麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第41回 感想あらすじ視聴率「月にのぼる者」

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麒麟がくる第41回感想あらすじ
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西三条実澄の館へ

京都の西三条実澄の館――光秀が王維の詩を読んでいました。

『送別』

下馬飲君酒
馬を下り 君に酒を飲ましむ
馬を下りて、君に酒を飲ませた

問君何所之
君に問う 何の之(ゆ)く所ぞ
君に聞きたい、どこへゆくつもりか?

君言不得意
君は言ふ 意を得ず
君は言う わからないと

帰臥南山陲
南山の陲(ほとり)に帰臥(きが)せんと
南山のほとりに帰って休もうか

但去莫復問
但(た)だ去れ 復(ま)た問うこと莫(な)し
わかった、行ってくれ、もう尋ねない

白雲無尽時
白雲 尽くる時無からん
白い雲は尽きることはないのだ

友との問答のようで、自問自答かもしれない。どこへ行くのかわからない。疲れてしまった、休みたい――そんな迷いがある詩です。

漢詩で【本能寺の変】の伏線を見せてくる。

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池端先生は、ほんとうに漢籍が好きです。愛を感じます。

こうなると、中国嫌いの人には本作を勧められなくなりそうですが、同時に日本はずっと漢籍が共用だったということを学んでもよい気はします。

「今の明智殿の気持ちかな?」

実澄が問いかけます。

戦、戦で世がなかなか静まらぬ。肝心の信長の気持ちもわからない。田舎にでも引きこもって暮らすのか?

「田舎に引きこもりたいとは思いませぬが……」

すでに帰蝶はそうしており、実澄は信長の変化を懸念しています。

困惑する光秀に、実澄も理解を示します。

そして、帝も同じであると。

信長を武家の棟梁として、将軍と同じ右大将にした。それなのに、春宮にご譲位せよと迫り、嫌がらせに右大将を返上してしまった。おそろしきことだと実澄はおそれおののいてはいる。

帝も朝廷も、変えてしまうつもりなのか。それが杞憂であればよいのだが……そう打ち明けます。

信長は幼児性を発揮しているとも思える。

蘭奢待のことで自分を怒らせた帝には無理を言い、くれたものを返してやることで、自分の心の傷への復讐をしてやった。

平蜘蛛の扱いもそう。

もう遅い! 嘘をついて傷つけた仕返しをしてやる。言うことなんか聞かないで、売っぱらって、光秀を傷つけてやる!

思い通りにならないと泣き出す子どもじみた幼稚さ。そんなしょうもない意趣返しのせいで、信長はどんどん孤立してゆきます。

それでも彼からすれば、自分を傷つけた相手が悪いということになるのでしょう。

 

月に住む男の話

「月見じゃ、月見じゃ」

そう実澄は促し、内裏へ向かいます。

そこへ月光をその身に宿したような帝が、しずしずとやって来ます。

「おお、見事な月じゃ。のう、明智十兵衛」

そうこえをかけられ、光秀は「は……」と驚きつつ応じます。

帝は、月に住む男の話をし始めました。

月には呉剛という男が住んでいる。日本では「桂男」の名で知られています。出典は『酉陽雑俎』。

桂男はなぜ、月に登ってしまったか?

そう問われ、光秀は幼き頃に聞いた話をします。

不老不死になれる花を全て振り落とし、独り占めしてしまった。それが神の怒りに触れて、月の宮殿に閉じ込められてしまった。そこで桂を伐採し続けているのだと。

不老不死のまま、木を伐り続ける桂男。それはどういうことなのか? 彼の罪は何であったのか?

帝は、先帝の教えを語ります。

月はこうして遠くから眺めるのがよい。月に近づこうとしてはならぬと。

「なれども力を得る者はみな、あの月へ駆けあがろうとするのじゃ。実澄はどうか?」

登りたいのはやまやまなれど、あの高さでは息切れしそうでやめておくと答える実澄。

その答えを聞き、帝は言う。

数多の武士たちが、あの月へ登るのを見て参った。そしてこの下界へ帰って来る者はなかった――。

駒もこう言っていました。人はいずれ、遠いところへ旅立つと。

月に登るというのは、死のようでもある。のみならず、懲罰としてずっと木を伐採し続ける。冷たい場所でひたすら一人、木を伐採し続ける。孤独の極みのようではある。

地獄に落ちるとか。罰が当たるとか。そんな言葉よりも、もっともっと美しく、おぞましいことを帝は言う。月光を宿したような白い顔で言う。

こうなると、もう彼自身が怒り、月に追放する存在のようにも思えてきます。

「信長はどうか? こののち、信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」

「はっ」

光秀はそう返します。

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そんな運命も知らぬまま、白無垢の彼女は祝言へ向かいます。

