マクシミリアンとマリーの家族/wikipediaより引用

フランス

ハプスブルク家の躍進始まる!美しき姫マリーと白馬の王子マクシミリアンの愛

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美しい姫君と、美しい王子が出会い、お互いに惹かれ合って結婚する――。

そんなおとぎ話のような話が現実にあったと言われたら、ウソだと思われますか?

時は15世紀。
舞台はワインの産地として名高いブルゴーニュ。

その地にあったブルゴーニュ公国の「美しい姫君」マリー・ド・ブルゴーニュと、ハプスブルク家から婿入りしてきた「中世最後の騎士」マクシミリアン(後の皇帝マクシミリアン1世)の結婚は、当時、地方領主だったハプスブルク家の躍進のきっかけとなり、ひいてはヨーロッパ史を大きく動かします。

政略だけではなく、愛情によっても結ばれた。
二人の歴史を振り返ってみましょう。

 

「我らの姫」「美しき姫君」と領民からも愛されて

15世紀、ブルゴーニュは、独立した公国でした。

フランドル(オランダ・ベルギー)をも含む広大な領土を持ち、ヨーロッパでも随一の洗練された文化を誇る大国として、栄えていたのです。

百年戦争の際にはイギリス側についてフランスと対立。
当時の国主フィリップ善良公は、ジャンヌ・ダルクを捕らえ、イギリスに引き渡しています。

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彼の孫にあたるのが、今回の物語の主人公マリー・ド・ブルゴーニュ(1457~1482年)。
彼女は、1457年にブリュッセルで生まれました。

マリー・ド・ブルゴーニュ/wikipediaより引用

その美しさと優しさで、領民たちから「我らの姫」「美しき姫君」と呼ばれ、愛された彼女。

肖像画での淑やかそうな印象とは違い、乗馬やスケートなどスポーツを好む活発な面も持っていました。
イメージとしては、「深窓の姫君」というよりも、ディズニー・プリンセスに近いかもしれません。

公国唯一の後継者として、大切に何不自由なく育てられた彼女でしたが、1477年、事件が起こります。

父・シャルル突進公(テメレール)が、戦死したのです。

トップを失った国は混乱に陥ります。
そして、新たな国主となったマリーもその渦中へと、否応なしに巻き込まれていくのでした。

 

蜘蛛男・ルイ11世が強引に割り込んできた

強力なリーダーが突然いなくなると、国や組織の中で起きることはいつの時代も同じです。

まず国内では内乱が勃発。
さらに外では、公国を狙い、厄介な敵がここぞとばかりに動き始めました。

フランス国王ルイ11世(1423~83)です。

ルイ11世/wikipediaより引用

偏在する蜘蛛】という「いかにも悪役(ヴィラン)」そうなアダ名を持つこの男は、息子である王太子シャルルを、マリーと結婚させることで公国を手に入れようと企んでおりました。

当時のシャルルは8歳。
対するマリーは20歳。
ルイさん……いくら何でも無理があるのでは……。

マリーも首を縦に振るわけがありませんが、それでもルイ11世はお構いなし。
自軍をブルゴーニュ領へと侵攻させ、さらには公国内の貴族たちを煽り、とあの手この手で仕掛けてきます。

結果、忠臣は処刑され、マリーは孤立状態へと追い込まれました。

どうする?
このまま蜘蛛男、もといルイ11世の要求を呑むしかないのか。

いや、希望は完全につきたわけではありません。
マリーには一人だけ、味方になってくれそうな人がいました。

「私には、婚約者ハプスブルク家のマクシミリアンがいる!」

そう、父シャルルが生前に決めた婚約者がいたのです。

マクシミリアン1世/wikipediaより引用

 

