有史以前から、人は「空」に対してさまざまな憧憬を抱いてきました。
その美しさを賞賛する者あれば、その年の収穫を神に祈る者、そして「鳥のように空を飛んでみたい」と思う者等々。
今回は、あの乗り物にスポットを当ててみたいと思います。
1929年(昭和四年)8月29日は、ドイツの飛行船「グラーフ・ツェッペリン号」が世界一周に成功した日です。
欧州の1929年といえば第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期。
しかもドイツはフランスから「賠償金の支払いをわざと遅くしてるみたいだから、代わりに君んちの工業地帯もらうね^^」(超略)とイチャモンをつけられ、天文学的なインフレと不景気に入っていた頃です。
「追い込むだけでは危険やで……」とツッコミたくなりますね。
そんな中、ドイツにとって数少ない朗報が、自国製造による、この超長距離飛行船の成功ニュースでした。
まずは「飛行船とはどんなものなのか?」というところから見て参りましょう。
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水素やヘリウムなど空気より軽い気体で飛ぶ仕組み
飛行船と飛行機は字面こそ似ていますが、言うまでもなく構造は全く違います。
アニメ『魔女の宅急便』でも出てきますので、ビジュアル的なイメージから何とな~く想像のつく方は多いのではないでしょうか。
飛行船は、あの膨らんでいる部分に水素やヘリウムなど、空気より軽い気体が入っています。
この袋にエンジン・船室・尾翼などがくっつけられ、機械の力も得ながら、基本は気体の浮力を利用して浮いているんですね。
1852年にフランスで初めて飛び、その後、ヨーロッパで数々の飛行船が作られました。
日本でも1911年に、東京上空を一周できるような飛行船が作られてします。
飛行船は、そのうち大西洋横断航路などの旅客船として欧州で活躍するようになると、案の定というべきか第一次世界大戦では空襲にも使われました。
ストックホルム~ケープタウンまでのヨーロッパ・アフリカ大陸縦断航路、上海~サンフランシスコの太平洋横断航路など、長距離路線も20世紀の前半に複数存在していたのです。
そして「飛行船は長距離飛行に耐えうる船」というイメージが固まっていきました。
軽金属の枠の合間に膜を貼って強度を上げる
そんな中で、硬式飛行船というタイプを考案したのが、ドイツ元軍人のツェッペリン伯爵です。
飛行船といえば、あの大きな風船のような部分が目を引きますよね。
しかし、ただの風船では耐久性に少々難があります。
硬式飛行船は、軽金属などで作った枠に膜を貼り、その中に複数の風船を入れて浮かべることで、耐久性を増したものです。
枠がある分、全体の重みが増しますが、そのぶん頑丈かつ大きく作ることができるとされていました。
ツェッペリン伯爵は、1909年に飛行船製造と旅客業を行うツェッペリン社を創業し、多くの硬式飛行船を開発。
悪天候などによって遭難してしまうものもありましたが、無線通信の実験に使われたり、軍用に使われたり、様々な分野で活躍するようになっていきます。
そして、同社が作り上げた最大最高の飛行船が「グラーフ・ツェッペリン」ことLZ127です。
正式名称が【記号+番号】というのはよくある話ですね。
ちなみに、姉妹船のLZ126は「ロサンゼルス」という名称で、ツェッペリンとは言語も由来の地名も全く違う愛称になっています。
二隻の建造が第一次世界大戦後であり、LZ126が戦後賠償の一つとしてアメリカに引き渡されたからでした。
人間になぞらえるなら「生き別れの姉妹」というところでしょうか。
日本にも5日間滞在! そして太平洋へ旅立ち……
グラーフ・ツェッペリンは1928年に初めて飛行し、当時、世界最大の飛行船として各地で歓迎されました。
しばらくはヨーロッパ・南北アメリカ間の定期飛行に使われ、1929年にその人気と実力、充実した資金を後ろ盾に世界一周へ飛び立ちます。
この記念すべき飛行は、グラーフ・ツェッペリンにとって初めて長距離飛行を成功させた米国ニュージャージー州・レイクハーストから始まりました。
大西洋を横断し、ツェッペリン社の本拠であるドイツ・フリードリスハーフェンで補給を行い、ユーラシア大陸を横断して日本の霞ヶ浦へもやってきています。
グラーフ・ツェッペリンは5日間を日本で滞在し、いよいよ後半の山場・太平洋横断へ挑戦しました。
広大な海を下にアメリカへの横断を果たすことは前人未到の偉業であり、それほどグラーフ・ツェッペリンが期待されていたことがわかります。
そして見事、3日間かけて太平洋横断に成功。
出発した米・レイクハーストの町に戻ってくることができたのです。
全体にかかった日数は21日超。
戦間期にこんな技術があったとは驚きですね。
飛行機の最長飛行路線でも1万4200km
これがどのくらいスゴイことなのか?
