1483年(日本では戦国時代・文明十五年)8月30日は、フランス王・ルイ11世が亡くなった日です。
「ルイ◯◯世」というと太陽王のルイ14世と、最後の王様ルイ16世が有名すぎて、他の人のことがサッパリわからないですよね。
フランス史もなかなかややこしいので仕方ないのですが、11世の場合は、覚えられそうなポイントがいくつかあります。
本日はその辺を中心に見て参りましょう。
其の一 奥さんの扱いがひどすぎる
ルイ11世は、2回結婚しています。
最初はスコットランド王家のマーガレット。
彼女は詩作を好む風流な人で、しかも美人でした。
しかし、なぜかルイ11世はマーガレットを嫌い、
「お気に入りの貴族と浮気している」
「子供を産むのが嫌で、わざとコルセットをぎゅうぎゅうに締めている」
といった、中学生レベルの悪口を言い続けていたといいます。
それを気に病んでなのか。
マーガレットは21歳の若さで亡くなってしまっていました。現代で言うところの心身症の何かでしょうかね……。
二番目の結婚相手は、現在のイタリアにあったサヴォイア家(フランス語でサヴォワ)のシャルロットでした。
このとき、ルイ11世は28歳。
対してシャルロットは8歳……と、現代であれば確実に警察事案です。この時代は合法です。
ルイ11世は、シャルロットに対しても決して温かく接したわけではないにもかかわらず、結婚から7年後(シャルロット15歳)以降は多くの子供に恵まれています。
子供を産める年齢まで待っていたというのなら紳士的なんでしょうね。
ただ、他にエピソードがないので、どうにもこうにも良い印象は持てません。
其の二トーチャンとの仲が悪すぎる
ルイ11世は、シャルル7世の息子です。
シャルル7世は百年戦争で勝った人、もっといえばジャンヌ・ダルクを登用した人として有名ですね。
ジャンヌを見殺しにしたのかどうかは意見の分かれるところですが、戦後は荒れた国内の復興に力を尽くしました。
ジャンヌ・ダルクはなぜ処刑された?オルレアン包囲戦から最期の時まで
続きを見る
ルイ11世はこのトーチャンともなぜか折り合いが悪く、
「シャルル7世は息子に毒を盛られるのを恐れて食事に手を付けず、飢え死にした」
なんて説もあるほどです。
親子が対立するのは珍しくないにせよ、ちょっと方法が陰湿というか、経緯がわかりづらいのが不気味ですよね。
其の三 だが残酷ではない
百年戦争で勝ったシャルル7世を父に持つということは、ルイ11世の時代もまたなかなか不穏な世の中だったということになりますよね。
下手をすれば再び国内全土でドンパチが起こりかねない中、ルイ11世はブルゴーニュ公シャルルと直接やりあわず、政争によって解決しようとしました。
ブルゴーニュ公国とは、現在のフランス~ドイツ地域にあった国で、百年戦争ではフランス王国の敵でもありました。
兵をほとんど連れずに敵地に乗り込み、和議をするフリをしながら敵方の一部に反乱を起こさせようとしたこともあります。
なかなか大胆ですね。
これはブルゴーニュ公にバレて、逆にルイ11世が捕虜になってしまうのですが、自ら乗り込むあたり度胸がスゴイ。
彼がどんな考えでそんな大博打に出たのかは定かではありません。
が、結果として戦死者が減っているのですから、割といい王様だった一面も持ちあわせていたのではないかと。
もうちょっと優しさがうかがえる話があれば、評価も上がりそうなんですけどね。
其の四 奇妙なアダ名が多い欧州の中でも飛び抜けている
敵や一般人からすれば、政争で解決を図るような王様は
「不気味で仕方がない」
「男らしくない」
と受け取られるかもしれません。
いつだって、勇敢な人物のほうが良い印象を持たれるものですからね。たとえどんなに犠牲を出していようとも。
他にも「鉱山開発・印刷術・養蚕を保護・奨励した」とか「珍しい動物の収集が趣味だった」とか、いろいろなことが伝わってはいるのですが、まとまりがなさすぎて……。
「よくわからん人」としか言いようがなくなってます。
ヨーロッパの王様には奇妙なあだ名が多い、という話を以前も扱わせていただきましたが、ルイ11世には
【遍在する蜘蛛】
というワケワカメNo.1なあだ名がつけられています。
古今東西、蜘蛛には吉兆・凶兆両方の意味が混在しているので、その辺が何となくルイ11世と似ている、とされたのでしょうか。
【慎重王】という、もう少しマシなものもあるのですけれども。
長月 七紀・記
【参考】
ルイ11世/wikipedia
マーガレット・ステュアート/wikipedia
シャルロット・ド・サヴォワ/wikipedia