嫁ぐ日は晴れがましく、たまは美しい。それでもこんなにも悲しいのは、その運命のためか。麒麟がくる道の露払いをするために、明智の一族は血を流してゆく運命にあるように思えるのでした。

 

MVP:菊丸と辰五郎

本作の巧みな点は、人を映す鏡のような人物の使い方が抜群にうまいところです。

忍びとして使う菊丸と辰五郎。その使い方で、光秀と秀吉の違いをキッパリと見せてきました。

忍びなんて使い捨てである。そういうフィクションは多いものです。

日本史を題材にしたフィクションでの忍びとは、切り捨てられる人間像の象徴でもありました。

忍者がやたらと殺し合うフィクションは『バジリスク 甲賀忍法帖』をはじめ大変人気があります。

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史実として忍者が殺し合っていたとか。そういうことが主題でもない。

人がいかにして、命ある人間を道具扱いし、殺すのか。その残酷な心理を描く装置として、忍者が使われる作品も多いのです。

菊丸に恩義を感じる。任務のために家族と離れ離れになる彼のことを思いやる。そのうえで、危険を承知で助言する。そんな光秀は優しい。理想の人間像がそこにはある。

一方で、目をぎらつかせながら弟だろうと殺す。秀吉からは、冷酷極まりない姿勢を感じます。

光秀はやはり原点回帰してゆく。

危険を冒してでも幼い子を火事から救った、父譲りの本質がそこにはあります。

秀吉にも、本質があります。

子役時代がない彼の本質は、子どもの頃の回想から見てゆくしかない。

死にゆく妹のぶんまで食糧を奪った。そのことを反省しつつも、自分の苦労話として語ってしまう。

そして今回、弟を始末した。そのうえで幼い子どもたちを眺め、目をぎらつかせている。貧しい出自であることから、出世のために何かを犠牲にすることを正当化している。

秀吉は、晩年狂ってしまうわけではない。

本質そのものに危険性があった。それを矯正できないと見えてきます。

この秀吉からは、朝鮮に出兵し、甥である秀次を惨劇に散らす姿が既に見えてきています。

本作の信長をサイコパスだのなんだの言う話はよく聞きますが、抜群に人受けがよく、自己利益のためならば口八丁手八丁起用に使いこなすという意味では、秀吉の方が本質的によほど危険だと思うのです。

その秀吉より強い男がいるわけで、彼は予告で顔を見せていました。

 

総評

すごいことになってきた。

本作は、大河の終わり方として新たな理想像を示すようでもある。

歴史ものって、意地悪かつ陳腐なことは言われます。

「どうせどうなるかわかっているのにさ、見る意味あるの?」

あるんですよ!

研究は進む。諸説が出てくる。フィクションとなればあっと驚く解釈もできる。

本作は引っ張り方が抜群にうまいので、皆が知っている結末に向けて予想がバンバンと盛り上がっております。ここまで最終盤となると、かなり形は見えてきましたが。

そして本作は、人間心理の細やかさを描くために、現在の状況とも重なるところが実に多いと思えます。

毎週気になっているのですが、池端先生は盤石として、脚本協力の岩本麻耶さんはどういう手練れの方なのでしょう? すごい方だということは想像つきますけれども。

それはさておき、今週の現実とリンクする点を見ていきますと……。

◆秀吉:苦労人だからといって優しいわけでもない。

【シンパシー】と【エンパシー】の問題

秀吉は、貧しかった己の過去を思い出して、悪事を正当化すると示されました。

貧しい子を見る目が怖い。共感よりも、警戒心がぎらついている。

秀吉の描き方は、人間はどうやって成立するかという複雑さにも踏み込みました。

【シンパシー(sympathy)】と【エンパシー(empathy)】の問題ではないでしょうか。

どちらも同情と訳すことはできる。ただ、立地点が違う。

前者が過去の自分の状況から同情することだとすると、後者は相手の立場を想像して同情を寄せることとなります。

秀吉が苦労人だから優しい。その理屈はシンパシーにとどまる。

けれども、こうしたシンパシーとは、自分の経験範囲でとどまってしまう危険性はあります。

時代物はこれがネックとなり得ます。

自分の経験を超えた苦労話が出てくると「ありえない!」から「嘘だ!」となってしまうもの。

そうなると、自分が知らない、経験していない範囲の苦労は見過ごすこととなる。

そこでエンパシーだ! となりますが、エンパシーは思考訓練、想像力、バイアスを捨てることがないと実現できません。

光秀は【エンパシー】を発揮できる。けれども秀吉は【シンパシー】の範囲にとどまり、しかも国を運営するビジョンがない。

出世して、自分の好き放題やることを掲げている。

そういう未来なき英雄と示されてきました。

◆信長:パンとサーカス、想像力の欠如

想像力の欠如は、信長にも課題としてあります。

俺が鼓を打つことが楽しいのならば、光秀もきっとそうだ!

