武田信玄の「お城能力」を見誤るなかれ!シリーズ信玄の城

城の管理人から監視されるレベルで楽しむために♪

だいぶ涼しくなって来てお城巡りの季節到来ですね。
私は唐沢山城に行ってきましたよ!

こちらがそうです。

写真1-(2)

唐沢山城は今回の内容とは全く関係なく、もはや見せたいだけ。

もうお城巡り三昧で、原稿をだいぶ遅らせてしまい、おっと、冗談です。当連載では、これまでお城の「造り」やお城ごとのマニアックな見どころやマニアックなリアクションの取り方(笑)を中心に紹介してきました。

が、お城巡りに最高のシーズンに合わせて、よりディープに、よりワイドに、周囲がドン引きするくらい、お城の管理人から遠巻きに監視されるレベルで(すべて経験済み)、もっとマニアックにお城を楽しんで頂くために、より戦国時代の雰囲気を醸し出すお城情報を発信して行きたいと思います。

戦国時代の主役たちである戦国武将に、より焦点を当てながらお城を紹介するのが面白いんじゃないかと思いまして、武将ごとに異なる築城術、築城思想について紹介していきたいと思います。

第一回は「人は石垣 人は城・・・」でおなじみの戦国のいぶし銀「武田信玄の城」です。

 

皆さんは甲斐の虎の「お城能力」を見誤っている 

武田信玄の居城といえば、
「・・・よ、読めない!」
「え?!おまえ『躑躅』が読めないの?それでも戦国好き?」
「は?じゃあ、おまえ漢字で書いてみろよ!」
「ぐぬぬ・・・」でおなじみの「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」ですね。

ええ、大丈夫です。誰でも最初は読めません。「信長の野望」で「よし!武田信玄で暴れまくるぞ!」と威勢よく選ぶも、読めない上に「館だと!?城じゃないのか!?」のアレです。

躑躅ヶ崎館は現在、武田神社になっています。

写真2

しかし武田家は「人は石垣 人は城」なので武田信玄に堅固な城は必要なかった、とか、信玄は館がイヤで城がほしくて信濃や駿河に攻めいったんだ考えるのは、完全に武田信玄の「お城能力」を見誤っています。

 

躑躅ヶ崎館の北に「要害山城」を備えておりました

甲斐の国の武田の居城「躑躅ヶ崎館」は鎌倉から室町時代にかけての武士の館の延長線上にあるような確かに武士の「館」なのです。

が、実はその館の少し北に「要害山城」という名前からして防御力がハンパない山城を備えています。ついでに温泉も備えています。

写真3

要害山城登城後の積翠寺温泉は最高ですよ。日帰り入浴可能です。

まあ、温泉はさておいて、これは敵に攻められた時に立てこもるための詰めの城と言われています。つまりいざ戦闘になれば「躑躅ヶ崎館」を捨てて、戦闘用の山城「要害山城」に移ればよいという考えです。
実際、武田信虎(信玄のオヤジ)の時代に、駿河、今川家の武将福島正成に_侵攻されたときに、信虎は家族を要害山城に避難させています。
その時に生まれたのが武田晴信。そうです。後の武田信玄です。信玄は山城の生まれだったんですねえ。

 

 

この「躑躅ヶ崎館」と「要害山城」の関係はスマホとガラケーの2台持ちのような感じですが、武田家に関わらず、戦国時代初期ではこれが一般的でした。

写真4

要害山城絵図。まさに要害です。

 

では武田信玄は甲斐の領国においては躑躅ヶ崎館と要害山城しか持っていなかったのでしょうか。
これも少し誤解があります。

甲斐の国東部の武蔵の国との国境付近には岩殿山城、甲斐の国南部の駿河との国境付近には勝山城など、国境に山城をしっかりと築いています。
信玄のオヤジ、信虎の代には勝山城を今川勢に奪われ拠点にされたりしています。
信玄の代になって南の今川、東の北条とは巧みに外交関係を結んで、戦力を甲斐の国の南部と東部から甲斐の国の北西部の信濃地方に集中させることに成功しています。

さすが信玄!二正面作戦なんて愚の愚策です。それに比較的戦力が充実している駿河と武蔵にくらべて信濃は小さな国人衆が群雄割拠としていましたから、付け入る隙は信濃にあり、と考えるのもよく分かりますね。
ということで、岩殿山城や勝山城の重要性は知名度と共に薄れていきます。

こうして武田信玄の戦いは北西部の信濃地方へと移っていきます。それと共に「武田信玄の城」も信濃地方へと移っていきます。

 

本拠地を次々に移した信長さんがおかしい

さて以前にも紹介しましたが、築城の基本は「要害を築いて侵されない」ことです。
戦国時代の後期から江戸時代にかけては城は権威の象徴としての「見栄え」が重要になってきますが、信玄の時代は「要害」であることが最も重要です。

そして、軍事進攻の基本は「影響力を及ぼしたい地域に橋頭堡を築くこと」ですが、これは古今東西を問わず軍事の基本行動です。

また、戦をするなら自分の領国内ではなく、必ず領国の外で戦をするのも軍事の基本行動です。織田信長は若い頃からこれを特に徹底してやっています。
さらに織田信長は、領国の拡大とともに本拠地を清須城→小牧山城→岐阜城→安土城と移して行きましたので、何だがこれが当たり前のように思ってしまいますが、実はこれは例外中の例外です。

織田信長

織田信長が変人と言われる所以でもありますが、9割9分の戦国武将は自分の本拠地を自ら移転することはありません。
戦いの場が、信濃地方の奥深くに移ろうとも、躑躅ヶ崎館が古くさい館だろうとも、諏訪の姫がいくら美人だろうとも、上杉謙信がどんなに憎らしくても武田信玄の本城は躑躅ヶ崎館であり、居城を動かすこと自体「は?ありえないんですけど」が常識でした。

まずはこれが当たり前なんだということを覚えておきましょう。

 

 

続きは次ページへ

 

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コメント

    • 匿名
    • 2014年 10月 13日

    躑躅をドクロと呼んでしまうのは私だけ?

    • 出張の時だけ城マニア
    • 2014年 10月 12日

    いつも楽しく拝見しております(^^)
    私もなんで本拠地が躑躅ヶ崎館なんだろう?どんだけ自信があんだよ?なんて思ってたクチですので、要害山城で納得しました^^;
    北信濃は自分のルーツなので次回も楽しみです!

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