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【スエズ運河】
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株を購入した英国は軍事介入にも動き出す
イギリス側の妨害が続くも、スエズ運河会社はめげずに工事を続け、1864年にナポレオン3世の仲裁もあってなんとか進行。
1869年になってやっと完成しました。
総工費は予想の二倍にもなっていたそうですが、完成しただけ御の字でしょうか。
開通式にはヨーロッパ各地の王侯も招かれました。
フランス皇后ウージェニーが主賓として招かれ、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世なども参加し、華やかなものになったそうです。
同年にはアメリカ大陸横断鉄道も開通し、スエズ運河と合わせて、地球上の移動距離を大きく縮めることとなりました。
そのためスエズ運河は当初の予想よりも大きな利益を挙げることに成功します。
しかし、建設費の膨大さにはまだまだ追いつかず、地元エジプトの対外債務(外国への借金)はかさむ一方。
首が回らなくなってしまったため、自国が保有するスエズ運河会社の株式を売って、返済に当てようと考えました。
なんだか本末転倒の予感ですね……。
ここで、やはりインドとの連携を強めたいイギリスが目をつけ、ときの首相ベンジャミン・ディズレーリが、議会の承認なしに44%もの株を買います。当然筆頭株主です。
そしてこれを足がかりに、イギリスはエジプトへの軍事介入を始め、第二次中東戦争(1956~1957年)までスエズ運河近辺にイギリス軍が居座ることになります。
その辺の話はスエズ運河そのものから少々離れる上にややこしいので、また日を改めましょう。
日本とエジプトの友好橋が2001年に完成
さて、スエズ運河と日本とはあまり関係ないかと思いきや、いくつかの接点があります。
まず1861年に文久遣欧使節がスエズを通っており、翌1862年には池田筑後守長発(ピラミッドで写真撮った人)の遣仏使節団一行がエジプトにやってきました。
おそらくは両者ともに建設中のスエズ運河を見たか、少なくとも噂くらいは聞いたでしょうね。
また、1873年に岩倉使節団がヨーロッパからの帰路でスエズ運河を通っています。
さらに2001年には、ムバーラク平和橋(またはエジプト-日本友好橋)と呼ばれる橋が完成しました。
「建設費の60%が日本のODA」という、なかなかの規模な事業です。それもあって、両国友好の証として、エジプトと日本の国旗が飾られているのだとか。
この橋により、エジプト本土とシナイ半島方面の所要時間を大幅に減らすことができたそうです。
1922年に始まった両国の友好関係を改めて証明する存在といえるでしょう。
スエズ運河は現在エジプトの国有物であり、そこから得られる通行料金は同国の国庫にとってなくてはならないものになっています。中東方面からのオイルタンカーがここを通るからです。
「石油がなくなるまであと◯十年」といわれるようになって久しくなりましたが、少なくともそれまではエジプトの外貨獲得源として働いてくれることでしょう。
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長月 七紀・記
【参考】
日本大百科全書(ニッポニカ)
世界大百科事典
外務省(→link)
ほか