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【ミッドウェー海戦】
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ミッドウェイと言えば、徹頭徹尾、日本側の失態が目立つ負け戦ですよね。
暗号が解読されて、手の内バレバレだわ、にもかかわらずノコノコと出向いて大敗……と言うのは史実として動かしがたく、今日なお日本人にイヤな思いをさせる戦いです。
しかし、向こうは向こうで結構マヌケだったんですね。
それを利用できなかった日本側のスパイも何してんの?という話ですが……。
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スレスレの書きようだった記事
さて、落ちこぼれの元新聞記者のワタクシが、苦笑せざるを得なかったのが以下のくだりです。
入念に記事を読めば、日本海軍の暗号が解読されていたのは明らかだ(アメリカ海軍情報部は、この暗号をJN-25-Cと名付けていた)。
裏を返せば、ハッキリとは書いていないって事です。スレスレだったんですね。
何故か?
これ、新聞社に勤めた事のある人以外には分かりづらいかもしれませんが、「犯人捜ししたって無駄でっせ」という事なんです。
分かりづらいですかね(苦笑)。要するに、こうです。
海軍にしたら、「誰がジョンストン記者に情報を漏らしたか?」を是非とも把握したい。
しかし、記者に問いただしたってノラリクラリ言い逃れるのは必定です。
となると、記事に掲載されている内容から「ここまで知っているのは軍部のアイツに違いない」と推理し、そのアイツをどこかに呼びだすなりして「お前が漏らしたんだろう!」と問い詰めるしか無い。
そして「すんません、私が言いました」となれば、アイツを左遷する。
そうすれば二度と重要な情報はジョンストン記者に入らない。
こういうのを「ネタ元(情報源)を潰す」と言います。
で、これまた今日でもそうですが、記者側からしたら犯人捜し対策をします。
聴いて確認の取れた内容が100だったとしても、60から70だけを掲載する。
ハッキリと分かっている事も敢えてボカせば、犯人捜しが難しくなるし、今後の取材も続けられます。
そして、ジョンストン記者に限らず、全世界の新聞記者の共通の鉄則は「ネタ元は、例え拷問にあっても言わない」であります。
いやー、この記者サン、ある意味、南雲機動部隊より手強い相手だったかもしれない訳です。
真相は35年後に明らかに
そんな構図を頭に入れて頂くと、当事者のジョンストン記者が口を割る訳が無いのはおわかりでしょう。
実際、戦争が勝利に終わった後も、沈黙を守りました。
そうなると、謎のまま幕切れか?
そう思いきや、海戦から30年以上も経て、真相の一部が明らかになりました。
世紀の特ダネの舞台となった、シカゴ・トリビューンの編集長クレイトン・カークパトリックが、1971年7月9日付けのニューヨーク・タイムズに寄稿したのです。
カークパトリックによると、ジョンストン記者の「驚くほど正確な結論」は【珊瑚海海戦(1942年5月3日〜6日)】が発端だったそうです。
つまり、この少し後で日本海軍のアリューシャンとミッドウェイへの複雑きわまる攻撃計画を知り、何とシカゴに戻って詳細を書いたのだとか。
これには背景説明が必要でしょう。
珊瑚海海戦に、ジョンストン記者は空母レキシントンに座乗し、取材をしていました。
ところが、レキシントンは日本海軍機に攻撃され、それ自体では沈まなかったものの、被弾によって艦載機用の燃料が漏れ出し、遂には気化して爆発、大火災を引き起こします。
鎮火不能と判定され、味方の駆逐艦によって処分されたのは史実でも知られる所です。
この時に運良く九死に一生を得たジョンストン記者は、輸送艦バーネットに乗せられて西海岸のサンディエゴに寄港。
そして当時アメリカ海軍太平洋艦隊で情報士官を務めていたエドウィン・T・レイトンが、ジョンストン記者を今度は空母サラトガに配置させました。
アメリカの新聞博物館、ニュージアムのサイト(→link)によると、レキシントンから脱出する際に、ジョンストン記者は大やけどを負った水兵を助けるなどした事で、海軍側の受けが良かったようです。
そのあたりをレイトンが配慮したのかもしれません。
当時、サラトガはサンディエゴの修理ヤードにあり、ミッドウェイ援護のため急遽出発しようとしていたのです(海戦そのものには参加せず)。
そして、助かっただけでも運が良かったジョンストン記者に、特大の幸運が(そしてアメリカ海軍には特大の不運が)舞い込みました。
後に少将にまで昇進したレイトンが「オーラル・ヒストリー」としてアメリカ海軍研究所に語った所によると、サラトガの士官室にある掲示板に、チェスター・ニミッツ提督による公文書を何者かが掲示しました。
そこには
【山本五十六・連合艦隊司令長官がアリューシャンとミッドウェイ島を攻略する】
と書かれていたのです。
それを見たのが、スタンレー・ジョンストン記者その人だったと言うのです。
機密情報が張り出されていた!?
「ったく一体なんなんだよ」という展開です。
つまり情報源は、士官室に出入りしているどこぞのアホな軍人だったと言う訳。
そんな大事な情報を、記者が目にするかもしれない場所に貼り出すなよ〜!
と、ここまで書くと「この南如水(*筆者)とかいう奴か、カークパトリックってオッサンが適当に嘘八百を並び立ててるんちゃうか」とお思いになられる方もおられましょう。
無理もありません。
事実は小説より奇なりを地で行く展開なのです。
これには別の証言があり、事実を裏書きしているのです。
ノンフィクション作家のフィリップ・ナイトリーが、著書『最初の戦死者』(The First Casualty 1975年ハーコート・ブレース・ジョヴァノヴィッチ社刊)の中で、カリフォルニアに向かう途中、このジョンストン記者を目撃したというのです。
おそらくこの時までに何らかの方法で日本海軍のミッドウェイ攻撃のネタを裏取り(確認)してまとめあげ、シカゴに到着後に記事にしたのだろうとナイトリーは推理しています。
……思えば、とんでもない記者を助けてしまったという訳ですね。
さて、事実は小説より奇なりという展開が更に続きます。
ホノルルやサンディエゴだけではなく、当然の事ながら、首都のワシントンも蜂の巣をつついたような大騒ぎ。
ところが、ここでも思いも寄らぬ舞台劇の第二幕が待っておりました。
海軍長官がライバル新聞の元記者だった
戦史に詳しい人なら、当時のアメリカ海軍の長官の名前が即座に出てくる筈です。
そう、フランク・ノックスですね。
戦後は軍艦の名前にも使われるなどした名長官でありましたが、就任前の仕事までは御存知無い方が大半でしょう。
実はこの方も、元新聞記者。
しかも、シカゴ・トリビューンの天敵であるシカゴ・デイリー・ニュース紙出身だったのです。
当時のトリビューン紙の発行人を務めていたロバート・R・マコーミックを蛇蝎の如く嫌っていたのはお約束。
上記のニュージアムのサイトによると、マコーミックはルーズベルト大統領の天敵でもありました。
そこへ、この世紀の超大スクープ記事が掲載された訳ですから、これはもう火に油を1億バレルぐらい注ぎ込むようなもの(汗笑)。
「糞ボケが! 要らん事を書きくさりやがって!! 日本のスパイが読んで、本国に通報したらどないするんじゃ!!!」
という至極真っ当な大義名分と、そして長年の天敵を懲らしめてやろうと言う下心を秘めて?報復に出ます。
周囲を動かして裁判に出たのです。
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