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マルティン・ルター/wikipediaより引用




ドイツ キリスト教

ルターによる宗教改革で何が起き、そしてどうなった? ドイツから始まる【宗教改革五百年】

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2017年は宗教改革から五百年目の節目にあたります。

ルターになって改革だ! 宗教改革500周年アナログゲームコンテスト優秀作品が発表

こんなゲームなんかも出ちゃったりして、微妙に盛り上がっているような気がします。

しかし、そもそも宗教改革って何なのか。
中学の歴史では「マルティン・ルターが行った」とサラッと習いますが、おそらくや世界史専攻の方以外は忘れがちかと思われます。

500年という節目を機におさらいしてみましょう!(間もなく501年で申し訳ありません)

 

悔い改めるのも金次第、って何か違うでしょ

1517年。
ヴィッテンベルク市の教会に「95ヶ条の論題」が打ち付けられました。
そこにはこうありました。

主が「汝ら悔い改めよ」と言われるとき、主は信者の全生活が悔い改めることを望まれた

これは「免罪符」を批判したものでした。
「免罪符」とは、悔い改める手続きを踏まなくとも、金を支払って買えば救われるというもの。

しかし本来、この役割を果たす「贖宥状」は、改悛したと認められた場合のみ手に入れることができるものであったはずです。

中世末期、人々の間には不安が高まっていました。
ペストの流行で大勢の人々が死んでゆく中、自分たちは一体どうなってしまうのか。
誰もがそう怯えていたのです(当時の死生観は「死の舞踏」という言葉で表されているとも)。

死が身近になると、人は死後のことが気になり出します。

『死んだ後に地獄や煉獄に落ちたらどうしよう……』

そんな不安につけ込んだのが「免罪符」ビジネスでした。

金さえ払えば地獄や煉獄に行かなくても済む――。
これは当時の人々にとって魅力的。義捐金にお金がチャリンと入る音は、魂が天国へと飛び去る合図だ、なんて言われていました。

そんなキリスト教にとって重要な改悛の秘蹟が、金でなんとかなるという状況を憂えた者がいました。

マルティン・ルター

ヴィッテンベルク大学の神学教授です。
業を煮やした彼による批判が、教会に打ち付けられたわけです。

「実り豊かな葡萄畑に、野生の猪が踏み込んだものよ」
教皇レオ10世はそうルターをたとえ、この批判を軽くいなそうとしました。

しかし、ルターはただの猪突猛進型の人物ではありません。世間で高まっていた宗教批判に、火をつけた人物なのでした。

宗教改革五百年という場合、始点は1517年です。
ただし、当時のルターはあくまで腐敗したカトリックをなんとかしたいと考えていたわけで、宗教改革を起こすところまで意図していたわけではありませんでした。

 

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書籍印刷なくして宗教改革なし

ルターは、教皇が考えるより遙かに危険な男でした。

彼の武器は頭脳、ペン、そして印刷術です。
ルターは矢継ぎ早に宗教批判の論文を何本も書きました。

しかもそれをバンバン印刷します。
当時の識字率はせいぜい5から10パーセント程度。読めたのはごく一部の者ですが、それでもこの宣伝攻勢は効果を発揮しました。
書籍だけではなく、印刷物やビラの類いもバラ撒きます。
イラスト入りのこうしたビラは、本よりはるかに伝達効率がよく、宗教改革に大きな力をもたらしたのです。

この状況は、
「書籍印刷なくして宗教改革なし」
と言われました。

1521年。
ついにルターは破門されます。
同年、神聖ローマ皇帝カール5世は、ルターを神聖ローマ帝国の法律管轄外の置くという「ヴォルムスの勅令」を出しました。

そんなピンチのルターを匿ったのは、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世、通称「賢侯」でした。

フリードリヒ3世/wikipediaより引用

ルターはフリードリヒ3世のヴァルトブルク城に滞在し、ドイツ語訳新約聖書を製作しました。
多くのドイツ人々が、この聖書から教義だけではなくドイツ語そのものの読み書きも学ぶことになりました。

ルターは、近代ドイツ語の基礎を築いたとも言えるのです。

 

騎士の乱と農民戦争、そして内憂外患

ルターの思想は、枯れ草に燃え上がる火のようにどんどん広まってゆきました。
宗教改革は一日で成り立ったものではなく、当時カトリックや政治への不満が高まっていたのです。

