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【シャルロット・コルデー】
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止めどない英雄願望 歴史に名を残すのだ!
それは彼女の性格や環境にありました。
コルネイユの子孫であるシャルロットは、自分の血筋を誇りに思い、歴史に名を残したいと思うようになりました。
修道院でのシャルロットの愛読書は、プルタルコスの『英雄伝』。どっぷりと十年間、英雄の物語と思索にふけったシャルロットは、歴史上の英雄に憧れるようになっていたのです。
ジロンド派の拠点であるカーンに住んでいたことも、影響しているでしょう。
そもそも結婚して子供でもいれば、そんなことを考えるヒマもなかったかもしれません。
思い込みが激しい性格。
冷静に考えれば、マラーは殺すべきターゲットにならなかったのですが、視野狭窄に陥った彼女にそんなことは微塵も見えません。
時代の空気も影響したことでしょう。
女性たちがパンを求めベルサイユへ行進して以来、革命に目覚める者は少なくありませんでした。
そんな彼女らを見ていれば、シャルロットが刺激を受けたとしても無理のないことです。
修道院で一生を過ごすはずだったシャルロット。
そんな彼女は、革命の嵐の中で自分ができることを何がなんでもやると思い詰めるようになり、テロリストになる道を選ぶのでした。
「マラーは血に飢えた獣?」「いい人です」
1793年7月9日、シャルロットはパリ行きの乗り合い馬車に乗り込みました。
周囲には、亡命のためとか、役所での手続きのためなどと伝え、誰も彼女の決意は知りません。
二日間馬車にゆられて、パリに到着。
彼女はホテルの従業員と世間話をしました。
「マラーって血に飢えた獣のような男なんでしょう?」
そう言うと相手は予想外の返事をします。
「いいえ、マラーさんはいい人です。革命を穏健におさめようとしていましたね。今じゃあ人呼んで“人民の友”ですぜ」
「あら、そうなの」
だったら殺す必要なんてないわね!とならないのがシャルロットの限界でした。
むしろ「そんなに親切ならばつけ込む隙がある」と思ってしまったようです。
彼女はホテルで長い遺書を書きました。
目的を達成したら命はないとわかっていたからです。
風呂から出られないマラーを包丁で……
覚悟と自己陶酔の言葉を遺書に散りばめた翌日。
運命の13日。その日はバスチーユ陥落から4年目です。華々しい式典が行われることでしょう。
シャルロットはこの日、店で細身の包丁を買いました。
田舎娘が包丁を買うことに、店の人も特に気を止めなかったに違いありません。
その凶器を持ち、彼女はマラーの家を訪れます。
重い皮膚病を患っていたマラーは、薬湯で湯治中でした。
「人民の友」であるマラーは、来訪者を断ることもありませんでした。しかし入浴していたため、女中はシャルロットの来訪を断るとドアを閉めてしまいました。
シャルロットは二時間ほどあたりをうろつきました。
それからホテルに戻り、マラー宛に二通手紙を書きます。
返事を待つものの、来ないため、シャルロットは再びマラーの家を訪れました。
しかし部屋の入り口で「通る・通さない」の押し問答。
その声を聞いたマラーは「そんなに熱心な人なら通しなさい」と言ってしまいます。
栗色の髪をきっちりとセットした田舎娘は、危険人物からほど遠く思えたことでしょう。
マラーは重度の皮膚病に冒され、水に浸かりながらでないと仕事もできないほどでした。
浴槽に板を渡して、そこで書き物をしていたのです。症状は深刻で、この夏を乗り切れないのではないか、と診断を下した医師もいました。
シャルロットは裏切り者のジロンド党員を知っていると言い、マラーに接近しました。
近くの椅子に座り、彼女は党員の名をあげてゆきます。
マラーはそれを書き留めました。
気の毒な少女だ、こいつらに苦しめられているんだな、とでもマラーは信じていたのでしょうか。
「よくわかった。数日中に彼らをギロチン送りにしてやろう」
マラーがこう言うのを聞いて、シャルロットの決意は固まりました。
シャルロットの手にした包丁が、あばらの間を突き通し、肺の動脈を切り裂きます。
あふれる血が、浴槽の水を赤く染めてゆきます。そして……。
シャルロットに刺されたマラーは、即座に死に至りました。
そのまま呆然自失としていたシャルロットは逮捕され、パリ市民たちは「人民の友」の死を深く嘆くのです。
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