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◆Uボート→呂号第五百潜水艦(ドイツ→日本)
アメリカが激おこになった原因の一つである潜水艦・Uボート。
実はドイツ語だと普通名詞扱いなんですが、あまりにもイギリス・アメリカに被害をもたらしたため、英語では固有名詞扱いになっています。
そんなわけで大西洋のイメージが強い船ですが、実は「インド洋でイギリスの通商破壊に使ってよ」という理由で、あのちょび髭から日本に一隻贈られていました。
日本での呼び名が「呂号第五百潜水艦」です。
潜水艦には固有名詞がつけられていなかったので、こんな長ったらしい感じになっています。
が、実戦には使われず、対潜水艦部隊の訓練用に使われました。
もったいぶってるのか粗雑に扱ってるのかどっちなんだ。
ソ連参戦後に樺太へ行く予定で、出発前に終戦。
その後終戦の年中に除籍され、約半年後に海没処分されています。
潜水艦だと引揚船にはなれないでしょうしね……。
◆雪風→丹陽(日本→中華民国)
提督の皆さんにはお馴染み?
「奇跡の駆逐艦」と呼ばれた船です。
16回以上の作戦に参加していながら、一度も大きく損傷することがなかったためにこう呼ばれました。
終戦直後は引揚船として活躍しています。
水木しげる先生が乗っていたことでも有名ですね。
また、満州から引き揚げてくるときには、艦内でお産があって大変だったそうです。
母親とこのとき生まれた男の子は、当時の艦長や取り上げた軍医(看護師説もアリ)と後々再会したとか。
その後は中華民国に引き渡され、国民党軍が敗れた際に台湾へ行きました。
1966年に除籍された後も訓練に使われ、三年後に台風で損傷したため、1971年までに解体されたそうです。
◆響→ヴェールヌイ(日本→ソ連)
こちらも提督の皆さんはよくご存知でしょう。
雪風と違うのは、こちらは何度も大きな損傷をしたにもかかわらず、その度に修復して再び戦場へ戻った点です。
終戦間近には本土に戻り、日本海側を回航したり、訓練に従事していました。
終戦当日の8月15日にも、アメリカ軍機と戦闘を行っていたといいます。
某これくしょんだと可愛い感じですが、戦国時代で例えれば長連龍とか山中鹿之助みたいなすさまじい執念を感じるのは気のせいでしょうか。
さすがに終戦が伝わってからは戦闘はせず、引き揚げ船としてしばらく働いた後、ソ連への賠償艦として引き渡されました。
ロシア語名の「ヴェールヌイ」は、「真実」「信頼できる」という意味です。……戦争終わる間際に条約破った側が言うことですかね(ボソッ)
1948年に練習艦として装備を剥がされ、「デカブリスト」という名になっています。
これは世界史でお馴染みの単語ですね。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
とは細川ガラシャの辞世ですが、上記のような話を見ると、船にもこれが当てはまるような気がします。
長月 七紀・記
【参考】
日進_(装甲巡洋艦)/wikipedia
舞子_(砲艦)/wikipedia
興津_(砲艦)/wikipedia
呂号第五百潜水艦/wikipedia
響_(吹雪型駆逐艦)/wikipedia