まず、ルターの教えを掲げた反教皇の騎士たちが反乱を起こしました(騎士戦争、1522-23)。

さらに、農民たちが蜂起(1524-25、ドイツ農民戦争)。
宗教改革は、血みどろの戦争を引き起こし始めたのです。

騎士戦争を描いた起きたムルテンの戦い/wikipediaより引用

しかし、実のところドイツにそんな余裕はありません。
1526年、ハンガリー王国がオスマン帝国によって滅亡させられており、まさにドイツは内憂外患。脅威が迫る中、内乱まで起こるとなると、かなり危険な状況でした。

この状況は、フランス王フランソワ1世の謀略が引き起こしたものでした。
神聖ローマ皇帝カール5世と敵対していたフランソワ1世は、オスマン帝国に東から、そして彼自身は西から攻撃を仕掛け、カール5世を挟み撃ちにするつもりだったのです。

しかし、カール5世はイタリアでフランソワ1世を撃破。捕虜とすることに成功しました。
ピンチを脱したカール5世は、ルター派の根絶を目指すことにしました。

 

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ルター派を潰そうとしたはずが……

1526年。
第1回シュパイアー帝国議会が開かれました。
この会議の目的はルター派根絶を目的とした「ヴォルムス勅令」の徹底です。

しかし、政治情勢の変化によりカール5世がまたもピンチに陥ってしまいました。
捕虜から釈放されたフランソワ1世が、教皇クレメンス5世と同盟を結んでしまったのです。

こうなると、議会の目的が変わりました。
「こういうピンチの際は、ルター派とも一致団結していくべきじゃあないですかね」

議会も目的は180度変化して、「ルター派絶対赦さない」から「ルター派とも仲良くしよう」になってしまったのでした。

「やったー、ルター派公認されたようなもんだぞー! ルター派で統一だー!」
議会参加諸侯はそう考え、領内をルター派に染め上げてゆきました。

「まずい、ルター派根絶どころか増殖しとるやんけ!!」
こんな状況に焦った旧教派は、1529年の第2回シュパイアー帝国議会でルター派を完全禁止にする「ヴォルムス勅令」の徹底を決定します。

しかし時既に遅く、諸侯はそんな命令に従おうとしません。
命令に反抗する人々という「プロテスタント」という言葉も生まれたのでした。

「アウクスブルクの宗教和議」でとりあえず手打ち

当時のドイツは諸侯がそれぞれの都市を治めている状態です。
カトリックとプロテスタントという分裂だけではなく、プロテスタント同士も反目対立するような状況でした。それを後目に、カール5世を中心としたカトリックは結束を固めてゆきます。

このままではまずい。
そう考えたルター派プロテスタントは、1531年、カール5世に反抗する「シュマルカルデン同盟」を結んだのでした。
しかしこの同盟は、1546-47年にかけての「シュマルカルデン戦争」敗北で崩壊します。

このころになると、カール5世は絶好調でした。
戦争には勝利。
宿敵のフランス王フランソワ1世、イングランド王ヘンリー8世は崩御。
ヨーロッパの覇王となることもできそうな状況です。

しかし、奢れる者は久しからずという言葉はカール5世にもあてはまりました。

ドイツ諸侯の利害を無視したカール5世の強引かつ傲慢な政策に、諸侯の怒りが爆発。
1552年の「第二次辺境伯戦争」で敗北してしまいます。カール5世は弟のフェルディナンド1世が継ぎました。

フェルディナンド1世は、カトリックとプロテスタントの宥和に尽くしました。
1555年、アウグスブルグに議会を召集すると、「アウクスブルクの宗教和議」を結びます。

ルター派プロテスタントが容認され、長く血みどろの対立が終わったかのように見えた……のですが。

「アウクスブルクの和議」 学生を世界史アレルギーにさせるこの出来事をザックリ分解

カルヴァン派がドイツに広まり、イエズス会がドイツ南部で反プロテスタント運動を行うようになりました。
新たな争いの種は蒔かれていたのです。

結果、1618年から1648年にかけ、ドイツを舞台にプロテスタントとカトリックの諸侯や王が入り乱れ、国土を荒廃させる戦いを繰り広げることになるのです。

「ほんとうの地獄はこれからだ……」
そんな言葉が似合う幕切れですが、ひとまずドイツの宗教改革は、1517年のルターによる「95ヶ条の論題」から、1555年「アウクスブルクの宗教和議」までで一区切りということになります。

文:小檜山青

【参考文献】




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