グリム童話

第1巻(第2版)タイトルページとルートヴィヒ・グリムによる口絵(「兄と妹」)/wikipediaより引用

作家

グリム童話 本当は怖い……というよりグロくて生々しい物話ができるまで

1785年(日本では江戸時代・天明五年)1月4日は、グリム兄弟のお兄さんであるヤーコプ・グリムが誕生した日です。

誰もが聞いたことのあるグリム童話の作者として有名ですが、現在知られている形になるまでには、大なり小なり様々な紆余曲折がありました。

彼らの物語を追ってみましょう。

 

法学が嫌になったので歴史や文学やりまーす!

グリム兄弟は、父の赴任先だったシュタイナウ・アン・デア・シュトラーセという舌を噛みそうな名前の街で育ちました。

現在はロマンチック街道に属する街の一つでもあり、ウィキペディア先生には「グリム兄弟の街である」(原文ママ)とまで書かれています。

当初は法学を学んでいたのですが、大学の講義の中でドイツ語そのもの、そしてそのドイツ語によって成り立つ古くからの文学や童話に興味が移ったといいます。

講師の先生に「僕は法学がイヤになったので、歴史や文学のほうを学んでいきたいと思います」(超略)という手紙を書いているくらいですから、余程法学に嫌気が差したのか、文学に魅力を感じたのかどちらでしょうね。両方でしょうか。

ヤーコプの先生はフリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーというこれまた結構エライ学者さんなでして、この手紙を受け取ってどんな反応をしたんでしょう。

ヴィルヘルム・グリム(左)とヤーコプ・グリム/wikipediaより引用

 

オリジナルの創作ではなく再編集した物語

そんなわけで文学への情熱を保ち続けたヤーコプは、仕事面での安定はなかなか得られませんでした。

当時のドイツはまだ神聖ローマ帝国ですので、政情が安定しなかったり諸々の事情で仕事がなくなりかけたりしたこともありました。

ヤーコプは六人兄弟の長兄でしたから、家族を養わねばというプレッシャーもあったことでしょう。

その中でも、彼は弟・ヴィルヘルムと協力して、今日我々が「グリム童話」と呼んでいる一連の物語を編纂し始めます。

最近けっこう話題になっているのでご存じの方も多いかと思いますが、グリム童話はグリム兄弟のオリジナルではありません。

彼らが生きていた時点で、既にヨーロッパで広く語り継がれてきた物語をアレンジしたものです。

「二次創作かよw」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、どちらかというとパロディよりレーティングのほうが近いかと思います。

というのも、グリム童話の元ネタと思われる話はR-18(G)なものがとても多かったのです。

「赤ずきんが狼に食べられる(意味深)」とか、「シンデレラなどに出てくる継母は元々実母だった」などが有名ですね。

マザーグースなどもそうですが、ヨーロッパは「子供に怖い・グロい話をしてしつけをする」という考え方が根強いんですよね……。

 

1812年に初版が発売されるも当初はあまり売れず

日本でも

「桃を食べて若返った(元)おじいさんと(元)おばあさんの間に立派な男の子が生まれました」

「成長した後、その子は仲間とともに鬼をぶん殴って財宝をぶんどりました」

という話がありますが、原典でもR-15くらいのような気がします。

もしくは、「ごんぎつね」のように教訓を伝えるものだったり、戦中を舞台にして戦争の悲惨さを伝える話が多いでしょうか。

ちなみに香川県には「桃太郎女の子説」なるものがあるそうです。

「あまりにも可愛らしいので、鬼にさらわれないように男名をつけた」そうなのですが、成長して鬼をぶん殴れる子になるとは思ってなかったでしょうね……。

どなたかこちらの説でマンガ化してくださらないでしょうか。既にあったらスイマセン。

まあそれはともかく、さまざまな苦労を経てグリム童話の初版が世に出されたのは1812年のことでした。

このときヤーコプ27歳、ヴィルヘルムは26歳ですから、学者さんとしては割と早い成功といえますかね。

この間にアメリカ独立戦争やフランス革命が起こり、ドイツでも一般の人々から「俺たち独自のものをもっと推していこうぜ!」(超略)という機運が高まりました。

グリム童話もまた、それに一役買ったことになります。

とはいえ、グリム童話と似た本は以前からあったこと、子供向け・大人向けどちらとも言い切れない文体だったことから、初版はあまり売れなかったそうです。

第二版を出すとき、もう一人の弟ルートヴィヒが挿絵をつけたり、注釈を別冊にすることによって方向性が定まり、少しずつ一般に受け入れられていきました。

その甲斐あって、初版から8年後の1820年にはデンマークやオランダで翻訳が出始めています。

初版第一巻の書影/wikipediaより引用

 

改定するたび「もっと子供向けにしてくれ」との要望が

その5年後には英訳版も出版され、人気画家の挿絵がついたことでさらにグリム童話集は売れていきました。

兄弟はこの英訳版を参考に、より子供にウケやすい話を厳選して廉価版を出し、これがさらにヒットしたことで、現在よく知られているグリム童話になっています。

廉価版が出てからというもの、グリム兄弟の在世中に9版も出版されたといいますから、その売れ行きがわかろうというものです。

改訂するごとに「もっと子供向けにしてくれ」という要望が強まったため、そちらへの対応もしています。

しかし、ヤーコプは童話を通じて学術的な研究をしたいと考えていたので、こういったニーズにはあまり積極的に対応したいとは思っていなかったようです。

「子供向け」を意識していたのは、弟のヴィルヘルムのほうでした。

たぶん兄弟で童話集に対するスタンスが違ったからこそ、初版は少々ちぐはぐなものになったのでしょうね。

ヤーコプは他の学者との論争も割とガチにやるタイプだったようなので妥協を許さない人だったのでしょう。

ヤーコプ単独でドイツ語の文法に関する本も書いていますし、ある程度厳格な性格じゃないとそういった法則を決めるには不都合でしょうし。

とはいえ、ヴィルヘルムも童話の(青少年の健全な育成のため削除される部分)については徹底的に削除したそうなので、厳格の方向性が多少違うだけだったのかもしれません。

長月 七紀・記

【参考】
ヤーコプ・グリム/Wikipedia
ヴィルヘルム・グリム/Wikipedia
グリム童話/Wikipedia

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