「白馬の王子」マクシミリアン登場

ハプスブルク家といえば、数百年にわたって続いた名家として、今でこそ華やかなイメージがあるでしょう。

ですが、この頃はまだ微力な存在。
マクシミリアン(1459~1519)の父フリードリヒ3世は、神聖ローマ帝国の皇帝ではありましたが、特別な権力も権威も財産も持っていたわけではありません。
【フランスと敵対している】という点では一致していました。

「助けて!」
マリーは、藁をもつかむ思いで、マクシミリアンに手紙を書きます。

「公国に来て、私とすぐに結婚して!」
マクシミリアンも、このSOSに応じます。

資金不足に足を引っ張られながらも、1477年8月17日深夜にゲントに到着。
マリーとの対面を果たします。

手紙を出してから約5か月、マリーは、この日を待ち続けていました。

これでフランス王の目論見をくじけます。
しかも、こうして自分のピンチに駆けつけてくれた「白馬の王子様」マクシミリアンは、体格に優れた18歳の美しい若者(〃∇〃)だったのです。

マクシミリアンも「絶世の美女」として名高い婚約者を前にして(〃∇〃)、一目で心を奪われます。

マリーとの対面/wikipediaより引用

当時、辺境の地だったウィーンから出てきた彼にとって、洗練された文化国の、それも宮廷の中で育ったマリーは、どれほど眩しく見えたことでしょう。
互いに言葉は通じなくとも、瞳を見れば、相手が自分と同じ気持ちであることは明白でした。

現代風に言うなら、「吊り橋効果」もあったでしょう。

翌日の早朝、二人は正式に結婚。
かくして、ハプスブルク家の長い歴史の中でも、一、二を争うおしどり夫婦(ついでに言うと美形カップル)がここに誕生しました。

 

幸せな二人の生活 しかし5年目に…

始まりこそ、当時の王侯貴族たちの例にもれず政略結婚でしたが、マリーとマクシミリアン夫婦は仲が良く、互いに深い愛情を抱いていました。

年が近い上に性格も合い、さらに乗馬という趣味が二人を強く結びつけます。
共同統治者として領内を歴訪する時、そして狩りに行く時も二人はいつも一緒でした。

言葉についても、初めのうちは、当時の教養語だったラテン語でやりとりしながら、互いに言葉を教え合うことで、問題は間もなく解消されました。
レッスンを通じて、マクシミリアンは、公国内の公用語であるフランス語もフラマン語も、会話はもちろん読み書き共にネイティヴレベルで使いこなせるまでになっています。
マリーの教え方が上手だったのか、それともマクシミリアンが奥さんを前に頑張ったのか……。

マクシミリアンは、故郷の友人への手紙の中で、愛妻の魅力を書き連ね、こう結んでいます。

「……ぼくは彼女(マリー)ほど美しく、快活な女性にあったことがない(*´ェ`*)」

蜘蛛男、もといルイ11世は、しつこく色々と仕掛けてきていました。
が、マクシミリアンは毅然とした態度で臨みます。

1479年のギネガテの戦いではフランス軍を撃破。
この時にマクシミリアンたちがフランドルを確保したことが、フランスとの因縁の始まりにもなりました。

そしてこの戦いと前後して、夫婦の間には長男フィリップ美公(女王フアナの夫でカール5世の父)が誕生。
その翌年には娘マルグリット、さらにその翌年にも次男(夭逝)と、子宝にも恵まれます。

二人は、まさに幸せでいっぱい。

しかし、おとぎ話とは違い、その幸せは「いつまでも」とは行きませんでした。

1482年3月、マリーは第四子を懐妊中でした。
それにも関わらず、夫の白鷺猟について行ったのです。

周囲は一応止めたのですが、彼女としては、大好きなスポーツも、夫への同行も、控えるなど、考えられないこと。
「乗馬はもともと得意だから」という油断もあったでしょう。

しかし、こういう時が一番危ないもので……。

油断が命取りになりました。
濠を飛び越そうとした時、馬が突然棒立ちになり、彼女は落馬、重傷を負ってしまうのです。

救出はされたものの、子供は当然、流産。
3週間後、マクシミリアンに手を握られながら、彼女も亡くなります。

享年25。
結婚してから5年目のことでした。

 

