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【アステカ文明と生贄儀式】
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「トウモロコシの女神シロネン」
◆うら若い女性の姿であらわされる女神
犠牲者:女性
手段:女神の化身として踊っている所で斬首され、皮を剥がされる
処理:犠牲者に好意を持っていた戦士は、翌年その皮を身につける
「火の神 シウテクトリ」
犠牲者:鎮静剤を与えられた捕虜
手段:生きたまま燃えさかる石炭の中に放り込まれ、神官が鉤で引きずり出し、まだ生きているうちに心臓を取り出す
★
確かにこれは「国家的規模のすさまじい生贄と人肉喰いの儀式が伴う文化」と言えるでしょう。
犠牲者数は年間で1万5千人から2万人、総計120万人から160万人だったとの見積り。あまりに多数であるため「花戦争」と呼ばれる戦いもしばしば行われました。
要は、犠牲者を確保するためだけの戦闘です。
こうした血腥い儀式をさだめたのは同王朝の名君モクテスマ一世の異母兄弟であり、副王として仕えたトラカエレルであると伝えられます。
しかし同時に疑問にも思いませんか?
なぜ、こんなことが繰り返されたのか、と。
ナゼこのような犠牲が必要だったのか?
人を残酷に殺さなくても太陽は昇ると誰も思わなかったのか。
犠牲者の遺族や周囲の人は誰もこの儀式に異を唱えなかったのか。
こうした疑問に対し、1970年代、人類学者のマイケル・ハーナーはある説にたどりつきました。
「当時の中南米は食肉に適した大型獣がいない。人口が少なければ鳥や魚でも動物性タンパク質を補えるだろうが、当時の中南米はそうして補うにはあまりに人口密度が高すぎた。動物性タンパク質を摂取するため、人肉食を伴う儀式を行ったのではないか」
説得力があり、注目を集めた説ではありますが、人口統計や栄養学を無視した荒唐無稽なものだという反論もあります。
人肉は他の獣肉と比較すると、栄養価があまり高くありませんし、効率という点でみれば確かに不向きなのです。
説得力があるようで、何か重要な点が欠けている論と言えるかもしれません。
ただ、その何かがわからない。
宗教的儀式、政治的権力の誇示……様々な理由が議論されていますが、決定的な結論が出た、とは言い切れないようです。
もっとも、「本能寺の変」における明智光秀の動機すら未だ明らかにされていないように、歴史における「意思決定の真相」など、なかなが探れないものでしょう。
中世は人命の軽い時代 現代からは語りきれない
「アステカ文明って残酷だわ」と言う前に、同時代の他国や文明についても考えてみた方がよいかもしれません。
魔女狩り、宗教戦争……と、12-16世紀は、どの国や文明でも、しばしば大量殺戮が行われました。
そこでは、自分たちの宗教が正しいと証明するため「魔女と認定されて犠牲になっていった人も多くいた」という点を考えねばならないでしょう。
アステカに限らず、この時代の人命は軽いものでした。
宗教的動機がからむとその傾向は一層強くなりました。
生贄の儀式は現代人からすればぞっとするものです。
だからと言って、アステカの生贄の習慣を持ち出し、メキシコの麻薬戦争に結びつけるような、そんな強引な展開はよろしくないと思います。
それってつまりは「焼けた鉄の棒を素手で持って神託を行った」という日本の鉄火起請を持ち出し、「日本人は野蛮で非合理的であった」と言われるようなものではないでしょうか。
歴史は歴史として、冷静に見つめたいものです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
MatthewWhite/住友進『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon)