんでも毛利と同盟を結んでいる九州の大名説得工作をさせられたとか。
信長は「立っているものは親でも使え」と開き直っている。
彼の問題点がまたも見えてきましたね。
自分の用件ではコキ使うくせに、京都にいる前久の宿敵・二条晴良を関白の座からは放逐しない。どうやらいつも鼓で誤魔化すとか。
すると信長が天主に案内していないと言い出す。
今日は天主で誤魔化すつもりか?と前久。
「先の関白が今や信長殿の操り人形じゃ」
休む間もないと自嘲するしかないようです。
信長「世間の声が大事だ」
前久が去ると、信長が自身の思惑を語り始めました。
二条晴良を追い出し、その代わり前久と共に春宮への譲位を進めるつもりとのこと。
さらに世間の声が大事だと信長が言うと、光秀もその通りだと同意します。
本願寺や毛利を破ろうとも、人の心がついてこなければ天下は治められない――。
これに対し信長は案ずることはないと得意げです。
京都でのわしの評判は上々だと聞いている、とのことで……。
「左様でございますか。それはどなたにお聞きになりましたか?」
問い詰めるような光秀の言葉に思わずムッとしながら、皆そうだと答える信長。京都では安土への道を通り、美しい城を見たいと皆が申しているとのことでした。
が、光秀は容赦ない。
ならばなぜ松永久秀や公方様は叛乱をしたのか。
「もうよい!」
信長はたまらず怒鳴りつけ、今日は一緒に鼓を打つのだから、もそっと素直な物言いをせよと怒鳴るのでした。
やはり、すれ違っています。
信長は光秀が大好きで、自分と同じくらい光秀も信長を好きなのだと信じている。俺が鼓を打って楽しいなら、お前もそうだよな。そういう甘えがそこにはある。
それに信長の自信過剰や想像力不足も見えてきた。
家康は、菊丸が不快かもしれないと前置きする情報でも聞く。けれども、信長は聞きたくない情報には怒り出す。
こうなると周囲は素直に諫言できなくなり、危険です。
京の皆が綺麗な安土城を見たがるなんて、馬鹿馬鹿しい話といえばそう。
そういうしょうもない嘘を誰かが熱心に吹き込んで、信長の思考回路をせっせと壊しているのでしょう。
平蜘蛛をカネに換えると!
光秀は正直な気持ちで申し上げていると前置きし、左馬助に包みを持って来させます。
それをうやうやしく信長に捧げる光秀。
なんと、平蜘蛛でした。
これには信長も驚いています……が、嬉しそうには見えない。光秀は所在を知らぬと嘘をついたことを詫びつつ、松永久秀に勝利した祝いという名目で贈ろうとします。
「それをわしに?」
信長の胸には猜疑心がある。何が言いたいのか?と問い詰めると、光秀は、これほどの名物を持つ者の覚悟を伝えました。
いかなる折にも、誇りを失わぬ者。
志高き者、心美しき者。
そう思えば叛く者も消える。天下は安らかになり、大きな国ができると。
そうなっていただきたい。光秀は願いを託しながら信長へ渡します。
「ほう。聞けばなんとも厄介な平蜘蛛じゃな」
信長は雑に、無造作に触ります。松永久秀や光秀の触り方とはちがう。
そして、あろうことか、いずれ今井宗久に金に換えさせると言うのです。
信長に重宝された堺の大商人・今井宗久~秀吉時代も茶頭として活躍したその生涯
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一万貫くらいになるのではないか。
そう思わぬか?
光秀に迫る信長。
「それを金に?」
「その値で売れるか、売れぬか。それでこの平蜘蛛の値打ちは分かろうと言うものじゃ。ふふふふ……」
光秀は呆然としています。
決定的な決裂が見えてきました。
今回の感想で、光秀の態度について【トーンポリシング意見】がありました。
秀吉や信長への態度が悪い、というわけですが……どうしてそうなるのか?
これは日本の病理かもしれず、ちょっと怖くなってきたのですが。
秀吉にああも強気なのは、決定的な証拠を掴んでいるから。弁護士にせよ、探偵にせよ、決定打があって相手を問い詰められるとなれば、そこはそうなるでしょう。
信長に対して強気なのは、諫言を言うつもりだから。
諫言とは主君にとって耳に痛いことですから、いろいろと工夫をすることが求められます。
平蜘蛛という飴で釣り、久秀譲りの【君主たる心得】を説くつもりだった。こういう諫言をされた時にトーンポリシングをする君主というのは、古今東西、暗君認定されます。
海外の歴史ドラマを見るとわかります。
華流では嫌みたらしい口調や、ひねりを効かせて諫言する家臣が出てきます。主君はイライラしつつ「それもそうだな」となれば聞き入れる。なぜなら、そうしないと「ダメだな、こりゃ暗君だわ」と自身の評価を落とされてしまうからです。
韓流では「王様ァ! 申し上げます! 王様ァアア!」と絶叫する家臣がたくさん出てきます。腰が低いようで、進言内容はパンチが効いているので、王は苦い顔でそれを聞く。
西洋の作品でも、上官や主君に対して「畏れながら申し上げます!」と断固進言する軍人なり大臣がいます。
そこで「態度でかいんだよ……俺を舐めてんのか?」と返すとか、周囲が「あんな態度じゃ聞かれるわけないでしょ」なんて言うことはない。
個人的に、この手のトーンポリシング論が出てくるのって、日本では昭和平成以降のような気がします。というのも、かつての時代劇では「殿ォ!」と上訴する人が出てきて、それに対してトーンポリシングする感想はなかったように思えるのです。
先にあげたグレタ・トゥーンベリさんにも「あんな生意気な態度ではだめだ!」という声はありましたが、基本的に、発言の中身を聞いた上で判断しない者は、暗君認定されるのが世の常です。
◆ 自分の主張をするためのアサーション 人の発言を封じるトーンポリシング(→link)
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