「西洋版大奥」ともいえそうなフランス宮廷で、穏やかながらもしたたかに生き抜いたとある女性がいます。
1719年(日本では江戸時代・享保四年)4月15日に亡くなった、マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェ。
太陽王・ルイ14世の奥様です。
称号がまどろっこしい上に舌を噛みそうな名前の方ですが、これは彼女の来歴や立場によるものです。
以降は、マントノン夫人で進めましょう。
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お父さんが牢獄入りというすごい経歴
マントノン夫人は1635年に生まれたといわれています。
出生当時の状況はよくわかっていません。
後の栄華を嫉んだ人があることないこと言ったり、当時、父親のコンスタンがお縄になってしまっていたせいで、記録がはっきりしていないようです。
なぜか宗教関連のことだけわかっていまして、父方がユグノー(プロテスタント)、母方がカトリックというイヤな予感ぷんぷんの家庭でした。
が、信仰の路線が違いながらも結婚したような両親ですから、そのことが原因でケンカになったとかいうことはないようです。頭いいなぁ。
やがて父が出所し、家族揃ってカリブ海のマルティニーク島へ移りました。
ここは諸々のヨーロッパ人の(地元民にとっては大迷惑な)ドンパチの後、フランス領になっていたからです。
かつてコロンブスに「最も美しい島」と呼ばれたほどの場所でもあり、資源が少ないことや現地の人々とヨーロッパ人との対立があり、平和とは言いがたいところでした。
父コンスタンはマルティニーク近くの島の知事ということになっていました。
ただし、何の手違いか給料がきちんと出ず、一家揃って苦しい生活をしていたそうです。
新天地とは程遠い場所だったわけですね。
早々に両親を亡くすも、女性たちの支援で歴史は動く
コンスタンは一人でフランスへ戻って地位を認めてもらおうとしました。
が、これは失敗。
母に連れられてマントノン夫人たちも2年後に帰国すると、直後に両親は相次いで他界するという最悪な状況になってしまいました。
帰国直後だったのは不幸中の幸いでしょうか。
マントノン夫人は伯母の元へ預けられることになります。
ちなみにこのとき12歳でした。
もしマルティニーク島で両親が亡くなっていたとしたら、全く違う人生を送って、歴史に名を残すこともなかったんでしょう。
その伯母の家にはかつて世話になったことがあったため馴染みやすく、マルティニーク島時代よりは良い暮らしができたようです。
しかし、伯母の家の方針で女子修道院での教育・生活をするようになり、窮屈さを感じたこともありました。
ここでも幸運なことに、修道女の一人・セレストに気に入られて良い教育を受けられたようです。
このように、マントノン夫人の人生はたびたび同性の支援者に恵まれています。
それだけ彼女の人柄や聡明さに惹かれた人が多かったんでしょうね。
その後、ポール・スカロンという劇作家と知り合い、25歳という結構な年の差があったものの結婚しました。このため、一時期はスカロン夫人と呼ばれていたこともあります。
スカロンは既にリウマチを患っており、結婚生活はたった9年間で終わってしまうのですが、お互いに惹かれあっていたため穏やかな時間だったようです。
マントノン夫人は夫の看病を積極的に行う他、夫を訪ねてくる芸術家やそのパトロン達と知り合う機会を得ました。
これが彼女の運命を大きく変えていきます。
芸術家の夫と結婚して貴族や王族らともパイプ
スカロンが亡くなった後はルイ14世の母(王太后)アンヌ・ドートリッシュの意向で年金をもらっており、しばらくの間不自由ない生活を送ることができました。
が、その王太后が亡くなると年金が打ち切られ、徐々に苦しくなっていきます。
さらにフランスからポルトガルに嫁ぐことになっていた貴族の娘に同行させられそうになりました。
同じヨーロッパとはいえ、言語も習慣も違う異国への移住はさぞ心細かったことでしょう。
ここで、スカロンを通じて知り合っていたルイ14世の愛人の一人・モンテスパン夫人が、この同行に待ったをかけてくれたため、マントノン夫人はフランスに留まることを許されました。
モンテスパン夫人はルイ14世に頼んでフランソワーズの年金を復活させてくれ、さらに自分と王の間にできた子供の教育係として雇ってくれます。
太陽王ルイ14世と愛人の教育係に雇われたところ
庶子というのは実に難しい立場です。
が、マントノン夫人はどの子に対しても愛情深く教育し、子供達もよく彼女に懐きました。
その働きはルイ14世にも認められ、給料を上げてくれたそうです。
五年ほど勤めた後にパリ付近のマントノンという地域に城を買っているので、その頃にはもう生活の心配をする必要がないほどの財産を持っていたと思われます。
太陽王、さすが太っ腹やな。
マントノン夫人は王の庶子たちとここへ引っ越して引き続き教育・生活するようになり、ルイ14世から「マントノン公爵夫人」の称号をもらいました。
もう立派に貴族の一員です。
しかし、このあたりから色々と便宜を図ってくれたモンテスパン夫人の嫉妬を買い、険悪な仲になってしまいます。
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