ジャンヌ・ダルク/wikipediaより引用

フランス

中世フランスの英雄ジャンヌ・ダルクの生涯~なぜ彼女は火刑という最期を迎えたのか

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世間はすでに厭戦気分

ジャンヌ・ダルクはシャルル7世を正式にフランス王にする――というデカイ功績も残しました。

シャルル7世は当時のフランス王家であるヴァロワ朝の直系であり、血筋的には正当な後継者。

しかし、根拠地であるパリをブルゴーニュ公国に奪われてしまっていたため、当時は根無し草も状態です。

そこで前述のようにフランス軍が優勢になったため、ジャンヌは「今こそランスで戴冠式を行い、シャルル様が正当なフランス王であることを示すべきです!」と進言し、その通りにしたのでした。

なぜこの町なのか?

というと、フランス王国にとってランスが王権と結びついた土地だったからです。

「フランス」の前に、この地域にはフランク王国という国がありました。

その初代国王であるメロヴィング朝のクローヴィス1世から始まり、シャルル7世の遠いご先祖様であるカペー朝初代ユーグ・カペーもランスで戴冠しています。

戴冠式では”ランス大司教”というキリスト教の高位聖職者が「この人をフランス国王と認めます」と宣言するため、ランスでの戴冠はカトリック教会から正式に認められることも意味します。

いかにシャルルが血筋で正当性を示しても、ランスで戴冠しなければそれを示すことができないわけです。

逆に言えば、いかにイングランド王が「俺も血筋的にフランス国王になる権利がある!」と主張しても、ランスで戴冠しない限りは世間に認められません。

ジャンヌがそうした状況をどこまで意識していたのか――そもそも一介の村民に過ぎなかった彼女が歴史をどこまで知っていたのか不明ながら、無事にフランス国王になったのでした。

その後、シャルル7世は国王として北フランスを巡業。

これにもジャンヌが華麗な衣装で同行し、フランス王と聖女の存在はフランス国民たちに強く焼き付きます。

同時に、この頃までが彼女の絶頂期にあたります。

15世紀に想像で描かれたジャンヌ・ダルク/wikipediaより引用

 


前線から退きなさい そして休戦へ

世間はすでに厭戦気分が漂っており、それはシャルル7世の側近も同じ。

しかし、首都・パリがイングランドの手に落ちたままでは、シャルル7世は本当のフランス王とはいえません。

あくまでパリ奪回を主張するジャンヌたち若手と、

「もう戦争やめてどっかテキトーに手を打とうよー!(いつまでも田舎娘の言うことなんぞ聞いてられるか)」

と言い始めた側近達の間で、意見が分かれていきます。

しかもこうした内輪揉めの間に、イングランド側についていたブルゴーニュ公国(五大ワイン産地の一つ)が

「イングランドさん危なそうなんで助けに行きますね」

と援軍に来てしまい、フランス軍はヤバイ状況に陥りました。

ここでフランスが大敗しなかったのは不幸中の幸いだったでしょう。

その後、戦闘中に負傷したのをいいことに「前線から退きなさい」と言われてしまったジャンヌは、直後に休戦協定が結ばれたこともあり、手持ち無沙汰になってしまいました。

戦場での士気高揚が彼女のお役目ですから、休戦になるとやることがないのです。

程なくしてこの休戦は破られたのですが、彼女にとっては運が良かったのやら、悪かったのやら……。

 


パリ奪還めざし、再び戦場に向かうが捕らえられ……

ジャンヌは再び戦場へ赴きました。

しかし、ブルゴーニュ公国との戦いの中で捕虜になってしまいます。

コンピエーニュでブルゴーニュ公国軍に捕らえられるジャンヌ・ダルク(パリのパンテオンの壁画)/wikipediaより引用

脱走を試みるも失敗し、頼みの綱のシャルル7世も積極的には救出しようとしてくれず……ジャンヌは敵国イングランドへ引き渡されることに。

そして宗教裁判へかけられたのでした。

「女が戦場に出るとはケシカラン」

「男装するとはケシカラン」

「聖職者でもないのに神の声を聞いたとはケシカラン」

などなど激しく叱責されてから、最終診断がくだされます。

「神の声を聞いたとか言ってるけど、本当は悪魔の声だったんだろ? そんなヤツは魔女に決まってる!」

処刑一択でした。

なぜ「神の声は聞こえなくても悪魔の声は聞こえるはず」と断言できたのか。

というか、声量・声質で悪魔に負ける神様ってそれでいいんか???

まぁ、聖職者が政治に絡んだ場合の理屈なんて今も昔も「結果ありき」なので、ツッコむだけ無駄なんですよね。

ちなみに男装については異端とかそういう理由ではなく、「男だらけの環境で身を守るため」だったと考えられています。

いつの時代も男性の性欲は咎められないのに、女性が身を守ろうとするとイチャモンを付けてくる輩は絶えないものです。

一応フォローを入れておきますと、シャルル7世もブルゴーニュ側へ連絡はしていました。

「ウチのジャンヌをイングランドに渡しやがったら、こっちにいるおまえらのお仲間がどうなるかわかんねーぞ!」(超訳)

しかし効果はなく、ジャンヌ・ダルクを取り戻すことはできませんでした。

「ジャンヌが処刑されたのは王様が身代金を払わなかったからだ」とも言われています。

戦争にはお金がかかるのが常ですし、ただでさえ劣勢だったシャルル7世に潤沢な資金があるとは考えにくいところ。

戦争継続を捨ててまで奪還しようとすれば別だったかもしれませんが、それはそれで本末転倒ですよね。

他には、貴族の女性たちがジャンヌダルクの助命のために動いた形跡もありますので、完全にフランス側から見捨てられていたわけではなかったようです。

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