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【マルティン・ルターの宗教改革】
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騎士の乱と農民戦争、そして内憂外患
ルターの思想は、枯れ草に燃え上がる火のようにどんどん広まってゆきました。
宗教改革は一日で成り立ったものではなく、当時カトリックや政治への不満が高まっていたのです。
まず、ルターの教えを掲げた反教皇の騎士たちが反乱を起こしました(騎士戦争、1522-23)。
さらに、農民たちが蜂起(1524-25、ドイツ農民戦争)。
宗教改革は、血みどろの戦争を引き起こし始めたのです。
しかし、実のところドイツにそんな余裕はありません。
1526年、ハンガリー王国がオスマン帝国によって滅亡させられており、まさにドイツは内憂外患。
脅威が迫る中、内乱まで起こるとなると、かなり危険な状況でした。
この状況は、フランス王フランソワ1世の謀略が引き起こしたものでした。
神聖ローマ皇帝カール5世と敵対していたフランソワ1世は、オスマン帝国に東から、そして彼自身は西から攻撃を仕掛け、カール5世を挟み撃ちにするつもりだったのです。
しかし、カール5世はイタリアでフランソワ1世を撃破。捕虜とすることに成功しました。
ピンチを脱したカール5世は、ルター派の根絶を目指すことにしました。
ルター派を潰そうとしたはずが……
1526年、第1回シュパイアー帝国議会が開かれました。
この会議の目的はルター派根絶を目的とした「ヴォルムス勅令」の徹底です。
しかし、政治情勢の変化によりカール5世がまたもピンチに陥ってしまいました。
捕虜から釈放されたフランソワ1世が、教皇クレメンス5世と同盟を結んでしまったのです。
こうなると、議会の目的が変わりました。
「こういうピンチの際は、ルター派とも一致団結していくべきじゃあないですかね」
議会も目的は180度変化して、「ルター派絶対赦さない」から「ルター派とも仲良くしよう」になってしまったのでした。
「やったー、ルター派公認されたようなもんだぞー! ルター派で統一だー!」
議会参加諸侯はそう考え、領内をルター派に染め上げてゆきました。
「まずい、ルター派根絶どころか増殖しとるやんけ!!」
こんな状況に焦った旧教派は、1529年の第2回シュパイアー帝国議会でルター派を完全禁止にする「ヴォルムス勅令」の徹底を決定します。
しかし時既に遅く、諸侯はそんな命令に従おうとしません。
命令に反抗する人々という「プロテスタント」という言葉も生まれたのでした。
「アウクスブルクの宗教和議」でとりあえず手打ち
当時のドイツは諸侯がそれぞれの都市を治めている状態です。
カトリックとプロテスタントという分裂だけではなく、プロテスタント同士も反目対立するような状況でした。それを後目に、カール5世を中心としたカトリックは結束を固めてゆきます。
このままではまずい。
そう考えたルター派プロテスタントは、1531年、カール5世に反抗する「シュマルカルデン同盟」を結んだのでした。
しかしこの同盟は、1546-47年にかけての「シュマルカルデン戦争」敗北で崩壊します。
このころになると、カール5世は絶好調でした。
戦争には勝利。
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ヨーロッパの覇王となることもできそうな状況です。
しかし、奢れる者は久しからずという言葉はカール5世にもあてはまりました。
ドイツ諸侯の利害を無視したカール5世の強引かつ傲慢な政策に、諸侯の怒りが爆発。
1552年の「第二次辺境伯戦争」で敗北してしまいます。カール5世は弟のフェルディナンド1世が継ぎました。
フェルディナンド1世は、カトリックとプロテスタントの宥和に尽くしました。
1555年、アウグスブルグに議会を召集すると、「アウクスブルクの宗教和議」を結びます。
ルター派プロテスタントが容認され、長く血みどろの対立が終わったかのように見えた……のですが。
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カルヴァン派がドイツに広まり、イエズス会がドイツ南部で反プロテスタント運動を行うようになりました。
新たな争いの種は蒔かれていたのです。
結果、1618年から1648年にかけ、ドイツを舞台にプロテスタントとカトリックの諸侯や王が入り乱れ、国土を荒廃させる戦いを繰り広げることになるのです。
「ほんとうの地獄はこれからだ……」
そんな言葉が似合う幕切れですが、ひとまずドイツの宗教改革は、1517年のルターによる「95ヶ条の論題」から、1555年「アウクスブルクの宗教和議」までで一区切りということになります。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
森田安一『図説 宗教改革 (ふくろうの本/世界の歴史)』(→amazon)