参考までに現在の飛行機と比較してみましょう。
世界で就航している旅客機の最長飛行距離は、エミレーツ航空のドバイ~オークランド(ニュージーランド)間の1万4200kmです。
地球一周は赤道上で4万kmとなります。
ごく単純に考えて、グラーフ・ツェッペリンは現代最長路線の三倍弱を飛んだことになります。
まぁ、飛行機の航路の場合、2万km以上になる場合は逆周りにすればいいですし、その他にも違いがいくつかありますが、あくまで参考ということで。
ともかくこの偉業は、第一次世界大戦で敗北したドイツの技術力をあらためて世界中へ見せつけることにもなりました。
敵国にとっては面白くなかったでしょうけれども、ドイツ国民にとっては勇気づけられる出来事だったでしょうね。
グラーフ・ツェッペリンはその後もシカゴ万博への参加や、旅客・文書の輸送などで大西洋を中心に大活躍しました。
他国も負けじと飛行船開発に勤しみ、大きな船が幾つも作られます。
ヒンデンブルク号爆発事故で信頼は地に落ちる
しかし、その後1930年のR101(イギリス籍)や1933年のアクロン(アメリカ軍籍)などが大事故を起こし、安全性そのものが疑問視され始めました。
そして第二次世界大戦直前に等しい1937年。
ツェッペリン社のヒンデンブルク号が大規模な爆発事故を起こし、多くの犠牲者を出したことで、飛行船の信頼が地に落ちてしまいます。
これにより「飛行船で旅客業をやるのは危険」という概念が常識となり、まだ現役だったグラーフ・ツェッペリンも、博物館に引き取られた後、1940年に解体されてしまいました。
アルミニウム部分は軍用に転化されたそうです。
ちなみに、ドイツ海軍の空母に同名の「グラーフ・ツェッペリン」がありますが、飛行船の解体時期と空母の建造時期が合わないので、名前以外に関係はないようです。
むしろ空母が建造中断になった年=飛行船の解体年という、切ない展開だったりします。
飛行船の部品が空母に使われていたら、空の王者が海の王者(予定)へ交代したようで、胸アツな展開だったのですが。
まあ、それは後世から過去を見ているからこその、のんきな視点ですかね。
その後の飛行船は、主に軍用や調査用には使われ、旅客船としてはほとんど使われなくなりました。
日本でも、広告のために使われるものがほとんどですよね。
曲線的な外見もあって、何となく平和なイメージを打ち出すのに適しているような気がします。
某大作RPGの飛”空”艇のような、大型旅客機に近い機能やその他諸々を併せ持つことができたら、また飛行船が表舞台に立つ日が来るかもしれませんね。
現在も、こんな感じの大きな飛行船に近いものが作られていますし。
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失敗の瞬間なのはご愛嬌ということで……。
長月 七紀・記
【参考】
LZ_127_(飛行船)/wikipedia
フェルディナント・フォン・ツェッペリン/wikipedia
飛行船/wikipedia
ツェッペリン飛行船一覧/wikipedia
世界最長の直行定期便を開始 エミレーツ航空/BBC