俺が安土城にワクワクするなら、京の民もそうだ!

そういう幼稚極まりない、想像力の欠如に突っ込んでしまった。

信長が幼稚だなあ、ダメな奴だなあ。そう思いつつ、ゾッとするほどリアリティがある、そんな現実がおそろしい。何が? そりゃ、オリンピック。楽しい運動会だのなんだの言われたところで、知ったことじゃない。

想像力の欠如した為政者はおそろしい。苛政は虎よりも猛しとはこのことか。そう本作の信長と現実が重なることがおそろしい。

ほんのわずかなズレが、破滅へと向かう。そんな最終回への道も見え、盛り上がるこのドラマです。

いよいよ結末も見えてきました。

そしてここで、指摘しておきたいことがあります。

本作では松永久秀は爆死説を取り上げませんでした。

同様に明智光秀天海説を取り上げるようなことも【ない】でしょう。

両者ともに時間がかなり経過してから創作されたもので、根拠は極めて乏しい、いわばトンデモ説のような話です。

今なら『月刊ムー』に掲載される類の話。

考えたいのは、そんなトンデモがどうして信じられたりするかということ。

・時間の経過

・語り手の多さ(できれば肩書きのある語り手ならばなおよし)

この2点さえクリアしてしまえば、荒唐無稽な話でも「一説」として成立してしまうのが世の常です。

大河ドラマでも過去の作品では、この過ちを犯したことはあります。

有名な一例として『独眼竜政宗』の義姫による伊達政宗毒殺未遂事件を挙げておきます。

現在、この話は完全否定されております。しかし大河ドラマでまで取り上げられると払拭できず、弊害は現在も続いています。大河はなまじ有名なだけに弊害も大きくなるんですね。

昭和ならともかく、令和にもなってそういう悪質なことはないと私は信じております。

むしろ注目したいのは、そういう通説を信じたくなる人間の心理、そして現在、世界規模での歴史フィクションの流行です。

先人による創作を、現在のクリエイターが上書きしてより魅力的で説得力のあるプロットを構築することが最先端だということです。

『新解釈三国志』もその流れに沿っているとは言えますが、残念ながら最新鋭の研究よりも、監督のノリを重視した結果評価が辛くなっているようです。

そこはむしろ『三国志 Secret of Three Kingdoms』がはるかに上手のようです。

けれども、往々にして、こういう試みをすると作品としての評価は低くなります。というのも人というのは、未知のものより既知のものを好む傾向がありますので。

『麒麟がくる』についても、毎週のように「スルー!」と「駒がいらない!」という声があります。

考えてみますに、どちらも【視聴者が求める既知】を踏み躙っているからではないでしょうか。

有名なあの合戦やエピソードがあれば「別の大河ではこうだった」とうんちく語りができて、盛り上がる。

帰蝶だって実際のところほとんど史料はなく、劇中の設定や活躍は創作されているものです。

それでも帰蝶には先行する像があるから、それを絡めて語ることができる。

一方で駒はできない。【既知】のインプットを刺激しない。

そういうものにカチンとくるのではないでしょうか。

その点『軍師官兵衛』は器用でした。プロットそのものには矛盾点はあるものの、戦国や大河ファンにはうっすらと【既知】の感覚がある要素を多数揃えていた。

スモールトークのネタにはぴったりの作品ではあるのです。前川洋一さんほどの手練れにとっては、不本意だったかもしれませんが。

そしてこれも実の所、大いなる罠にもなりえてしまう。

これは、鉄板であり、王道であり、ファンのニーズもあるし、SNSでも盛り上がる! そういう手癖に頼っていると、斬新さがどんどんなくなってしまう。

要は停滞してしまう。

気が滞った状態が不健全であるのは、東洋医学でも現実社会でも同じこと。

大河には「斬新!」とされた、ある作品がありました。

けれどもどうにも不思議な点があった。

「あのドラマとスタッフもキャストもかぶっている! だからこそ安心して斬新さを楽しめる!」

こういう論調が支配していたのです。

既存のドラマから要素を引っ張ってくるのであれば、それは斬新でもない。【既知】の手癖頼りであり、再来を願っているのです。

その大いなる矛盾に気づかないまま、どこかで転びます。

遠慮無ければ近憂あり。遠い先のことまで見通せず、数年前のノリを二番煎じすれば転ぶ。

篤姫』と『姫たちの戦国』がこういう転び方の典型例ですね。

大河には、そんなつまらないことで転び続ける余裕はもうないはずです。

※著者の関連noteはこちらから!(→link

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◆麒麟がくる全視聴率

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
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