ジャンヌ・ダルク

ジャンヌ・ダルク/wikipediaより引用

フランス

ジャンヌ・ダルクはなぜ処刑された?オルレアン包囲戦から最期の時まで

1431年(日本では永享三年)5月30日、ジャンヌ・ダルクが火刑に処されました。

彼女が世に出る契機となったのは「オルレアン包囲戦」です。

イギリスvsフランスによる「百年戦争」の最中に行われた一つの戦闘であり、1429年5月8日に決着がつきました。

つまり彼女は世に名を轟かせてから、わずか2年で殺されてしまっているのです。

現場の兵士たちから崇められた”聖女”が、なぜこんな酷い最期を迎えてしまったのか?

今回は、ジャンヌ・ダルクの生涯を見ていくために、まずは百年戦争をサックリ把握していくところから始めましょう。

 


休戦を挟みながらも120年続いた百年戦争

「百年戦争」を一言で表すならば、イングランドとフランスによる戦争です。

実際は120年ほどの期間に休戦を挟んでいるので、戦闘が120年続いていたわけではありません。というか物理的に無理でしょう。

では、百年戦争の理由は何か?

というと【領土+玉座争い】です。

そもそもの理由は実に単純なのですが、それまでの経緯がこんがらがっているせいで非常にややこしく見えるのがヨーロッパの戦争の共通点ですね。

この頃はまだどこの国も王様に絶対的な権力がなく、各国の境界線も曖昧だったことがより拍車をかけました。

流れを単純化すると、以下のようになります。

 


5行でわかる戦争までの流れ

①フランスの王様が亡くなる

②血縁があったイングランドの王様が「じゃあ次のフランス王は当然俺な!」と言い出す

③フランスの貴族からすれば「いやいや、いやいや、ナシでしょ」で大反対

④間に挟まれたフランドル地方(現オランダ・フランダース)が「ウチはイングランドから羊毛輸入して毛織物作ってるから、戦争されると困るんですけど;」と言い出す

⑤イングランドもフランスもお構いナシでドンパチ開始

そして商売の元手を「人(物)質に取られた」&「国が守ってくれなかった」ことに腹を立てたフランドルの人々も動きました。

「フランスサイテー! もうウチはイングランドに味方します!!(そんでまた商売したい)」ということで、イングランド側についたのです。

この辺から当事者以外の他国も「じゃあ俺はこっち」「なら私はあっち」なんて風にどんどん介入してきてもはやカオス。

あっちこっちの領主や王様が亡くなる度に戦闘が始まってしまう――そんな国家レベルの学級崩壊状態になったせいで、全体の戦争が終わるまでに120年もかかってしまいました。

※百年戦争についてもう少し詳しくしりたい方は、以下の記事をどうぞ

百年戦争
百年戦争はなぜそんな長期間も続いたのか? 英仏の複雑な関係と歴史まとめ

続きを見る

もちろん両国共に、ズルズルと戦争を長引かせるのは得策ではありません。

開始から40年ぐらい経った頃に「お互いボロボロだし、そろそろ戦争やめませんか」という話になったことはあります。

しかし、その直後に、両国の王様が亡くなってしまい再度大混乱に陥ってしまいます。

その時点ではイングランドが圧倒的に有利。現在のフランス領の半分近くを占拠していたので、いずれ国内がまとまればフランス全土がイングランド領になってもおかしくはない状態でした。

フランス、大ピンチ!

 


ジャンヌちゃん 神の子 不思議な子

そこで突如現れたのがジャンヌ・ダルクです。

12歳のとき初めて「神の声」(ジャンヌによれば天使と聖人)を聞いたことで「神が私にフランスを救えと仰っている」との使命を感じたジャンヌは、まず話を真面目に聞いてくれる貴族を見つけだします。

当初は門前払いしていた貴族も、ジャンヌダルクが「この日こういう地名のところでフランス軍が負けるだろう」という予言をし、見事的中させてからは彼女を信用するようになりました。

情報伝達技術のほとんどない時代ですから、遠方にいたジャンヌが情報を分析して勝敗を予測できたはずはありません。

「神のお告げ」がなければできないことと判断するには充分だったでしょう。

勝つか負けるか――二つに一つの大博打にジャンヌ・ダルクが勝っただけかもしれませんが、まあそれはそれで。

こうしてジャンヌは何人かの貴族を通じて、当時、即位前だったシャルル7世へ謁見。

彼女を一目見たシャルル7世は「これは本物かもしれない」と思い、ジャンヌへ騎士の装備を与え、軍に同行することを許可しました。

1854年に描かれた『シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク』/wikipediaより引用

その頃には既に「聖女」としての名声が生まれ始めていたようです。

フランス軍の中に「聖女様が一緒に来てくれるんだってよ!いっちょやってやろうぜ!!」ということで、ジャンヌ・ダルクの存在が士気高揚の一因になっておりました。

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