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【フランス誕生】
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洗礼を受けるクローヴィス
クローヴィスは、その年のクリスマスに洗礼を受けました。
真冬で寒く、ほぼ全裸で洗礼盤に浸かることはなかなか大変なことでしょう。
ランス司教セミギウスが王の背中に聖油を塗り、頭から聖水をかけました。
さらに彼の配下の将兵3000名も、同時に洗礼を受けます。
それからはあっという間。フランク族はカトリックを信じるようになったのです。
まさに歴史が動いた瞬間でした。
そもそも、クローヴィスのフランク族は、蛮族と呼ばれる中でもカトリックを信じるローマ人に近い存在でした。
彼らは、遅くとも3世紀にはローマ帝国の支配下にあったのです。
何世代もローマ軍兵士として戦ううちに、フランク族は「俺らはローマ戦士だから」とアイデンティティを持つようになり、中にはラテン語を理解できる者もいました。
例えば彼らはローマ領であったガリアを支配する際、ラテン語を話しています。そのほうが便利でもありました。
こうなったらもう、フランク族が乗り込んでいった先のガリアの人々との違いは、宗教だけでした。
その最後の違いも、クローヴィスの改宗によって取り除かれたのです。
そしてフランク人とガリア人はひとつになる
宗教が同じになれば、結婚もできるようになります。
戦う理由もいつの間にか消滅し、ひとつの民族として融合。クローヴィスも「自分はローマ帝国の後継者である」と考えるようになりました。
ローマ帝国のもとにいたガリアの人々にとって、それは歓迎すべきことでした。
「ここは、ローマ帝国の流れを汲むフランク人の国である」
そう言えば、フランク人もガリア人も「そうだそうだ!」と納得したわけです。
「フランク人の国」は、いつの間にか「フランス」という言葉に変化しました。
フランク人の国である「フランス」という国がいつ産声をあげたかといえば、クローヴィスが洗礼を受けたその瞬間でしょう。
ここから民族の融合が始まったのです。
明智たま(細川ガラシャ)を思ってしまう
クローヴィスに洗礼を施したセミギウスはフランスの守護聖人となりました。
クロティルダも聖人として崇拝の対象になりました。
それは彼らが、フランスという国の誕生に貢献したからに他なりません。
フランスという国が、溶け合った民族から生まれたことは、実に幸運なことでした。
肥沃な大地は戦乱で荒れ果てず、人々が殺戮しあうことも少なくてすみました。
温暖な気候、肥沃な大地、そして豊かな人口。
この国をヨーロッパ大陸における強国に押し上げるには十分な資源があり、実はその恩恵は、今日まで継続しているのです。
クロティルドの夫への影響力を見ていると、戦国時代のある人物を思い出してしまいます。
それは、細川ガラシャの名で知られる明智たまです。
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「もしもガラシャ様が聖クロティルドのように、あの野蛮な異教徒の夫を改宗させることができたら、領民も従うのではないか……」
戦国時代に訪日した宣教師たちが、そう考えてもおかしくはなかったのではないでしょうか。
文:小檜山青
【参考文献】
『図説 蛮族の歴史 ~世界史を変えた侵略者たち』(→amazon)