フランスとハプスブルク家、因縁の始まり

残されたマクシミリアンは、不幸のどん底へと文字通り突き落とされました。
彼は泣きに泣いて、妻の横たわるベッドからなかなか離れようとしませんでした。

しかし、悲しみにだけ浸っているわけにはいきません。

マクシミリアンの公国内での立場は、しょせんマスオさん、正当な後継者たるマリーあっての存在です。

マリーも遺言の中で、幼い息子フィリップの摂政として、マクシミリアンを指名してくれてはいましたが、案の定と言うべきか、守られませんでした。

国内では内乱が勃発。
その裏で糸を引いていたのは、あの蜘蛛男ことルイ11世でした。

実にしつこいこの男には、以前から色々と仕掛けられていましたが、嫌がらせはルイの息子シャルル8世の代になってからも続きます。

① 3歳の娘マルグリットを王太子シャルルとの婚約の名目で人質として拉致される

② ルイの死後、後を継いだシャルル8世に、自身の再婚相手を奪われる

③ ②に伴い、マルグリットとの婚約は破棄。しかも、その後も人質同然にフランスに留め置かれる(後にどうにか帰国)

書き出してみても、凄まじき情念。
もちろん、一連の所業にマクシミリアンは大激怒です。

「フランス、許すまじっ!!!」

彼の恨みは子孫たちにも受け継がれ、18世紀にマリー・アントワネットが嫁ぐまで続きました。

 

その後のマクシミリアン

ブルゴーニュを巡る問題に片が付いた後、1493年にマクシミリアンは34歳で神聖ローマ皇帝に即位。
以後、神聖ローマ帝国の帝位は、ハプスブルク家が代々世襲していくことになります。

彼は、マリーとの間に生まれた二人の子供や孫たちを、政略結婚の駒として各国に嫁がせ、勢力を広げていきました。
そしてその成果は、孫カール5世の代に、新大陸までをも領土として含む大帝国となって結実します。

彼自身も、政略上の理由から再婚します。
が、最初の妻マリーを忘れた日は一日とてありませんでした。

1519年、死の床でマクシミリアンは、遺言の中でこう願うのです。

「心臓を、ブリュッセルで眠るマリーの墓に入れてほしい」

あの日、マリーを看取ってからすでに37年。
皇帝として、現実の問題に忙殺されてきたマクシミリアンは、ようやく最愛の女性との思い出だけを抱くことができたのでしょう。

「神の恩寵によって私は安らかにこの旅の途につける」

この言葉を最後に、彼は静に息を引き取りました。
享年59。

 

最愛の夫の心臓と共に眠る

マリー・ド・ブルゴーニュは、フランスの脅威に対し、屈することも、周囲に流されることもありませんでした。

婚約者マクシミリアンを信じ、待ち続けた芯の強さ――そのおかげで国を守り、たとえ短くても幸せをつかむことができています。

最終的にブルゴーニュ公国は消滅しましたが、彼女の血はハプスブルク家の中に流れ込み、数百年にわたって受け継がれました。

また、ベルギーでも彼女の名前にちなんだビール「デュシェス・ド・ブルゴーニュ」が生産され、肖像画がラベルとして使われるなど、現在でも人々に愛され続けています。

しかし、そうした血や名前の反映よりも、彼女の幸せは一人の人を心から愛し、相手からも愛されたことだったのではないでしょうか。

彼女は、ブリュッセルの聖堂で、父の隣で最愛の夫の心臓と共に永遠の眠りについています。

文:verde

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【参考】
『中世最後の騎士 皇帝マクシミリアン1世伝』江村洋(→amazon
『ハプスブルク帝国』岩﨑周一(→amazon
マリー・ド・ブルゴーニュ/wikipedia
マクシミリアン1世/wikipedia

 



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