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【ジャンヌ・ダルク】
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死後の復活なんかさせてやらん→火刑
王と貴族が連絡を入れても、時すでに遅し。
宗教裁判を担当した聖職者がイングランドの手先になっており、さらにはジャンヌ・ダルクが文字を読めないということを悪用します。
デタラメな宣誓書にサインをさせて【火刑】という最も過酷な刑が確定してしまったのでした。
キリスト教では「イエス・キリストがこの世に再び現れる際、生前に正しい行いをしていた者は復活できる」とされています。
そのため肉体が残る土葬が主流だったのですが、遺体が焼かれてしまうと復活が望めません。
つまりは最も重い処刑方法だとされていました。

異端の罪で火刑にされるジャンヌ・ダルク/wikipediaより引用
ジャンヌの場合は魔女の疑いがかかったため、灰になるまで焼かれた上、セーヌ川に流されるという徹底ぶり。
悪魔が関与していると思うのなら「流れ着いた先で悪魔に復活させられるかもしれん」などを懸念しても良さそうなものですが……「悪魔でも灰になったものはどうしようもないに違いない」って判断だったんでしょうか。
都合良すぎやしませんかね……。
シャルル7世は多少の罪悪感はあったようで、百年戦争に勝った3年後(処刑からは25年後)、ジャンヌ・ダルクの復権裁判を行っています。
ホントに何とも思ってなかったら、こんなことしなかったでしょうし、贖罪の意味もあったと思いたいところ。
ローマ教皇ピウス10世がジャンヌを列福
彼女の名が現代にまで強く残っているのは、以降の歴史でもたびたび利用されたためです。
プロテスタントが登場した頃にカトリックの象徴として使われたり、ナポレオンが取りざたしたり、ナショナリストに評価されたり。
前者については「魔女として焼いたくせに都合のいいこと言ってんな」という気がしないでもないですけれども。
肝心のローマ教皇庁はどうだったかというと、やはりというべきか、当初はジャンヌを「聖女」と認めたがりませんでした。
しかしその後20世紀に入って、ローマ教皇ピウス10世がジャンヌを列福し、一段と扱いが変わります。
列福というのは「成人に次ぐ徳や聖性を持った人=「福者」に認められることです。
さらに1920年、教皇ベネディクトゥス15世がジャンヌを列聖し、聖人として認めました。

火あぶりの刑に処されるジャンヌ・ダルク/wikipediaより引用
こうして彼女は、歴史的にもカトリック的にも忘れられない存在になったのです。
その後はファンタジー系の小説やゲームで取り上げられたり、フランス軍の戦艦や空母の名前に使われたり、すっかり復権された感があります。
本人が文字を読み書きできなかったこともあって、知名度の割に史料が乏しく、一人の人間としての面が浮かび上がりづらいのがどうにもモヤモヤしますが……。
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長月 七紀・記
【参考】
福井憲彦『教養としての「フランス史」の読み方』(→amazon)
中野隆生/加藤玄『フランスの歴史を知るための50章 (エリア・スタディーズ)』(→amazon)
岩波 世界人名大辞典
世界大百科事典
日本大百科全書(ニッポニカ)